見出し画像

[asuminの米国生活体験談]6、セントルイスの冬(1)

その年の冬は、実に印象的な冬だった。
私は広い家に慣れず、一日のうちほとんどを二階のベッドルーム続きの小部屋にあるコタツテーブルと座椅子で過ごし、その二部屋で私の居住空間は事足りた。(昼間は一階のリビングに大きなTVがあったのでそこでもっぱらゲームしていたが、それは年が明けてからである。)
また台所は一階にあるので食事を作るときと食べるときは下に降りた。

家は一階に玄関とガラージに続く勝手口があり、台所続きの食事場所、更にダイニングルームが別にあり、玄関脇には客を待たせるスペース(少し狭いリビング)、更に奥の部屋はバーカウンター付きの広いリビングルームがあった。どちらの部屋にも立派なソファとテーブルがL字にどんと置いてある。
ガラージは車3台分を収納するスペースがあり、当時は我々の引越しダンボールが隅に積み上げられていた。だから車一台など楽に入れられた。
更に半地下のベースメントがあった。アメリカではプレイルームとも呼び、ビリヤード台や卓球台を置いていたりする。うちはベースメントから直に外にも出られるようになっていた。
スティーブンキングのミザリーに出てくるような、ポールが閉じ込められたあまり光のない物置のような地下室とは違う。
うちの地下室には前任者が遊んでいたらしい卓球台があり、また、使われていないソファが一式隅に置かれていた。どんだけ家具があるんだ?!と思った。
二階は客間兼家族用寝室が全部で4室あった。
夫婦用ベッドルームは前述したように二間続きで、クローゼットや風呂場を合わせてもかなり広い。渡米前に住んでいた社宅の2K面積よりあったのではないか。
旦那が書斎として選んだ部屋は、大家さんが医者の息子のために作った部屋だそうで広い部屋の壁一面が本棚になっていた。持ち物が多く本をよく読む旦那は大層気に入っていた。何しろ物の置き場に困らない。
他に客用バスルームと部屋が二つあったが、そのうちひとつを私物置き場に使わせて貰った。
どちらの部屋にも据付のデスクとベットがあり、必要限の家具が揃っていた。

寝る前には一階部分の防犯システムを作動させるため、暗誦番号を打ち込んで20〜30秒以内に上に上がる。そのまま下にいるとセンサーが作動して警報が鳴り、警備会社から電話が入る。誤って暗証番号を間違えて押した時も同じだ。そこであらかじめ設定していたシークレットワードを言い、セキュリティ会社が家の者だと確認すれば警報は止む。何処かに出かける時も必ずセキュリティシステムを作動させてからドアを閉める。だから帰って来た時は必ずパネルの暗証番号を押して解除することが最優先である。
何せあまりに家が広く、賊が侵入しても目が届かないから致し方ないのだ。
刑事コロンボのドラマの中で、家の者が警報を鳴らしてしまい警備会社から電話がかかってくるシーンがあったが、まさにあの通りである。

越してきてからの10月から11月はゆるゆると過ぎた。
アメリカ全土にある庶民的衣料品店、ターゲットでレトロなアメリカ柄のTシャツを買ったり、旦那の弁当のサンドイッチの作り方を覚えたり。

ターゲット。この建物とロゴはどこ行っても同じ(^^)

アメリカで普通サンドイッチを作る時は、15×14センチくらいの10枚〜くらいに薄くスライスされたパンを一斤買う。かなりの量だがそれしかない。パンはホワイトやWhole Wheat Breadなど何種類かあり、好みのものを選ぶ。

こんな感じ。


それにピーナツバターを塗り、挟んで、ジップロックに入れて子供に持たせる。カンタンなのだ(笑)もっと手間かける親もいるのだろうが、ツナ缶一個持たせたりとか(汗)いろんな話を聞く。大抵は日本よりまったく手をかけない。
旦那は上司に教えられてパンにマーガリンを塗り、ハムとレタス、チーズを挟んで、それとプラ容器にぶどうを入れて持って行っていた。
種無し葡萄が信じられないほど安く買えて、その美味しさに感動したのも弁当を教わった時である。
とにかく何もかもが珍しく、見るもの、口にするもの全てが新鮮であった。

初めて足を運んだ近くのショッピングモールのチョコレート売り場の前で、売り子の少女たち数人がダンスを踊りパフォーマンスを見せていた。
サンクスギビング、クリスマスを控えた店内はなんとはなしに弾んでおり、踊りながら歌う少女たちを囲んで客たちが手拍子を送っていた。皆、笑顔で楽しそうだ。
モールのスパゲティレストランで一度食事をしたのだが、外はかなり寒いのに店員の女性は半袖だった。
アメリカのモールは、日本のように店内が暖かくない。設定温度をあまり上げないのだ。だから日本みたいに屋内外でコートを脱ぎ着することがあまりない。
「飲み物は何にしますか?」と訊かれ旦那が
「アイスティ」と答え、他に一言二言挨拶を交わすと彼女は、
「そうですね、きょうは晴れていて少し暑いですね」と言った。
えっ、暑い?!私なんて店の中だってコート脱げないのに!と思ったが、、、おそらくアメリカ人にとっては、15〜6度くらいは寒いと感じないのだろう。
アメリカ人の体感は、日本人より絶対的に暑がりである。何故ならばもとより湿気の少ない環境で過ごしているからだ。
梅雨などなく、いつもからりとした環境で過ごしていたら、暑さというより湿気に参ってしまうのである。アメリカ人には日本の夏は到底耐えられないだろう。
実際、ベルリッツで会った先生方はみんな暑い暑いと言って窓を開けていた。
アイルランドの先生もカナダの先生も。アメリカで暮らしてみてその理由がわかった。みんな湿気に弱いのだ。

クリスマスが近づくにつれて店や書店ではXmasカードを大量に売り出し始める。さすが年賀状に代わる挨拶状!あらゆる趣向を凝らしたカードを見るのが楽しくて、夢中で私もカードを選んだ。
日本のみんなにカードを選び、書くことに時間を費やすのが楽しかった。

12月に入って、大家のワッサーマンからポインセチアの大きな鉢が送られてきて、俄然、クリスマスの気分になった。セントルイス周辺に寒波が到来し、かなりの雪が積もり私はワクワクしながら窓から外を見ていた。
夜中、くぐもった音が聞こえて窓の外を見ると、除雪車が表の道の雪を掻いていた。翌日見たら、親切にも家内側のドライブウェイまで雪を除いてくれていて感動した。

外はとても寒いが、家の中はセントラルヒーティングでどこも一定の温度に保たれている。
しかしそんだけエアコンがフル稼働してるため、湿度は凄まじく低かった。
なんと15%‼️( ̄◇ ̄;)
カラカラである! どこを触っても静電気が起きる。木の素材に触ってもだ! 私はたまらず、布巾を濡らして常に手元に置くようにした。
それでもちょっと濡らしたくらいじゃあっというまに乾いてしまう。ダダ搾りしてぐっちょり濡れた布巾に常に触れるようにする。
あの冬、暇さえあればドラクエをプレイしていたので、コントローラーを動かすだけで静電気が起きるらしく、不意の宅配便の来訪に油断してドアノブを握るとバチッ!!(>_<)
これはかなりショックだ(-。-;
それからほどなく、旦那と相談し加湿器を買いにいった。だが広大な空間にいくら加湿器を使っても毛ほどの効果しかなかった、、、15→20%。
ううぅ(~_~;)乾燥おそるべし、である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?