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「ようやく結ばれた、父との師弟関係」

 ※お檀家さまへお送りした2024春彼岸のお便りです。

 曹流寺には、お檀家さまにも参加していただく法要が年3回あります。その法要の中央で金襴の袈裟を着て導師を勤めているのが、の父であり師匠でもある堀部明宏です。今回は、あえて師匠と呼び、その経歴をお伝えします。
 
曹流寺に生を受けた師匠は、駒澤大学を卒業後、永平寺と總持寺での修行を経て、1979年からフランスに渡りました。ヨーロッパに禅を広めたことで知られる弟子丸泰仙禅師の補佐として3年半布教に勤め、28歳で帰国して曹流寺に戻りました。
 
帰国後も、師匠はフランスの禅僧グループと日本を繋ぐ橋渡しを行っていました。かつては外国人僧侶がよく来訪し、台所はフランス語と英語が飛び交っていたものです。師匠を頼った僧侶たちが曹流寺に起居していたこともあります。松坂屋の前でよく托鉢をしていたイタリア人の尼僧も、曹流寺に居候していた一人です。
 
私は、師匠が自坊で坐禅を行じている姿を見たことがありません。自分の修行に何かしらの決着をつけた転換期があったのではないかと想像していますが、今となっては確かめる術がありません。その代わりに先祖供養に打ち込み、寺門興隆と曹洞宗門への貢献にも意欲的でした。1998年には總持寺で板橋興宗禅師の侍香という大役を拝しましたが、任期半ばで辞し、その後はかつての士気を失ってしまいました。
 
師匠は、多くを語るタイプではありません。何事も一人で抱え込んで独断決行する、良くも悪くも昭和のワンマンな人間です。若い頃の経歴だけみると、志の高い素晴らしい僧侶のようですが、供養以外では、曹洞宗門の仕事や事務、庭いじりをするほかはテレビばかり見てグータラしていました。50代を過ぎると突然、兼務していた稲沢の金竜寺に会社員のように通い出し、朝から晩まで畑仕事に熱中し始めました。正直なところ、当時の私は弟子として師匠を尊敬していたとは言えません。
 
ただ一点、お檀家さまの供養に携わる師匠の姿には、圧倒的な威厳と風格がありました。法話では、私まで目頭が熱くなることもありましたし、「供養は遺された人の役目です」という何気ない言葉ひとつとっても、私が発するのとでは重みが違い、心にズシンと響く説得力がありました。亡くなった人を仏式で弔うことに疑いや迷いが一切なく、僧侶としての行いと振る舞いに100%の自信があるから、そのような空気が醸成されていたのだろうと、今では思います。
2013年の夏、師匠はくも膜下出血で倒れ、高次脳機能障害という後遺症が残りました。特に深刻なのが記憶障害で、食事や檀務など一日の出来事を全て忘れ、新しいお施主さんも覚えられず、会話が成立しないことも多いです。車の運転などもってのほか。お庫裏の言葉を借りれば「ポンコツ」なのですが、読経だけはできるので、お檀家さまの法事や葬儀、法要の導師をかろうじて勤められています。

威厳のあるワンマン住職の影に隠れ、形だけ頭を剃って免許をとっただけの、責任のない立場で僧侶人生を生きていた私は、師匠が倒れたことで状況が一変、突然この曹流寺を背負う立場となりました。
 
私がまず直面したのは、師匠のように威厳のある振る舞いができないことでした。亡くなった方に戒名を授けて引導を渡し、仏弟子として成仏する儀式に何の意味があるのか、自分自身が納得できていなかったからです。自分が導師を勤める儀式に対して疑いと迷いがある状態ですから、やること為すこと自信が持てません。かといって、今更逃げ出す勇気もありません。そこで「たまたま寺に生まれたという成り行きでお勤めをするのではなく、自分なりに仏教を心の底から信仰できるようになりたい!」と試行錯誤を重ねて奮闘し、今に至ります。
 
この10年間、私がジタバタともがいていたのは皆様の記憶にも新しいかと思います。ここ4年ほどは、縁があって坐禅修行をやり直す機会も頂きました。そのお陰で、現在ではお檀家さまの供養を相当の自信を持ってお勤めできるようになりました。
 
「立場が人を創る」「環境が人を育てる」と、よく言われます。私も、今では師匠を違う視点で見られるようになりました。師匠は師匠なりの修行を行い、自分の人生に自分なりの責任を持ち、その任を全うしつつあります。師匠が生涯をかけて見せ続けてくれている後ろ姿とその軌跡から、私はようやく、弟子として師匠を敬い、学ぶことができています。
 
「死が訪れるとき、悔いはないだろうか?」「私の人生はこれでいいのだろうか?」といった、答えの出ない漠然とした不安や疑問は誰しもお持ちのことでしょう。仏教を学び、坐禅を行じることは「私の人生はこれでいいのだ!」と納得し、迷いを払うことに役立つと、私は修行を通して実感しています。
 
私は、たまたま曹流寺に生を受け、たまたま僧侶になりました。これも仏縁だったのだと今は確信しています。皆様も、たまたま曹流寺が菩提寺となりました。これは、亡き人に導かれた仏縁です。結ばれた仏縁を、ご供養で深めて参りましょう。
 
3月17日の彼岸法要は、いつものように師匠が導師を勤めます。今回したためたエピソードは、実は師匠のお通夜で話すつもりで温めていたものです。法要を勤める師匠の姿に、改めて仏縁を感じていただければ幸いです。当日の参拝が叶わない方も、お申し込みいただきましたら不参のご供養としてお勤め致します。
 
法要の15分前から、私が法話をします。師匠のように、皆様の目頭を熱くさせることはまだできませんが、私が今、お檀家さまに一番聞いてほしい、抹香臭くもホットな話を準備しています。どうぞお楽しみに! 皆様のご参拝をお待ちしております!

今回のお便りも、仏縁のある方々の手助けのもと、皆様にお届けすることができました。
                
         堀部遊民  合 掌


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