見出し画像

単向街書店 ―― 日中の人文交流を支える「知の生態系」/ ルポ・南部健人

 独自の選書と、モダンな空間づくりで、中国で話題の独立系書店・単向たんこう空間。その海外初店舗となる「単向街たんこうがい書店(One Way Street Tokyo)」が銀座にオープンしました。書籍販売のほかに、カフェ営業や文化サロンも実施する同店について、ライター・翻訳家の南部健人さんが取材しました。

日本を通して西洋を知る

 19世紀後半、中国(清)は大きく揺れていた。

 2000年以上にわたって続く皇帝支配のもとで作りあげられた根深い封建社会。それは国内に格差と腐敗を蔓延させ、ひいては国力を低下させた。都の北京では度重なる戦火で街が破壊され、至るところが廃墟と化していた。苦しい現実が民衆を追いつめ、巷間ではアヘンが出回っていた。

 自国の衰退に危機感を覚えた多くの中国の知識人が向かった先の一つが明治日本だった。彼らは亡命や留学などの形で、すでに西洋化が進んでいた日本にわたり、西洋思想・文化を受容していった。
 孫文、梁啓超りょうけいちょうといった革命家だけでなく、魯迅、郭沫若といった文化人なども含めて、近現代中国のいしずえを築いた多くの中国人が、日本で暮らした経験を持っている。「民主」「社会」「自由」など日本で和訳された数多くの外来語が、彼らの知的活動を経由して中国へ伝えられ、現代中国語にも息づいていることはよく知られている。

 日本では明治に入ってから、新聞と雑誌の創刊が相次いだ。当時の社会において、それらは多様な考えを世の中に向けて発信する最新のメディアだった。当時、日本に滞在していた梁啓超や、魯迅と弟の周作人などは、日本でさまざまな人に出会い知識を吸収していっただけでなく、自らも新聞や雑誌の創刊や編纂に携わり、中国の民衆を広く啓蒙していった。中国が近代国家として生まれ変わるダイナミズムの底流には、日中間の多層的な知の交流があったのだ。


中国からの眼差し

 2023年8月――。そんな日中の先人たちの営みと深く共鳴するような書店が東京・銀座にオープンした。

 名前は単向街たんこうがい書店(One Way Street Tokyo)。銀座と京橋の境となる銀座桜通りに面した、ガラス張りのファサードと白い壁面が印象的な2階まである店舗だ。単向街とは、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンの「Einbahnstraße(一方通行路)」に由来する。
 中国では2005年に創業され、その後に「単向空間」と名称を新しくし、今では北京、上海、蘇州など全国計8ヵ所に展開している。

 創業に携わった中心人物の1人が許知遠きょ ちえんさんだ。実業家のほかに、作家、ドキュメンタリー番組の司会者などさまざまな顔を持つ。また、在野の研究者として、上述した梁啓超に関する単著も上梓している。

 モダン建築の外観が特徴的な単向空間には、文学や思想、アートやデザインなどの分野の書籍が多く置かれている。同書店の擁する専門の選書チームによってセレクトされているのだという。

 同書店にとって、銀座にオープンした「単向街書店」は初の海外店舗となる。足を踏み入れると、吹き抜けの店内に、アートを含む人文系を中心とした書籍がずらりと並んでいる。選書のコンセプトが中国の店舗と一貫していることが見て取れる。

 もちろん、銀座店ならではのこだわりもある。同書店の日本側の代表取締役を務める松本綾さんは次のように語る。

 中国で出版された日本に関連する書籍を多く取り扱っています。タイトルを眺めるだけでも、今の中国の読者や出版人が日本の文化や社会に対して、どういった関心を抱いているかがよく分かるかと思います。

 本棚をよく眺めると、『枕草子』などの古典文学の訳書や、地方の伝統工芸に関する専門書があるかと思えば、インテリアデザインに関する本や、現代アートの作家や写真家たちの大型本などさまざま並んでいる。工夫の凝らされた装丁の本も多く、思わず手が伸びる。1冊1冊の本の向こう側から、隣国の読者の知的好奇心に満ちた眼差しが向けられている気がした。

 銀座店全体を通して、「アジア」というテーマも貫かれており、日本語と中国語だけでなく、韓国語、英語の書籍などが置かれていて、合わせて3000冊を超えるのだという。そのほか、東アジア以外のアジア諸国をテーマにした書籍もいくつか見られた。


コロナ禍が生んだ出会い

 松本さんは、同書店の代表取締役に就任する以前から、東京の浅草で9年以上にわたって旅館業を営んでいて、今は二足の草鞋を履いている。その松本さんが許さんと出会ったのは2020年の初春のこと。仕事で訪日していた許さんは、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて中国に戻れなくなり、東京に長期間滞在せざるをえなくなってしまった。そのとき、許さんが宿泊先に選んだのが、松本さんの経営する宿だった。

 日本でもコロナ禍が始まったばかりで、旅館業は大きなダメージを受けていました。すっかり人がいなくなってしまった宿に、知人の紹介を受けて、許さんが1人泊まりにきたんです。最初の1ヵ月ほどは、ほとんど交流はありませんでした。仕事に打ち込んでいたのか、許さんは1日中部屋に缶詰め状態で、「彼は一体何をしている人なのだろう」と私は少し遠めに見ていました。

 やがて2人の間に交流が生まれ、意気投合していった。許さんは当時、6ヵ月ほど日本に滞在し、好奇心の赴くまま日本の様々な場所へ足を運んだのだった。その際、松本さんが案内役を務めることもあった。
 その頃から許さんは、「東京にアジアの文化のつながりと多様性を育む書店を開きたい」という夢を松本さんに何度も熱く語っていたのだそうだ。

 その当時は、私はいつも空返事をしていたんです。ところが、コロナ禍が落ち着いた今年(2023年)に許さんが日本に来て、そのときも「東京で書店をやるよ!」と目を輝かせて言っていたんですね。「ああ、この人は本当にやる気なんだな」と彼の熱意を知って、私もそこで腹をくくって、自分にできることで力になろうと決めました。

 銀座という場所を許さんに提案したのは松本さんだった。物件探しを引き受けた松本さんは、許さんと重ねた対話を振り返える中で、彼が思い描く「アジアの文化のつながりと多様性を育む」というビジョンにぴったりな場所は、銀座を置いてほかにはないと考えた。

 書店が入っている今の物件と出合った際にも、旅館業の経験に裏打ちされた松本さんの五感が「ここだ」と反応を示した。念のため、いくつかの案を用意して許さんに最終の判断を仰いだが、彼も全くの同意見だった。2人の間にはすでに厚い信頼が生まれていた。


文化を創出する知の生態系

 店内に入ると吹き抜けの空間に螺旋階段が上階へと伸びているのが真っ先に視界に飛び込んでくる。手すりをつかんで、体を少しねじりながら、階段をゆっくり上っていくと、どこか意識のスイッチが切り替わるような感覚を覚える。

 2階にはカフェスペースとイベントスペースを兼ねた空間が広がる。1階ではドリンクと軽食が販売されており、ここで一息つきながら、購入した本を読むことができる。取材の日、ここで松本さんがドリンクメニューから香ばしい匂いが漂う龍井ロンジン茶(中国茶の緑茶)を選んで淹れてくれた。

 単向街書店では毎週末を中心に、文化サロンを開催している。アカデミックな講座や、ドキュメンタリー映画の放映会、あるいはカジュアルなトークイベントまで、さまざまなプログラムが準備されている。今はまだ中国語がメインのイベントが多いが、今後は日本語や英語でのイベントも増やしていきたいと考えているようだ。

 かつて中国メディアからの取材に対して、許さんが単向空間のことを「生態系/エコシステム」と描写していたのが心に残っている。中国の店舗内でも書籍販売とともに、文化サロンも盛んに行われているが、じつはもう1つ独自の取り組みがある。それが「単向街書店文学賞」だ。

 2016年に許さんのアイデアで創設された同文学賞。そこには、「これまでになかった新しい基準をもって、まだ若い表現者や、これまで見落とされてきた人たちにスポットライトを当てたい」という許さんの思いが込められている。多くの新進気鋭の作家を発掘してきた同文学賞は、回を重ねるごとに注目を集め、今では中国全土100以上の書店が選考に関わるまでに成長した。書店経営、イベント運営、そして文学賞の開催。この3つが有機的に作用し合い生態系を形成して、単向空間は中国の出版業界に大きな影響力を誇る存在となった。

 銀座店にも同文学賞を受賞した作品が並んでいる。ここには、中国から日本に向けられる知的好奇心だけでなく、中国の今の知性を覗き見ることのできる〝窓〟がある。窓は常に双方向へと開かれている。

 書店ですから、もちろん本は売り続けますし、選書にも力を注ぎます。とともに、ここは日中の知の現状を知ることのできるメディアでもあり、サロンを介して人と人が出会うプラットフォームでもあります。新しいテクノロジーの力も借りながら、そうした機能をより強化し、この書店を〝文化創出の機構〟にしていきたいと思っています。(松本さん)

 松本さんは最近、あることがきっかけで、自身と中国のつながりの深さを実感したのだという。それは家族から曾祖母についての話を聞いたときのことだった。松本さんの曾祖母はかつて満州で暮らし、しかもそこでホテル経営などのビジネスを手がけていたのだ。「今の私と重なる」と松本さんは縁の不思議さをしみじみと感じた。

 コロナ禍という想定外の事態から生まれた出会いをきっかけに、オープンが本格化していった単向街書店。今後、ここから日本、そしてアジアに向けて生み出される新しい文化に要注目だ。



単向街書店 東京銀座店
所在地:東京都中央区銀座1丁目6−1 銀座クレッセントビル 1-2F
TEL:03-6263-0116
営業時間:11時00分~20時00分
公式HP:https://one-way-street.com/ja/
X(旧Twitter): https://twitter.com/OwspaceGinza828
Instagram : https://www.instagram.com/onewaystreettokyo/

写真:Yoko Mizushima

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?