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ADHDの診断を受けてコンサータを飲み始めた話(1)

2023年7月7日、私は都内の精神科でADHDの診断を受けた。
私のことをSNSで見かけたことがある人のなかには、私が玄関のドアを閉め忘れて外出したことや、キッチン床に包丁を置きっぱなしにしてしまったエピソードなどを、当時の同居人のツイートから知っているかもしれない。

SNSで公表された「うっかり」エピソード。
度が過ぎていると心配の声をいただいた記憶も僅かながらある。

幼少期から、私の「うっかり」が度を越している自覚はあった。
傘をさすのを忘れないように気を付けていたらランドセルを忘れてしまったとき。お道具箱や体操着や筆記用具を忘れるなんてことは、ほぼ毎日のお約束で、先生や友人の借り物で過ごすことが日常化していた。実家のカギをなくした回数は片手に収まるか怪しいほどだし、遠足やテーマパークへのお出かけは、後半私の忘れ物探しでみんなの時間を使うのが恒例化していた。

気を付けようとしても、そもそも気を付けることに気を付けられなければ意味がない。そこから、私は「ライフハック」として、必要最低限の荷物しか持ち歩かない、帽子やマフラーなどの外す機会のあるアクセサリーは見に付けない、鍵や財布、スマートフォンなどの最低限の荷物は、肌に接触を感じられるように必ずズボンのポケットに入れる、それでも「うっかり」したときは「しようがない」と開き直るなどの対処法を身に着けてきた。

「多動症」「ADHD」などの言葉を知ったときから、「きっと自分にもそういった特性が僅かながらはあるんだろうな」と直感していた。

今回、改めて精神科の診断を受けたのはいくつか理由がある。
もっとも大きな理由は「それでも『うっかり』したときは『しようがない』と開き直る」という対処法に生活の限界を感じたからだ。独り立ちして生きていくうえで、趣味の世界では生きれても、人の役に立つ仕事ができても、「生活」を放棄することはできない。一般家事や、時間・金銭管理などの最低限を、「できないから仕方がないよね」で見過ごしては、どうしても限界がある。独り暮らしに、片付けなどの環境面、そして金銭面の両方で一度「失敗」した。その失敗をコントロールするために、医療に頼ってみたくなったのだ。

診断を受けてみると、初診にも関わらずなんともあっさりと「うん、きみ自分でも疑ってるけど、ADHDの可能性が極めて高いね」と言われた。

初診で受けた簡易検査。グレーの枠にチェックが多いほどADHDの疑いが強いらしい。
紹介状と、軽い問診と、この簡易検査で診断を下された。

さらに「詳しい検査も一応あるにはあるけど、簡易検査でこの結果なら、時間とお金の無駄だと思う。ADHD治療は、環境調整とかカウンセリングとかいろいろあるにはあるんだけど、結局は薬を飲むか飲まないかだよ。どうする?」とこちらもあっさりと薬物療法を勧められてしまった。正直、精神医療は判断基準が主観に依るもので曖昧だし、もう少し疑われたり慎重に判断されるものだと思っていて、呆気にとられてしまった。

そんなこんなで、医療にかかってわずか1週間足らずで、ADHD治療薬「コンサータ」が処方された。

いままで、ずっと「過度なうっかり」や「極端な興味のアリ/ナシ」を抱えて生きてきた。それを悩んだり、受け入れたり、総合的には「みんな違うものだし、自分も多少周りとはズレてる特性があるんだろう」くらいに思って過ごしてきた。環境も良かったためか、過度な苦労をしたつもりはない。日常生活とあまりにも溶け合う形で、私にとっての「あたりまえ」として付き合ってきた。それらの特性が、こうも簡単に「ADHD」と名前のついてしまうものなのか。

しかし、その翌日に初めて「コンサータ」を服用した日は、そんなことはどうでもよくなってしまうほど、世界が一変した。


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