孤独が私を外に連れ出す

今日は、昨日書いた『「家に1人でいると寂しい」と言えない』が、いつもにはないペースで「スキ」をいただけて、寂しさについて考えてました。

やっぱり家にいるとだらだらとスマホを触ってしまうんですよね。大体見るのはSNSです。
あーまたスマホ触って、1時間がすぎた。何もしてない。起き上がれなくて、今日が終わっていくかもしれない。嫌だ嫌だ。と思って、なんとか身支度を整えて、出かけました。カフェで本を読んだり、友人宅でお喋りしたり。
その間はSNSから離れられる。

せめて家で本が読めたら、映画が見れたらと思うのに、スマホを触ることしかできない。人がいる空間でなら本も読めるし、noteも書けるのに。
1人だとSNSって、なんであんなに見ていられるのでしょうか。
というか、何があるのだろう。誰もが働いている時間帯にすぐ連絡をとって繋がれるわけはないと、頭ではわかっています。
リアルタイムに繋がろうとは思っていないのに、何を感じているのだろう。
何を感じるのか考えながら眺めていても、「ふーん、そっか」くらいしか出てきません。
ただ、素敵なお店の商品に、物欲を刺激されて、出かける理由を見つけようとします。そう言えば、時間がありそうな人がいれば連絡して、お茶をすることもある。結局、1人でいなくていい理由を求めて、探して、SNSを徘徊している。

それから、noteにしても、他のSNSにしても、見る専門でなく、発信することが多いので、発信して、そのリアクションを確かめている。
そういうものだとも良く聞きますね。そういうものの中に私もいるんだな。

仕事をしていない状態なので、孤独感、というより社会から孤立している状態になってしまうので、仕事以外の関係性を強く求めているのかも。
1度目の休職の時に、とても強く社会から取り残されているような、孤立感を感じました。
その時に初めて、仕事を通じて社会と繋がっている、仕事をすることで居場所を作っているのだと実感しました。だから私にとって、仕事をするということは社会に居場所を作ることに等しいものだと考えています。

「1人で家にいるのは寂しくない?」と1人で家で過ごすのが大好きな夫に尋ねたところ、「3日間1人だったら寂しいけど、1〜2日は寂しくない」「1人の時間は贅沢」「昼寝や何もしない時間も贅沢」と返ってきました。
1人、家にいる時間をどう捉えているかの問題、と言ってしまうと簡単なようですが、捉え方を変えるのはなかなか難しいもの。

お休みだからといって、何もしない時間は作ってはいけない、という焦燥感と、孤独が、毎日私を外に連れ出しているのだとしたら、あまり健康的ではない気がするなぁ。


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