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#4.漫画「SLAM DUNK」がバイブルだったバスケ少年は、如何にして映画『THE FIRST SLAM DUNK』の作画監督になったか 〜またはアしやの異常な愛情〜

その4.バスケ部入部!

いきなり大きな話になってしまいますが、私がここまで進んできた人生において、大切なターニングポイントになった瞬間は多々ありました。
今振り返って、その時その時で、重要だと感じているのは自分の直感による一歩足を踏み出す意志の力と、信頼できる方からの背中を押してくれた一言です。そのどちらかだけでも進むべき方向を見誤ったり、迷ってしまい決断ができなかったりしていたはずです。
最終的に決断を下すのは自分ですが、やはり、その時その時で周りにいてくれた方々のお陰で今があるのだと、感謝することが多いです。

急に自己啓発セミナーみたいな思想系に転向したわけではありません。笑
おそらくこのブログで記す多くのエピソードが、そういう構造になっていくだろうと予想されるからです。

「あきらめたらそこで試合終了だよ」

かつてミッチーに安西先生がかけてくれたこの一言のように、自分の生き方や進むべき道を手助けしてくれた多くの場面がありました。


中学校バスケ部入部

話を元に戻します。↑↑「〜その2」で、小学校の友人「マッちゃん」に誘われ、中学進学と同時に入部した「男子バスケットボール部」。
上述したように、この「マッちゃん」の誘ってくれた一言が、その後の人生を大きく左右したのでしょう。私とバスケを繋いでくれた恩人です。

そして入部後。
1年生の時は、顧問の先生がベテランの落ち着いた雰囲気の先生でした。申し訳ないことにお名前を失念してしまったのですが、、見た目の雰囲気はどことなく陵南の田岡茂一監督に似ていらっしゃったので、ここでは田岡先生(仮)にしておきましょう。
その当時、新入部したての私たち1年生にとっては、3年生の先輩たちはもう大人のような、だいぶ歳の離れた雲の上の存在、のように感じられて、今思えば2歳しか違わないんで大した差ではないのですが、やはりゴリこと赤木のような威圧感をみなさんから感じていました。
まして私は小学生の頃にスポーツや少年団の経験ゼロなので、体育会系のスポーツマンたちのガタイの良さとか、全てが異世界でかなり不安だった記憶があります。
後々色々な場面で先輩たちと接しているうちに、3年生の皆さんはどちらかといえば堅実で穏やかな実力派揃いのスポーツマン系、1個上の2年生の先輩たちはもう少し勢いのあるオラオラ系の、言い方は失礼かもしれませんがちょっとリョーちんとかミッチー系のヤンキー系の素養も持ち合わせた、でも話してみると気さくだったりおちゃらけたりもしてくれる、そんな各学年のカラーがあったように思います。
でも先輩の皆さんには、慣れない最初こそ圧倒されていましたが、皆さん後輩思いの、時には厳しく、時には温かく練習や指導してくれた思い出があります。

運動部系初経験で、右も左もわからない自分にとって、やはり「バスケ」を最も強烈に感じさせたのは、先輩たちの平均身長です。
中学の同じ体育館で、時折コートを半分シェアして練習していた「バレー部」もそうだったんですが、兎に角デカい!
もちろん、上背はそれぞれ様々で、ポジションがポイントガード(PG)やシューティングガード(SG・当時はセカンドガードなどとも呼ばれていた)辺りの担当であれば低い人もいますが、やはりゴリたちのようなセンター(C)や花道のポジション・パワーフォワード(PG)辺りの人たちは皆、背が高い。
中学生の部活動なので、さすがにゴリや魚住、翔陽の選手たちのように2m級の選手はまだいなかったと思いますが、それでも、やっぱりみんなこんな背が大きいんだ!と衝撃を受けた記憶があります。

先輩たちの威圧感をイラストで表すと…↑↑
ちょうどこんな感じ。怖いよ。正直言うと最初、怖かったよ。。


それでも、そんな体格に恵まれた先輩方やチームのみんなと一緒に、本当に本格的にバスケを始められるんだ!というドキドキ感や期待も大きく、ひとまずはアしや少年のバスケ部生活が幕を開けるわけです。

私と一緒に1年生としてバスケ部に入部した仲間に、先述の誘ってくれた友・「マッちゃん」、そしてマッちゃんと同じくミニバス少年団からバスケを続けていた実力派で、後に私たちの代のキャプテンとなる「テルちゃん」、小学校は学区が違っていたけど、中学校から一緒になり、バスケの堅実な実力で後のレギュラーになる「クラさん」、そして小学校時代から背が高く、体格に恵まれチームの支柱となる期待を一身に受けた「ムラタ」たちがいました。
彼らと一緒に、自分たちも将来のベンチ入りやレギュラー入りを目指して頑張るんだ!と、期待に胸を膨らませていたものです。

自分の故郷の同じ市内に、中学校は5校ありました。最初のうちは初心者なので、バスケ部についても市のレベルや勢力図についても何も知らなかった私ですが、段々と月日が進み色々分かってくると、自分の進んだ「柏陽中学校」は市内で最強、というわけでもなく、大体3位くらいの中堅校だったことが分かります。
自分が当初雲の上の存在と感じ、体格にも恵まれ、バスケのスキルもプロか?(この当時まだ日本バスケのプロのことも知りませんし、厳密には当時日本にバスケのプロリーグもありませんでした。)と思うほど電光石火のスピード感に目が追いつかない、くらいに感じていた3年生の先輩たちも、まだ勝てない強豪チーム、上には上がいて、更に年次が進むと、その市内の最強チーム校も、管内(北海道の中体連や全中大会は、市内→「石狩」「胆振」「日高」などの管内→全道とブロックの段階があります)ではそれほど強くもない、ということなどが明らかになっていきます。明らかになっていくと言うより、運動部やバスケ界隈事情に無知だった私が情報を知っていった、と言う方が良いでしょうか。

田岡先生(仮)の指導のもと、バスケ経験者の強者揃い、と目に映っていた先輩たちのチームが、実際にはそう強豪でもない、言わば花道たちが入部する以前の湘北のような、どこにでもある普通のチームだったことを知るのです。

3年生の先輩たちの、最後の大会の頃でしょうか。
あんなに練習したのに。あんなにフットワークやったのに。あんなに走り込みしたのに。
練習での、3on3や5対5、5対5はハーフでもフルコートでも、先輩たちに勝てたことは一度もなかった。初心者の自分なんか、練習でさえ一矢報いるどころか、何をやってもいいか分からずただコートで声だけ出して、気づいたら出番が終わっている、それぐらい高く、厚い壁だと、同時に、尊敬する先輩たちだと毎日思っていたのに。
中学と高校の違いはあるにせよ、花道たちの湘北で言う、県大会と同じ全道大会にすら進めず、尊敬する先輩たちの夏は終わりました。

まだ部活を始めて4ヶ月足らずの自分は、勿論花道のように急成長するわけでもなく、何も出来ない実力のまま、悔し涙すら流せない、最初の現実を味わった気がしました。


#バスケ部 #THEFIRSTSLAMDUNK #SLAMDUNKMOVIE #最後まであきらめない男 #あきらめたらそこで試合終了ですよ

いつまで続くのか、どんな形で終われるのかまだ決めてはいないのですが、先日発表されたBlu-ray・DVDの円盤発売に向け、少しでも盛り上がっていければ良いかなあと思っています。
新宿区の激戦を勝ち抜き、なんとかGETできた『THE FIRST SLAM DUNK』1・23復活上映のチケット。再上映まであと2日!と迫ってきました。
同じくチケットGETされた皆様、ともに大いに盛り上がりましょう!
全国大会の大舞台に行けるなんて、やっぱり相当すごいことなんです。

ここまでご覧いただき有り難うございました。ご興味がありましたら、是非続きをお待ちいただければ幸いです。🏀🤜🤛🟥


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