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「いだてん」の話がしたい

大河ドラマ「いだてん」は凄かった。
とてつもなく面白かった。

放送から4年程経った今でも、我が家ではまーちゃんや嘉納治五郎の真似が流行り、いだてんの魅力について語り合ったりする。私は何度もいだてんの絵を描き、SNSに載せている。自分の内側で、いだてんへの愛が溢れ続けているようだ。
どれだけ年月が経とうとも、この作品への熱は冷めない気がする。

それほど私の心に深く響いた「いだてん」という作品を、私はなぜここまで好きになったのだろう。と考えた。このnoteでは、いだてんの好きなところをひたすら語っていく。



宮藤官九郎氏の脚本の素晴らしさとキャラの濃さ

いだてんは「現代」と「過去」、落語と登場人物の行動や感情が入り交じる、大変稀有な作品になっている。
第1話の冒頭をみた時、正直に言うと戸惑いを感じてしまったが、話が進むにつれ1話の意味が分かり、鳥肌が立つほど感動した。

なんという構成力。最終話を観終えたらまた初めから返って観たくなる。そんな作品である。

そして従来の宮藤氏の作品のように、キャラクターが濃い。半端なく濃い。

いだてんは主人公が2人いるのだが、主人公の1人、金栗四三は走ることが大好きで、小さい頃からの習慣で毎朝必ず冷水浴をし、その度に「ヒャーーー!!」と叫ぶ。
普段は温和だが、走ることにかける情熱は他の追随を許さない。

もう1人の主人公、田畑政治は水泳が大好きで、「違う!!そう!!違う!!」「〜じゃんねー!!!!」が口癖の人間である。とにかく喋る。口から生まれてきたような人。彼は新聞社に入社するのだが、そこの面接シーンでは度肝を抜かれた。彼も水泳にかける想いは人一倍、いや十倍くらいである。

他にも魅力的なキャラが沢山いる。いだてんを語る上では嘉納治五郎と志ん生は外せない。

嘉納治五郎は金栗四三の師であり、田畑にとってもかけがえの無い、大切な存在である。とても偉大な人であると同時に物凄くお茶目で、演じておられる役所広司さんの魅力も加わってそれはもう大変素敵なキャラになっている。ちなみに我が家では嘉納治五郎ぽく「構わんよ」と言うことが流行っている(なんじゃそれ)

古今亭志ん生は、最初は本当にどうしようもないキャラだったが、段々落語の面白さに気が付き、自分自身の芸を磨いていくようになる…が、やはり所々どうしようもなさが伺える。そこが面白い。青年〜中年時代は森山未來さんが演じ、現代パート(1964年辺り)はビートたけしさんが演じている。森山未來さんはドラマの語りも担当しており、志ん生がどれだけこのドラマの中で大きな役割を担っているかがよく分かる。



②「勝者」ではない主人公

私がいだてんを好きな理由として2つ目にあげられるのが、「勝者」にスポットライトを当てるばかりではない所である。

実は、主人公2人はどちらとも一般に言われる「勝者」ではない。

走ることが大好きな金栗四三はオリンピックでメダルを取ったことがない。一度目のオリンピックでは走っている途中で日射病に倒れ、走りきることすら叶わなかった。
コンディション最高で絶好調の時は、ヨーロッパで起きた第一次世界大戦の影響でオリンピックが中止になるという大変ショックな出来事もあった。


水泳大好きなまーちゃん(田畑政治)は幼い頃の病院が原因で、選手として泳ぐことが許されない。

そんな2人だが、腐らず投げ出さず、境遇を呪わずに「大好きなもの」に対して何ができるか、それを考え続ける。

金栗は「走ること」を突き詰めた結果、箱根駅伝を発案した。
田畑は自身が泳げない代わりにオリンピックの水泳選手の育成に情熱を注ぎ、東京五輪の招致も果たしてしまう。

「現役選手」「メダリスト」という華やかな肩書きでなくとも、何らかの形で大好きなものに関わろうとする姿勢、これは物凄く尊いものだ。
そして、それを教えてくれるこのドラマもとても尊いのである。



③女性の描写

いだてんを好きな理由の3つ目として、これは外したくないのであるが、女性(女子スポーツ)の描写についてである。

いだてんは女子スポーツの歴史も描いている。
女性の抑圧と解放の歴史と共に。

四三の良き友であるシマは、「走りたい」という想いを抱えながら生きている女性である。当時女性はスポーツをしないものとされていた。彼女の「走りたい」という気持ちは「女子スポーツの発展」を願う気持ちに変わっていく。ここから、いだてんの「女性とスポーツ」の話が始まっていくのである。

ある日シマは、一人の女性と出会う。日本人の女性で初めてオリンピックに出場した、人見絹枝である。この時はまだ学生で、テニスが頗る強いことで話題を呼んでいた。
シマは彼女に、女子スポーツの未来を託す。託された人見は、オリンピックで銀メダルを獲得する。
女性がスポーツをすることがまだ珍しかった時代、言われない中傷を受け、「化け物」「六尺女」と彼女は笑われる。
そんな状況の中、女子スポーツの未来を閉ざさぬよう、人見は懸命に腕を振って800メートルを走りきった。
このシーンを観た私は自分でも驚くほど泣き、そして魂が揺さぶられた。抑圧されていた女性が自分で殻を破る瞬間が美しかった。

人見絹枝はその後、若くして亡くなってしまう。
しかし、彼女がシマから受け取ったバトンは、途絶えることが無かった。

人見絹枝が銀メダルを獲得した8年後、前畑秀子という女性が日本人女性初の金メダルを獲得する。彼女の専門は水泳で、自身一度目のオリンピックでは銀メダルを取った。彼女はそれで満足していたが、日本国内から「次は金メダルを」という期待の声が沢山あがり、それをプレッシャーに感じるようになってしまう。ただ彼女はそれに負けず、懸命に練習をした。銀メダルを獲得し、次のオリンピックが始まるまでの4年間、ずっと練習をした。
その結果彼女は、金メダルを獲得した。日本人女性初の金メダル。このことが描かれる回「前畑頑張れ」は本当に熱量が凄く、自分もオリンピックの観客の1人かと錯覚してしまうほどであった。

そして戦後、1964年の東京オリンピックの種目を何にするかと考える中で、田畑はとある女子バレーチームと出会う。
後に「東洋の魔女」と呼ばれるそのバレーチームは、監督がとてつもなく厳しかった。容赦なくボールをぶつけ、「立てや!馬(選手のあだ名)!!」と怒号を飛ばし、バレーに情熱を注ぐ。
田畑は若干ドン引きしつつ、(これを競技に加えようか…!)という気持ちになっていく。

東洋の魔女が今までの女性選手たちと異なる点は、彼女達がバレーをするのが「自分たちのため」ということである。

今まで描かれてきた女性選手達は、女子スポーツの未来を背負っていたり、金メダルを!というプレッシャーの中で競技に向き合ってきた。
しかし、東洋の魔女は違う。
「自分たちが」やりたいからやる。


彼女達はまだ結婚しておらず、バレーに打ち込んでいた。
それをどこか気にしていた監督に結婚のことを心配されると、彼女達は、「これが私たちの青春です!!」と叫んだ。

自分たちがやりたいから、やりたいことをとことんやるのが青春だから!と声にする彼女達に私は大きく元気を貰えた。

また、女性関連の描写では他に、金栗が一時期勤めていた女子校のエピソードも外せない。
金栗は東京府女子師範学校に教員として勤務していたことがある。
そこで教えていた生徒の一人が、スポーツ中に邪魔だからと靴下を脱いで走った。
このことが大問題となり、「女子が靴下を脱いで走った」ことは好奇の目に晒されるようになる。
親たちはそのような格好で走ることを認めた金栗に退職を迫るが、それに反発する生徒達は教室に立てこもった。
この一連の騒動の中で金栗や生徒が発した言葉は、はっとさせられるものばかりである。

「女子が脚ば出して何が悪かね!?」
「女子には何の非もなか!」
「女子が靴下ば履くのではなく、男が目隠しばしたらどぎゃんですか!」
「走りやすい格好で走って何が悪いんですか」


現代でも、セクハラをされたり盗撮された人に「そんな唆られる格好をした方が悪い」「触られたくないならもう少し地味な格好をね…」と声がかけられることがあるが、その時はこれらの、金栗や先生がかけた言葉を思い出す。


このような台詞が登場するドラマが作られたことが嬉しくて、時代が変わりつつあることを肌で感じた。



④歴史の描写

いだてんは、1912年の日本が初めて参加したストックホルムオリンピックから、1964年の東京オリンピックまでを描いている。
(正確には、1912年より前の時代も描いてはいる)

この52年の間に、歴史では様々なことがあった。

最も印象的なことは、日中戦争や太平洋戦争である。

いだてんには小松勝という架空のキャラクターが登場する。
彼は金栗の弟子であり、走ることが好きで師匠の背中を見ながら自分もオリンピックに出ることを夢見ていた。
しかしその夢は、戦争によって壊されてしまう。

小松が徴兵され、それを送り出す回(第38回「長いお別れ」)があるのだが、この回は涙なしでは観られない。

泣くのを我慢して、辛い気持ちを抑えて送り出す小松の妻や家族達。その様が丁寧に描かれ、胸が抉られそうになった。


いつかオリンピックをしよう、その時に選手や観客の笑顔で溢れるであろうと希望を込めてつくられた明治神宮は、学徒出陣の壮行会が行われる場所となってしまった。

小松は大雨に打たれながら、銃を携えて出陣する。
この時、金栗も田畑も会場にいるのだが、いつも明るさに溢れる両者とも苦しい顔をしながら見守っていた。

いだてんは画面の色合いが場面に合わせて顕著に変わるドラマだと思っているのだが、明治神宮の壮行会の場面はモノクロかと一瞬錯覚するほど暗く、重々しい雰囲気であった。


このように、戦争によって日常や夢が壊された人々を描くと共に、日本が他国で行ってきたことを反省するような描写もあり、丁寧に、そして真正面から近代史に向き合っていると感じる。

このような誠実な姿勢で歴史に向き合い、描こうとする制作陣の態度はとても信頼ができる、と感じる。
いだてんを好きな理由は物語の面白さに加え、このような制作陣に対する大きな信頼があるから、と言える。



⑤各話のタイトル

大河ドラマでは大抵、メインタイトルとともに各話ごとにもタイトルがつく。

いだてんは、この各話のタイトルがとても秀逸なのである。
これから、特に好きなサブタイトルを挙げていきたいと思う。
(ここから先は自身の感想メインなので、ですます調になっているが、ご容赦願いたい。)

第一話「夜明け前」
嘉納治五郎がオリンピックを知り、日本にスポーツ文化が根付こうとしようとしている一話の状況にピッタリ…!

第十一話「百年の孤独」
いつもはカラッとした性格の三島弥彦(短距離選手)は、オリンピックに出場したことで他国の選手との体力の違いや、そもそも体格が全く異なり歯が立たないことに気がついてしまう。
彼の、「日本人には短距離は100年かかっても無理です」という台詞からこのタイトルになったのだろうな…と思います。
個人的に三島弥彦は大変好きなキャラなので、是非皆様に彼の素晴らしさを見て欲しい気持ちでいっぱいです。

第十二回「太陽がいっぱい」
金栗四三が日射病で倒れる回にこのタイトル…!!!(悲鳴)
本当に、太陽がいっぱいだった…
いだてんはオリンピックをただ褒め称えるドラマではなく、オリンピックの負の歴史も描いているので是非見てください。

第二十二回「ヴィーナスの誕生」
既述した女学生の反発が描かれる回のタイトルがこれ。ちなみにこの回で人見絹枝が初登場する。この2つにかかっていると思われる…とても美しいタイトル!

第二十六回「明日なき暴走」
人見絹枝さん回のタイトル。
本編観て泣いた後、タイトルの意味を考えてまたさらに泣いた。
自分が折れてしまったら女子スポーツの未来が閉ざされてしまう、という焦りのような意味の「明日なき」なのかな、とか、人見絹枝さんの短い生涯を表す「明日なき」なのかな…とか色々考えました。

第二十八回「走れ大地を」
ロサンゼルスオリンピックの応援歌として選ばれた「走れ大地」を高らかに歌う田畑政治。
ただ、その裏では五・一五事件が起きていた。
ここの演出本当に凄いのです…

第三十五回「民族の祭典」
ヒトラーによる統制やプロパガンダ、オリンピックのために一時的に緩和されたユダヤ民族の差別についてしっかり描かれた回のタイトルがこれって、とんでもない皮肉だな…と思います。タイトル考えた方、天才だ…!

第四十四回「ぼくたちの失敗」
政治とスポーツの問題について。
いだてんでは幾度か、政治がスポーツに介入することに対して、その是非や問題点を描いてきました。
(第三十五回で描かれるベルリンオリンピックは、政治がスポーツにがっっつり介入した代表例ですね…)
そしてこの回では、なんと、我らが主人公まーちゃん(田畑政治)も、そのような…政治がスポーツに介入することを容認するかのような行動をかつて取っていたことを自覚してしまいます。
田畑編の始まりで、彼は高橋是清大蔵大臣からオリンピック用の予算を取ってきます。これが巡り巡って失敗であったことに時間が経ってから気がつくのです。
宮藤さんの脚本、本当に凄いです。どうやって話の構成を考えたのだろう…

最終回「時間よ止まれ」
物語の全てが繋がって大きな輪になって、1964年の東京オリンピックに帰着する…とてつもなく壮大な物語だと、最終回を観ると思います。そしてまた一話に返りたくなる。本当に素晴らしい物語です、いだてん…!って思います。



以上を持って、私のいだてん話は一旦終わろうと思う。
(一旦と書いたのは、また何かいだてんについて描く気でいるからである)

本当に面白くて尊いドラマだと思う。
色んな方に観て欲しいし、このドラマが放送された意味についてこれからも沢山考えていきたい。
2年に1度ペースで再放送して欲しいとすら思う。


いだてんに出会えてよかったと、心から思う。

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