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Perception Is All You Are.(認識こそがあなたのすべて)

近代的人間観/コスモロジーの土台は、やはりデカルトだろう。「我思う、故に我あり」。これを真に乗り越えない限りにおいて、脱近代的人間観/コスモロジーの提出はありえない。

「我思うゆえに我あり」という主張は、デカルトが提唱した方法的懐疑を通じて得られた確固たる知識の基礎だ。これは、あらゆる疑い得るものを疑い、唯一疑うことができない自己の存在、つまり思考する自我の存在を確認することから始まる。この主張は、近代的ヒューマニズムの骨子となり、「理性(或いは自我)の自律性」の土台となった。これと同時に提出された「心身二元論」は、精神(思考するもの)と物質(拡張するもの)を根本的に異なる二つの実体と見なした。これにより、近代科学は物質世界を機械として扱うことが可能となり、自然科学の発展を促したわけだ。

そこで私は、脱近代を目指すにあたって、この「我思うゆえに我あり」という近代的人間観/コスモロジーの基盤を再評価する必要があると考える。それが、「我思う、ゆえに我は思いである。」であり、「Perception Is All You Are.」である。

ここで批判の的としているのは、端的に「理性の自律性」(Autonomie)だ。これを乗り越えるため、自己認識のメタ認知的プロセスを通じて個人の存在と世界の認識を理解しようと試みる。そして、近代的な自我の概念を超えて、より動的で相互に関連する存在の理解を目指そうという動きが、「Perception Is All You Are.」である。

「存在」というのは「知覚」を伴って初めて有意味に扱える。そのため、人間は、より正確に言えば、<私>※1は、<私>というメタ認知を持つことにより始めて存在を許される。そして、<私>というメタ認知を持ったときに初めて、<私>に対して開かれる<世界(私以外の世界)>が認識される。

※1:ここで指す<私>とは、「我思うゆえに我あり」において「在る」とされた「我」を指す。<私>とは、どこまでも私秘的な存在であり、そもそも私秘的であることが成り立つ基盤である(詳しくは、哲学的ゾンビを参照)。ここでは読者が自身を代入できる<私>として記述される。

つまり、<私>にも「<私>に対して開かれる<世界>」にも実体はなく、そこにあるのはメタ認知から出発する認知の連鎖に過ぎない。そして、<私>はさらにこの状況をすらメタ認知し、「<私>と(私に対して開かれる)<世界>」を包括した《(より大きな)世界》を自覚する。このような構造を持つ人間存在は、その基本的性質が「二重世界内存在」である※2

※2:上田閑照『実存と虚存: 二重世界内存在』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sprj/6/0/6_1/_pdf/-char/ja

しかし、この《(より大きな)世界》は、<私>と(<私>に対して開かれる)<世界>をも包含した《世界》であり、この全容を<私>が観察することは原理上できない。つまり、このような《世界》は常に、我々の認知を超えており、我々の認知からするとそれは<動的な内在秩序>となる※3

※3:そのような、内在的秩序がどのように考察可能であるのかは、デイヴィッド・ボーム『全体性と内蔵秩序』に詳しい。あるいは、グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』も重要である。

この視点は自我と世界の関係性を根本から問い直し、<私>という存在がメタ認知を通じて自己と外界を認識するプロセスを強調する。ここでの重要なポイントは、認識の主体である<私>も、それにより開かれる<世界>も、実体を持たない認知の連鎖から成り立っているという認識論的態度である。この理解は、実体主義的な世界観を脱し、認識と存在のプロセスを重視することで、より広範なコスモロジーへと展開していく※4

※4:このような「より広範なコスモロジー」は、常に「『より広範なコスモロジー』よりも広範なコスモロジー」を志向する性質を持ち、これは無限後退的である。このような無限後退を指摘することで、ここでは「完全なコスモロジー」を<私>が構築することは不可能であることを示している。

人間は、<私>というメタ認知を持った時点で、それを持たない状態から失楽園してしまった。しかし、むしろそのメタ認知を、さらに「<私>と<(私に対して開かれた)世界>」に対して向け、そこから導かれる《(より大きな)世界》に対して、開かれた態度を持つことで、再び「<私>と<世界>」という構造を脱構築できる(聖書に見られる原罪と信仰の関係性はこの寓意として解釈できる)。

この脱構築により、近代的人間観/コスモロジーがもたらした自我と世界の間の人工的な分裂を超え、より包括的で相互に関連する存在の理解を目指すことが可能になる。この探求は、個人の自己認識だけでなく、社会、文化、環境との関わり方にも深い影響を与え、「調和(harmony)」「共生(convivial)」を基調においた新たなエピステーメーの創出すらをも促す。

だから「Perception Is All You Are.」


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