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永遠の季節へ、フィッシュマンズ「LONG SEASON」

みなさんこんにちは。

いやぁ待ちに待った夏が来てしまいましたね。今年も台湾だかどっかよくわかんねぇ東南アジアあたりに旅行に行ったり、地元に帰って高校の同級生とかと朝まで飲み明かして夜中3時くらいにビール缶で缶蹴りし始めたり、悲しいことに自分と気の合う音楽の趣味の人がいないから一人悲しくフェスに行って最高のライブ見てひとり悲しくインスタに写真アップしたり、嵐の後のムシムシとした神宮でウンコみたいなスピーカーからなる空虚なディスコと野郎どもの声援とサイリウムに照らされる乃木坂46を見る夏が来ましたね。




、、、そんな夏も今や昔の話。

おい、2021年はなにもかも良くなってるはずだから今年一年は我慢しようって言った奴出て来いよ。ってそれ言ったの俺じゃねぇか。

Twitterを開けば嫌なニュースばっかで、今年最大のヒット曲はふぁああうっせえうっせえうっせわでふぁあうんざりうんざりうんざり。

まぁそんなわけで家に鬱々と引き篭もってばっかでも面白くは無いので、元々やっていたフットサルを最低週2ペースでやったり、適当に馴染みの無い街に繰り出しては探検したりと、適度に外に出るようになったクーラーが無いと生きていけないニートこと筆者なわけだが、特に最近は歩くことにハマっており毎回散歩BGMとしてかけている曲があるので紹介したいと思う。

フィッシュマンズで「LONG SEASON」


唯一無二のバンド、フィッシュマンズ

つい最近「映画フィッシュマンズ」というドキュメンタリー映画が公開されたので見てきました。

90年代の東京に、ただ純粋に音楽を追い求めた青年たちがいた。彼らの名前は、フィッシュマンズ。プライベートスタジオで制作された世田谷三部作、ライブ盤「98.12.28 男達の別れ」をはじめ、その作品は今も国内外で高く評価されている。
だが、その道のりは平坦ではなかった。セールスの不調。レコード会社移籍。相次ぐメンバー脱退。1999年、ボーカリスト佐藤伸治の突然の死……。
ひとり残された茂木欣一は、バンドを解散せずに佐藤の楽曲を鳴らし続ける道を選ぶ。その想いに仲間たちが共鳴し、活動再開。そして 2019年、佐藤が世を去ってから 20年目の春、フィッシュマンズはある特別な覚悟を持ってステージへと向かう——。過去の映像と現在のライブ映像、佐藤が遺した言葉とメンバー・関係者の証言をつなぎ、デビュー30周年を迎えたフィッシュマンズの軌跡をたどる。
(「映画フィッシュマンズ」公式サイトの紹介文引用)

これがすごく素晴らしい映画でして、上映時間約170分のボリューム感があるものの、様々な小さな事象が積み重なり時代に翻弄される若者たちの青春群像劇といった趣の音楽ドキュメンタリーでした。


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フィッシュマンズをよく知らない人のために説明すると、90年代のアンダーグラウンドシーンにおいて独特の光を放った孤高のロックバンドでして、レゲエやダブを基調とした音楽性であり、フロントマンの佐藤伸治が亡くなって20年近く経った今でも大きな影響力を与えているバンドです。

ヒット曲があるようなバンドではないですが、強いて代表曲を挙げるとするならば1993年にリリースした「いかれたBaby」という曲があります。

比較的初期の頃の楽曲なんですけど、ダブの音響処理が行き届いたスペーシィなレゲエサウンド、シンプルだけどタイトなリズム隊、そして中性的な歌声で紡がれる言葉数こそ少ないながらに人の心を捉える歌詞がとても印象的な楽曲です。

実に多くのアーティストがこの曲をカバーしており、山崎まさよし、山崎まさよし、ハナレグミ、竹中直人、加藤ミリヤ、直近だと上白石萌音なんかがカバーしています。この楽曲を聴いただけでもわかると思うが、フィッシュマンズが織りなすサイケデリックな浮遊感のあるサウンドは唯一無二と言いますか、実に不思議な音楽であることが窺えます。

そんな彼らのシーンにおける存在感を絶大なものにしたのが、1996年にリリースされた傑作「空中キャンプ」です。

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リリース前年にレコード会社を移籍した彼らは世田谷区にプライベートスタジオ「ワイキキビーチスタジオ」を作ります。またこの時期にキーボードのハカセが脱退したことで、スリーピース体制になったことで人数が減ったことが起因したのか楽曲の構造はループを多用したものになり、サウンドの方も非常にソリッドにそぎ落とされることになりました。

「空中キャンプ」というアルバムはそのような偶発的かつ徹底的な引き算の美学が遺憾なく発揮された作品であり、基本的に足し算的思考でサウンドを構築する邦楽シーン(例えば近年人気の山下達郎を筆頭としたシティポップは足し算的構造で作っていますよね)において強烈なインパクトを残しました。ループを多用したことで繰り返すことによる心地よさ、佐藤伸治の歌声とリリックが織りなす非日常性、浮遊感のあるサウンドに相反する地に足ついたリズム隊、これらすべての要素がビッタビタにハマったことで唯一無二の音世界が完成したわけなんです。

「空中キャンプ」の中でも特筆すべき楽曲であるのが、先行シングルとしてリリースされた「ナイトクルージング」です。

はっきり言ってしまいましょう、これは合法ドラッグです。

日本では大麻がダメなのに、なぜ「ナイトクルージング」と「日向坂で会いましょう」が普通に楽しめてしまうのか非常に理解に苦しみます。

上述のループ感、浮遊感のあるサウンド、必要最低限の言葉だけで紡がれたリリック、あまりの心地よさに気付けば我々リスナーの体もUP&DOWN, UP&DOWNと体を揺らしてしまっています。ここまで体が極上の快楽に身を包まれるのはハワイアンズでプール遊びに疲れ切った後に入る露天風呂か、飲み会終わりでグダグダに酔っぱらった時にこってりとした豚骨ラーメンをすするときか、「ナイトクルージング」を聴くときかぐらいです。つまりとても退廃的でありダメだとわかりつつも、逃げ込みたくなるような危うい快楽性というのがフィッシュマンズというバンドの最大の魅力なんですよね。


なぜ今「LONG SEASON」なのか?

さてそんなフィッシュマンズなわけだが、このバンドは定期的に再評価されることが多いバンドとしても有名ですね。というのも上にリンク張った楽曲なんかを聴けばわかるが一筋縄でいかないと言いますか、非常に癖の強いバンドであることは否めません。

まず好き嫌いが分かれる要素として大きいのは佐藤伸治の声で、僕も最初聴いた時はなんだか声変わり途中の中学生みたいな声でなんかなぁとはなったわけで。それでいて本筋のロックというよりはレゲエとかダブみたいなニッチな音楽性であることや、ヒット曲や代表曲の不在(一番知名度がある「いかれたBaby」もキャリア最盛期とは少し離れた時期の曲ですしね)。

そして何よりもどの音楽シーンにカテゴライズすればいいかがわからないんですよね。渋谷系というにはレゲエ色が強いのと微妙に時期が違うし、どんどん音楽性が深化していったせいでもはや'フィッシュマンズ'という一つのカテゴリーみたいな感じに収めた方がいいまであります。こうした本質を捉えずらい要因が多いことが災いしてか、この年代のバンドの中では高い評価を得ているにも関わらずネット上で彼らの作品のレビュー記事は体感少なく感じる気がします。しかしこうした唯一無二さが逆に時代に左右されないという特性もあり、彼らの音楽を理解できる人はどの時代も一定数増えてきているといった様相なわけなんですね。

そんな定期的に再評価の波が来るフィッシュマンズだが、今この再評価の波が非常に大きいです。というのも今Rate Your Musicという海外の音楽好きたちの間では定評のある音楽ランキングサイトの全ての年代のベストアルバムという項目において、99年にリリースされたライブアルバム「98.12.28 男たちの別れ」がビートルズの「Sgt Peppers~」やビーチボーイズの「Pet Sounds」などの名だたる名盤を抑えて18位にランクイン(ライブアルバムだけなら総合1位)、そして41位に「LONG SEASON」がランクインという不思議な現象が起きています。

この現象の特筆すべきところは2点あります。1点目はフィッシュマンズが海外で評価されているという点。日本ですら絶大な認知度を得ているというわけでは無く、あくまでアングラ規模において評価が留まっているフィッシュマンズがサブスクなどの影響で発掘されたことは、近年の海外のシティポップ人気と同様に日本の音楽評論の世界においても少なからずインパクトがあったことは窺えます。しかもシティポップがウケた理由の一つに、足し算的思考で構築された複雑なアレンジに海外のリスナーが新奇性を見出したという所があるわけですが、フィッシュマンズは真逆の引き算的思考のサウンドの構築を行います。

山下達郎の「Spakle」、こちらは非常に厚みのあるブラスを筆頭に、いろいろなサウンドを足し算の如く加えていくことで豪華絢爛な印象を与えます。またこのような情報過多なサウンドであることが、情報社会への郷愁というテーマ性を持ったヴェイパーウェイブとも親和性が高い要因です。

一方こちらはフィッシュマンズの引き算的思考の最高到達点である「ゆらめき in the air」なんですが、切り捨てに切り捨てまくったことで最低限ではあるけど絶対に鳴ってないと成立しない音だけが鳴っています。また13分という長尺な楽曲ではあるものの、時間と反比例するかの如く歌詞も少ないのも印象的で、歌詞が大好きな日本人からしたら非常にゴン攻めしているように見えますが少ない言葉で確実に捉えてくるあたりはさすがの一言です。

そして2点目に挙げられるのが評価されたのが「男たちの別れ」と「LONG SEASON」であるということです。

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というのも日本においてこれまで評価されていたフィッシュマンズの作品というのは、1996年発表の「空中キャンプ」と最後のスタジオアルバムとなった「宇宙 日本 世田谷」の2枚。これと並んで同じ世田谷三部作ではあるものの「LONG SEASON」はあまり話題にされる機会は少なく、「男たちの別れ」も話題に上がるようになったのはそれこそ海外で話題になってからという印象が個人的にはあります。

またRate Your Music内の「男たちの別れ」のレビューにおいても、アルバムのラストを飾る「LONG SEASON」について言及する記述が多いという所からも、とかくこの海外でのフィッシュマンズ人気の高さの最大の火付け役は「LONG SEASON」であることは間違いないわけなんですね。


「LONG SEASON」を巡る身体性の問題

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「LONG SEASON」というアルバムはワイキキビーチスタジオで制作された3枚のアルバム、通称"世田谷三部作"の2作目としてリリースされた作品であり、当時の彼らの創作意欲の異常性を象徴するアルバムでもあります。というのもこのアルバムの収録曲はたった一曲、「LONG SEASON」という35分の楽曲が収録されているのみだ。

先ほどネット上で彼らの作品をレビューした記事は思っているよりも少ないという話をしたが、この「LONG SEASON」に関しては歌詞などの目に見えてわかる情報が少なく、引き算的思考のバンドであるため限定的な情報でレビューを求められることがハードルを上げており、結果としてレビュー記事が少なく定期的な再評価を求められるのではと個人的には考えている。

レビュー自体は難しいと思うが個人的にはチャレンジしてみたいという気持ちと、本当に素晴らしい作品であるため多くの人に聴いてほしいなという老婆心から、稚拙な表現ながらも頑張ってこの作品を分析していきたいと思う。

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まずRate Your Musicにおいてフィッシュマンズのアーティストページを見ると、音楽カテゴリーのところで彼らがドリームポップにカテゴライズされていることがわかります。

ドリームポップにカテゴライズされていることこそフィッシュマンズの海外人気、および「LONG SEASON」を理解することに大いに繋がっていきます。個人的な話になるのだが僕はドリームポップというジャンルが好きで、その理由として身体性の有無の間で揺れ動くことに魅力を感じているからだ。

概念チックな話になってしまうがドリームポップ、またそのサブジャンルであるシューゲイザーなんかは音の大きさだけで言えばかなり大きな音が鳴っているのに、バンドアンサンブルとしては不思議と空虚かつ脆弱な印象があるものが多い。またボーカルも声を張るというよりは囁くように歌うことで不思議と安心感があり、ハードロックやパンクのようなしっかりと輪郭が見える音像のロックを聴くよりも、輪郭のぼやけたドリームポップなどの方が聴いてて疲れないというかどこか溶け合うような心地よさを感じることが出来るわけだ。

わかりやすいようにかなり極端な例を出してしまったが、前者のBon Joviの方は音にメリハリがついていて非常にバンドアンサンブルとしての骨格が見えやすい印象がある。対して後者のDIIVはサウンド自体はかなりの音が鳴っているはずなのに透き通っているというか、真空状態にあるかのような芯の無さが感じられると思う。このようなバンドアンサンブルとして骨格が見えるかという点において、自分は{身体性}という言葉を使ってジャッジしているところがある。

ではフィッシュマンズにおいて身体性という点はどうなのか?という話であるが、世田谷三部作において「空中キャンプ」では「ナイトクルージング」を除いて完全に身体性があると言っても過言ではないだろう。しかし佐藤伸治が目指した音像というのは間違いなく「ナイトクルージング」における浮遊感の演出であったため、ここからフィッシュマンズは身体性を欠如していくことになる。

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そして「宇宙 日本 世田谷」では佐藤伸治の作ったデモテープを基に肉付けして製作されたことで身体性はかなり希薄なものになっていて、レゲエ色の強い「MAGIC LOVE」ぐらいしかバンドアンサンブルとして骨格がはっきり見えるものは無い。またそのスペーシィかつスピリチュアルな風格すら感じるサウンドからよくこの作品は死の匂いがすると評されることが多いが、これも身体性の欠如による不安定さが与える印象であると考えている。

では今回の「LONG SEASON」と「男たちの別れ」ではあるが、この2作品の身体性に関してはいい感じに中庸的であり、身体性の確保を巡った揺らぎが非常に聴く物に心地よさを与えている印象が感じられるのだ。「男たちの別れ」についてはバンドアンサンブルの骨格が見える初期の曲があることや、「ナイトクルージング」や「ゆらめき in the air」などの不明瞭な楽曲もライブという生の音を体感することにより、サウンドに掴めそうで掴めない曖昧さをより際立たせることとなりました。(ここまで書いていて思ったが、かなり怪文書いているんじゃないかと不安になり始めた)

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そして「LONG SEASON」である。まず身体性が欠けている部分という点だが、まず他の作品と比べて佐藤伸治のボーカルのボリュームが意図的に低めに設定されている。恐らくこの部分が海外にリスナーが「LONG SEASON」をドリームポップの傑作として評価している要因なのかなと感じる。また効果的にSEを使ったりすることでトリップ感を演出しリスナーに自然的な原風景を想起させるような作用があること、彼らのお得意の引き算的思考が見られるサウンドメイキング(特にギターについてはかなりシューゲイザー寄りの音作りがなされてる)や楽曲に起伏を持たせるために静寂になるパートが定期的に来ること、そして基本的には同じパートをループしていることが、身体性が欠けている部分だろう。

そして身体性が確認できる点については、今作はフィッシュマンズ作品の中でも最もロック寄りのアプローチをしていることが挙げられる。レゲエ的要素はあまり見られず、特にベースの柏原譲、ドラムの茂木欣一によるリズム隊の存在感はかなり大きい。また先ほどSEによるトリップ感の演出と書いたが、一方で今作では水が滴る音のSEが多用されており、こちらはリスナーをハッとさせる印象があり幻想的な原風景から我々を引き戻してくれる作用があるように思える。

このような身体性の有無のせめぎあいとループする構造の楽曲が、幻想的なサウンドを生み出し多くのドリームポップファンの支持を得た要因なのかなと思われる。

「LONG SEASON」を一緒に聴いてみる。

ここまでかなり抽象的な怪文を書いてきたわけだが、この「LONG SEASON」という単純な音楽理論だけでは通用しない楽曲をひとえに説明することはとても難しいことが身に染みた。というわけで今回も難しいことは考えず、実際に作品を聴いてみながら思ったことをレビューしていくスタイルを取っていこうと思う。


ちなみにこちらが同様の形式を取った怪文たちです。


というわけで早速「LONG SEASON」を聴いていきましょう。

水滴が落ちる音とシーズンという一言からタイトなベースラインが鳴り始めました。

そしていきなり不穏なギターとピアノが鳴りますね。そしてキラキラとなるSEとノイジーな轟音ギターも鳴り始め、いきなり怪しげな霧が立ち込めてきましたね。それはまるで伝説のジェダイ、ヨーダを探しに来たルークが惑星ダゴバを彷徨っているかのようです。

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~02:25
ひび割れたかのようなオルガンと心の淀みを取り払ったようなシンセによるあのイントロが流れてきて、深い森林にいた私たちを6mmフィルムの中に切り取られたあの夏へといざなってくれます。

夕暮れ時を二人で走ってゆく
風を呼んで 君を呼んで
東京の街をすみから隅まで
僕ら半分夢の中

やはり東京は風を集める街のようですよ細野さん。

道路沿いに出されたテーブルで飲むビール、河川敷で集まってする花火、終電もなくなり仕方なく線路沿いを歩く夜の街、そして神宮の安っぽいスピーカーで鳴り響く乃木坂46のディスコ...

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容易に思い出せるあの光景も悲しいことに全部夢の中へと消えていった。そして佐藤伸治だけが僕らを愛の強さや恋の魔法や残した夢の続きではなく帽子の向こうへ息を読まれてはひとり空に見送ったあの夏へといざなってくれるのです。

バックミラーから落っこちて行くのは
うれしいような さみしいような
風邪薬でやられちまったみたいな
そんな そんな 気分で
走ってる

そして我々を追い立てるように、極限的なトリップを加速させていきます。いろいろな光景が目まぐるしく、走馬灯のように、スーパーソニックでハイパートニックに加速させていきます。

口ずさむ歌はなんだい?
思い出すことはなんだい?

まるでキングダムハーツの最初のチュートリアルの如く、僕らに何かを問いかける佐藤伸治。

この幻想旅行の鳴れの果ては一体何なんだろうか?


~11:08
UAによるスキャットが聴こえてきます。まるでピンクフロイドの虚空のスキャットを彷彿とさせるその歌唱は、楽曲をよりスピリチュアルなものへと昇華させていきます。

この時点で僕はもう楽曲の持つスぺクタルな音像にやられており、例の如くもう疲れたよパトラッシュ状態なのだが、The 1975の如く水滴の落ちるSEが起きろ!起きろ!起きろ!と呼びかけてきますね。

この永遠の静寂が続いてしまえば、いつまでも幸せなんだろうな、、、とそんなタイミングで鳴り始める厳かで煌びやかなSEが僕を天へといざなおうとしてきます。これは遠藤さくらなんかな???

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~16:46
といい感じに白目剥き始めたタイミングで、欣ちゃんとASA-CHANGによるバカスカドラム合戦が始まります。ハッ、これはいかんいかんとなりつつも時すでに遅し、もうすでに我々リスナーは混乱の渦の中からもう逃れることは出来ません。

我々は一体どこにいざなわれるのだろうか?

そもそも我々は一体なんなんだ?

ここはどこ?

私は誰?

のび太さん西日が眩しいわ

うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ











~20:40

???「どうやら永い眠りから醒めたようじゃな」

僕「!?」


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僕「ダンブルドア先生、ここは?」

ダンブルドア「ここは等々力渓谷と見せかけて、奥多摩渓谷じゃよ」

僕「アクセスがよくてワイキキビーチスタジオからも近い等々力じゃなくて、めちゃくちゃ行くのが面倒くさい奥多摩の方なんですね。」

ダンブルドア「八王子から先は本当の闇じゃ」

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僕「先生あれは一体なんですか?」

ダンブルドア「君の中に眠る夏じゃよ。今はなにもかも失われてしまった永遠の季節じゃよ。」

僕「永遠の、、、季節、、、」

佐藤伸治「僕ら、、、半分、、、夢の中ァ、、、」

ダンブルドア「君のいる場所はここじゃない、早くボルデモート倒してこいや」


~24:50

ぱーぱぱぱぱっぱぱー

ぱぱぱぱっぱぱー

ぱぱぱぱー

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ぱーぱぱぱぱっぱぱー

ぱぱぱぱっぱぱー

ぱぱぱぱー

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ぱーぱぱぱぱっぱぱー

ぱぱぱぱっぱぱー

ぱぱぱぱー

夕暮れ時を二人で走ってゆく
風を呼んで 君を呼んで
東京の街をすみから隅まで
僕ら半分夢の中


~27:58

どうやら2021年の東京に戻ってこれたようです。

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昔少し元気のない街を横目に、嫌なニュースばっかだけが情報の洪水のように溢れている今年の夏。

それでもフィッシュマンズだけは僕らをあざ笑うかのように永遠であり続けていて、まるで時を止めた少年のように汚れてしまった僕らに何か大切なこと忘れていないか?と問いかけてくる。

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「LONG SEASON」は僕らに大事なものを思い出させてくれる幻想旅行の切符であり、こんなどんよりとした夏を彩るサウンドトラックなのかもしれない。この1曲さえあればどんなことでもなんとか乗り越えることが出来るだろう。なんとなくそう思う夏の日の夕べであった。


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