シザーハンズ

俺の手はハサミ、エドワードみたい

で知った映画、「シザーハンズ」

このリリックは、
シザーハンズの主人公"エドワード"を指していると聞いて、
もうどうしても見たくなってアマプラでレンタル。

生みの親である科学者が、人造人間のエドワードを完全な形にする前に亡くなってしまい
手だけハサミの状態でひとりぼっちで暮らしていたエドワード。
彼がセールスマンの女性に連れ出され町で暮らし、人間と関わり、恋をして、手がハサミの自分と周りとの違いを見つめ生きる映画。

好きなアーティストの曲に、伏線みたいに使われたこの映画、
早く見たいドキドキがあったし、この次にはすごく良かったどこが感動した、って話を書きたい所存ではあるのだけれど

(以下ネタバレ含みますー!)

出てくる人がクソすぎて終始キレた。
sho-senseiもリリックの意味も
全部とりあえず横に置くほどにムカついた。

ここからは思いつく順に書くから順不同。

まず、エドワードに振られたショートカットの女。
イケメンで心が綺麗で少し変わってる、そんなエドワードの特別になりたい(この時点で恋をしているわけじゃなく、彼をアクセサリーとしてしか見ていないのが透けて見えた)女は、彼のために美容室を作り仕事の相談があると言って奥の小部屋に連れ込み襲った。
だが、途中で上に乗っかった彼女を押し除け逃げたエドワードを逆恨みし、その後エドワードの立場が悪くなるとレイプされかけたと町中に吹聴して回った。
後ほど街の人がエドワードが住んでいた城に押しかけるシーンがあるが、彼女は船頭を切っていた。だがそれはリーダーシップではない、その上自分のこと(評価や承認欲求)しか考えず、周りの意見に左右されて、純粋なエドワードをいいように振り回すその姿に怒りより気持ち悪さを感じた。
一々動画を止めながら語り、キレて、それでもまだ溜飲が下がらない。

次に街全体の人々の姿。
これはわざと皮肉って風刺画のようにしたと捉えた。
街に珍しいものがくる。(手がハサミであるエドワードを指す。彼らはエドワードを人だと思ってない。上野動物園のパンダと同じ扱いだ)
その情報を入手するや否やみんながみんな連絡網のように電話をかけまくり情報交換をする。分かりやすく描かれているから笑える人もいるだろう。が、実際にそうしている人たちは少なく無いはずだ。自分より人が気になって、自分以外の物の変化に聡い。そして評価する。批評する側になれば自分は自分を見つめなくて良いからだ。
嫌悪感を抱くようなあのシーンは、時代が変わっても現代社会の皮肉になり得てしまった。

街の女たちは
エドワードの来訪を、珍しいパンダかのように持て囃し、我こそはとブランド品を手に入れるかの如く近寄り、それが叶わないとなると童話"酸っぱい葡萄"の狐のようにエドワードをこき下ろした。
あんなにも好意的に騒ぎ立てたくせに、エドワードが冤罪で窮地に陥った時に誰一人手を差し伸べなかった。

ただ一人、エドワードが街に来た段階から彼を非難している女がいたが、その彼女の方がまだ好感を持てた。
彼女は最初からエドワードを悪魔だ、悪い、追い出せと言い、周りがいくらエドワードを褒めようがたった1人でそう言ってのけた。
言ってる内容自体は賛同できないが、信念を貫く=自分の軸を持つ、というのはそういうものだと感じる部分もあるし、その方が潔くて好きだなと感じた。

でもそんなイライラや、映画中のフラストレーションを全部0にするものがあった。

主人公エドワードが恋する相手、キムとのシーンだ。
キムの彼氏、ジムは自分たちの車が欲しかった。
だが、お金持ちの父親は望みを聞いてくれない、エドワードは手がハサミであるおかげでピッキングができる。それを使ってジムは自分の家に盗みに入る計画を立てる。
キムは反対するが結局ジムに押し負け、
盗まれたものを取りに行くためにドアを開けて欲しいとエドワードに嘘をつき強盗を働こうとする。
だが、先に入ったエドワードがセンサーにかかり閉じ込められてしまいジムは他のみんなを連れて逃げ帰る。キムは戻って欲しいと頼むが、結局エドワードに全ての罪を被せた。

迎えに来たキムの両親はエドワードに謝った。
私がジムの家をお金持ちだと言ったからそんなことしちゃったのね、ごめんね、と。
善良でありエドワードを好ましく感じている2人でさえ、エドワードのことを見ていないのだ。彼はそんなことするはずが無い、そうはならなかった。その人を見つめ理解することと好きという感情は必ずしも相関があるわけじゃないとぼんやり思った。

ただ、そこではなくその後にとてもくらわせられた。

翌日釈放されたエドワードは家でキムと遭遇する。
キムは、あそこがジムの家だと黙っててごめんなさいと謝った。
エドワードは知っていたと伝える。

キムは驚く。知っててどうして警察に伝えなかったの?あなたが全部の罪を被るなんて、と。

エドワードは、だって君が頼んだから。

その後のキムの表情がすごかった。
演技ということは置いといて、
人が自分が悪いことをしたと認め、その事に自分が傷つき、真に相手に謝罪の感情を向ける。
それが画面から伝わってすごく感動した。
それと同時に、
何もしないことは賛同してるのと一緒だということだ。

上記にも書いた通り、
実際に言ったのも手を出したのも実行したのもジムだ。
キムは止めたし、具体的には何もしていない。
でも、そんなのエドワードからしたら関係無いのだ。
私は止めたから、ジムが勝手にやった、は後から言い訳するために後出しの道具であって
エドワードからしたらキムもジムも一緒だ。
そして、エドワードの
「だって君が頼んだから」でキムは悟る。
自分が悪い、と。
書いているけれど言語化できなくてとってももどかしいんだけど、ここはすごく尊いシーンだった。少なくとも私にとって刺さるものだった。

sho-senseiの"Diamond"の考察を書く予定だったけれど、こんなに心を揺さぶられるなんて!
人生何が起こるか分かんない、ってこういう日常でもいつも思う。

だいぶネタバレしてしまった😂それでも言うけどぜひ見て欲しい映画!シザーハンズ!
その後にsho-senseiのDiamond聴いてみてね。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?