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展覧会「宗達―物語の風景 源氏・伊勢・西行―」和泉市久保惣記念美術館 / 美術館ルポ・東晋平

ヘッダー画像:〈源氏物語松風図〉
(和泉市久保惣記念美術館蔵)

 この秋、大阪府南部にある和泉市久保惣くぼそう記念美術館で、特別展「宗達―物語の風景 源氏・伊勢・西行―」が好評開催中です。『蓮の暗号』の著者であるひがし晋平しんぺい氏に、同展の見どころと同美術館の魅力について寄稿してもらいました。


 和泉市久保惣記念美術館では、2018年秋に特別展「土佐派と住吉派―やまと絵の荘重と軽妙―」を、2021年秋には特別展「土佐派と住吉派 其の二―やまと絵の展開と流派の個性―」を開催してきた。

 今回の展示は、近世やまと絵を考える上で土佐派・住吉派と並んで重要な位置を占める俵屋たわらや宗達そうたつにフォーカスしている。

 室町時代に朝廷の絵所として京で隆盛を誇った土佐派であったが、織豊時代には狩野派の躍進もあって勢いを失い、戦乱を避けて堺に拠点を移した。なお17世紀半ば光起の代には絵所領職に復帰している。
 本展では、その土佐派が不在になった時期の京において、台頭し活躍した絵師としての俵屋宗達を捉える。

 土佐派の画業において「源氏物語」は重要なモチーフであった。宗達と宗達工房の描く源氏絵は土佐派とは作風を異にしており、近世やまと絵の全体を考える上で外すことができない。


謎の天才絵師・俵屋宗達

 俵屋宗達は17世紀初頭に京で活躍した絵師で、今日では「琳派」の祖の一人として挙げられる。

 国宝〈風神雷神図屏風〉(建仁寺蔵)は、誰もがそのビジュアルに見覚えがあることだろう。同じく国宝の〈源氏物語関屋及び澪標図〉(静嘉堂文庫蔵)、本展の前期でも展示された国宝〈蓮池水禽図〉(京都国立博物館蔵)のほか、重要文化財に指定されている作品も多い。

 また米国フリーア美術館蔵の〈松島図屏風〉も国内に残っていれば間違いなく国宝になっていたはず。宗達の下絵に本阿弥ほんあみ光悦こうえつが和歌を書いた色紙も多数現存し、本展でも見ることができる。

 日本美術史において決定的に重要な存在でありながら、俵屋宗達については種々の伝承はあるものの、生没年も居住地も確たる墓所も不明なままである。

 室町期後半から京では扇が広く一般にも人気となり、いくつもの「扇屋」が繁盛した。宗達もそうした扇絵の人気工房を構えていたと考えられている。

〈源氏物語 関屋図扇面〉
伊年印(和泉市久保惣記念美術館蔵)

 一方で、関ケ原の合戦の直後、1602年に福島ふくしま正則まさのりが嚴島神社の〈平家納経〉の修復に着手した際、このうち法華経「化城喩品けじょうゆほん」「嘱累品ぞくるいほん」や「願文」などの見返しに6点の装飾画を施したのは、作風から宗達であろうとされている。

 晩年の1630年頃には「法橋」の地位に叙せられ、朝廷の御用にも出入りしている。また千利休せんのりきゅうの養子・少庵しょうあんの残した書簡にも「俵屋宗達」の名が登場する。

 これらのことから、俵屋宗達は単なる町の絵師に留まらず、当代一流の絵師として衆目一致していた力量の人物だったことは疑いない。

 むしろ本展では、そうした宗達の特異な立ち位置と卓越した画力から、

 宗達ならびに宗達工房が制作した「源氏物語」と「伊勢物語」をモチーフとする諸作品は、平安時代から続く貴族の文化として受け継がれてきた二つの物語が、桃山時代から江戸時代初期にかけて扇の製作を生業とした宗達によって庶民に広がることを促した作品群と位置付けることができます。

和泉市久保惣記念美術館のステートメント

と見ている。

 織豊時代を経て徳川の天下泰平の時代に移行していく時期、京では本阿弥光悦をキーマンとする職能集団や豪商ら法華町衆を中心に新たな文化が花開いていく。俵屋宗達もまた詳細不明ながら、こうした法華町衆のネットワークの周辺で大きく活躍をした。

 それは先述の文言が示すとおり、平安時代から貴族が受け継いできた文化を庶民に接続していった営みであり、今日の私たちが思う〝和風〟の美意識の揺籃となっていくのである。


本展の見どころ

 さて本展の見どころを簡潔に記しておきたい。

 まず宗達の源氏絵の代表作のひとつである重文〈関屋図屏風〉(東京国立博物館蔵/展示期間10月31日~11月12日)。

重要文化財〈関屋図屏風〉
伝俵屋宗達筆・烏丸光広書(東京国立博物館蔵)

 これは全54帖の『源氏物語』のうち第16帖「関屋」を描いたもの。
 源氏のかつての愛人だった空蝉うつせみの一行が逢坂の関にさしかかったところ、源氏が石山寺へ参詣すると知り、源氏に道を譲るために待機している場面である。

 秀逸な構図の画面空間のなか、牛車を牽く牛は草でも食ませるためか放たれ、従者や牛飼い童子たちが思い思いの動作で時間を潰している。

 宗達工房が関与したと考えられる源氏絵としては、54帖の場面を描いた〈源氏物語図屏風〉がある。残念ながら、これは昭和期に入って断簡として切り分けられ、各地の美術館や諸家に散逸してしまった。

 本展では、三井財閥のだん琢磨たくまが所有した六曲一双屏風から切り分けられた54図の断簡の30図までを追跡確認し、20図を出陳している。そのうち本記事のヘッダーに挙げた〈松風図〉と〈横笛図〉は和泉市久保惣記念美術館の所蔵である。

 次に伊勢物語絵については、宗達工房の制作と伝えられる「伊勢物語色紙」があり、現在59図が発見されている。大画面の屏風などに比べて小品である色紙は、やはり人物の心持ちが表情などにも繊細に見て取れる。

〈伊勢物語図色紙 第一段鷹狩〉
益田家本(個人蔵)

 本展では、京都国立博物館、九州国立博物館、MOA美術館、五島美術館、出光美術館、サントリー美術館、細見美術館など、国内の著名ミュージアムから36点の伝俵屋宗達筆〈伊勢物語図色紙〉が一堂に会する。

 宗達はまた〈西行物語絵巻〉を模写しており、その原本となったのは海田采女祐相保かいだうねめのすけすけやすが1500年に描いたものだとされる。
 こちらは本多伊豆守富正ほんだいずのかみとみまさの依頼で、後水尾ごみずのお天皇の信任篤かった公家の烏丸からすまる光広みつひろが宮中の禁裏御本を借り受け、絵を宗達が、詞を烏丸が担当して1630年9月までに写し終えた。

 本展では、津軽家本断簡(個人蔵)、毛利家本断簡(文化庁蔵)のほか、重文に指定されている渡辺家本(文化庁蔵)も出陳されている。パース図のようなタッチの宗達の絵に加え、能書家として名高かった烏丸光広の端正な筆致も見どころであろう。

 さらに、やはり重文指定の〈扇面貼付屏風〉(醍醐寺蔵)、〈扇面散屏風〉(東京国立博物館蔵)は、扇屋としての宗達の名声を彷彿とさせる。

 国宝〈蓮池水禽図〉(京都国立博物館/展示は10月8日で終了)、〈鴛鴦図〉(個人蔵/展示は前期まで)、〈山帰来図〉(東京国立博物館蔵)、〈牡丹図〉(東京国立博物館蔵)といった水墨画は、宗達という絵師の画力をいかんなく示すものだ。

 本阿弥光悦とコラボした和歌下絵の数々、重文指定の〈秋草図屏風〉(東京国立博物館蔵/展示は前期まで)など充実した出陳である。

 これほどの重要作品の数々を本展に集めることができたのは、和泉市久保惣記念美術館が継続的に意義ある展覧会を企画してきたことと、同館自身が質の高いコレクションを有しており、各地の美術館などとのあいだに日頃から〝貸し借り〟のネットワークが機能している信頼関係も大きいという。

〈伊勢物語図色紙 第六段一芥川〉
益田家本(大和文華館蔵)


「久保惣」の英断が生んだ美術館


 最後に和泉市久保惣記念美術館について。同美術館は和泉市立の美術館として1982年に開館した。日本と中国の絵画、書、工芸品など東洋古美術を主に約12,000点を所蔵する。

 泉州地域(大阪府南西部)は古代から栄えた土地で、江戸時代からは綿花栽培が普及して和泉木綿の産地として繁栄した。

 初代久保くぼ惣太郎そうたろう氏(1863-1928)が明治19年(1886)に創業した「久保惣」は、泉州有数の綿企業として1世紀にわたって地域を牽引してきた。二代惣太郎氏(1889-1944)は表千家に師事して東洋古美術を蒐集し、三代惣太郎氏(1926-1984)は絵巻物の蒐集に努めた。

 戦後、繊維産業が途上国に圧されて徐々に低迷するなかで、「久保惣」にも経営者の病気や工場火災など困難が相次いだ。

 三代惣太郎氏と弟の久保恒彦つねひこ氏はついに「久保惣」の廃業を決断する。その際〝美しく滅びたい〟として地元への報恩と地域文化発展への願いを込め、邸宅跡地に美術館を建設し、敷地、建物、茶室などとあわせて蒐集してきた美術品を、運営資金3億円とともに和泉市に寄贈した。

 その後も1997年には新館が寄贈され、音楽ホール、市民ギャラリー、市民創作教室、研究棟も追贈される。約5,000坪の敷地と蔵書67,000冊を有し、個人コレクションを基とした美術館としては国内有数の規模と質を誇る。

美術館外観

 本館も新館も白壁と大和瓦を用いた数寄屋風の美しい意匠。昭和10年代に建てられた茶室・聴泉亭と惣庵は、それぞれ表千家の茶室(残月亭・不審菴)を写したもの。
 新館を見学した来場者は、水音や鳥のさえずりの響く日本庭園の脇の外通路を進んで、蔵を模した市民ギャラリーや音楽ホールの前を抜けて本館に至る。邸宅跡の風情が漂う敷地内をめぐるのも、この美術館を訪れる楽しみになるだろう。

 目下、訪日外国人旅行者も日本文化のより深い部分、ローカルな地域の文脈に新たな魅力を見出しつつある。同美術館は大阪市内からアクセスもよく、今後はかならず海外の美術ファンにも人気が高まるのではないかと私は期待している。



画像はすべて和泉市久保惣記念美術館提供

和泉市久保惣記念美術館サイト
大阪府和泉市内田町3-6-12
特別展「宗達-物語の風景 源氏・伊勢・西行-」
会期:2023年9月17日(日)~11月12日(日)
出陳目録

東晋平(ひがし・しんぺい)
1963年兵庫県生まれ。文筆家・編集者。著書に法華経と日本文化の関係を考察した『蓮の暗号』。現代美術家・宮島達男の『芸術論』などの編集を担当。


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