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ドラマの違和感

「正直不動産」のスペシャル版ドラマを見た。
パート2の放送に先駆けてということらしい。
山Pのファンというわけではなく、原作も知らないが、パート1をたまたま見ていたから。

パート1は「ライアーライアーみたいだな」という印象だった。
1997年のジム・キャリー主演のほうだ。
でも、この映画自体が好きなので、むしろ好印象で鑑賞した。

石碑の祟り?によって嘘がつけなくなってしまった嘘つきの不動産屋さんを描いたヒューマンコメディというやつ。

だからパート2も見る前提でスペシャルを見たのだが。
途中から感じた違和感。

その正体について書いておく。

かつて事業が成功している友人に家を売った主人公。
友人は結婚し子供もでき家族仲良く暮らしていたが、事業がうまくいかなくなって家のローンが払えなくなった。
それで、家は差し押さえられて競売にかけられることになった。

主人公は、これを競売ではなく民売にできないかと思い、買い手を探す。
競売だと、どうしても安値になってしまい、残債が支払えないからだ。
家を手放した後も多額の借金が残る。
仕事もうまくいかず、家もない状態で、家族を養うことなんて・・・と登場人物たちは考える。
一家離散して自己破産しかないと友人は嘆く。
妻と子供と一緒に暮らしたいと泣く。

ん?
なんで?
なんでそこから急に一家離散になるのかがわからなかった。

そして、主人公ともども「なんとか自己破産は避けたい」ということになる。

なんで?
自己破産、すればいいじゃん、と思った。
友人はまだ若い。
どこか勤め先を見つけて、家族一緒にアパートを借りて暮らせばいいじゃん。

自己破産は、罪じゃない。
お金の工面のために詐欺や窃盗に手を染めるとか、妻子ともども無理心中をはかるのを避けたいならわかるが、自己破産を「絶対にしてはならない恥ずべきこと」のような印象を与える展開に、私はちょっと興ざめしてしまった。
というか、正直むかついた。

私の親は、自己破産している。
父の事業には波があって、まあ経営の才能がなかったのだと思うが、下り坂で支払いが厳しくなってきたところで脳出血で倒れた。
それで住宅ローンや自営のための設備投資のローンが払えなくなった。
税金も滞納した。
払いたくても払えない。
(いや、払いたくない)
それで会社は倒産し、家と家財が差し押さえられた。
家の壁や家具に差し押さえの紙が貼られている光景は、大人になった私にも結構ショッキングだった。
倒産や夜逃げは何度も経験したが、破産は初めてだった。
しかも、子供のころにはわからなかった事情が、大人になってからはわかる。
わかるからなおつらい。

家は競売にかけられ、多額の債務が残り破産したが、結果的に私は「良かった」と思った。
子供のころから、私が目を離した隙に(あるいは私も道連れに)一家心中をはかられることが何より怖かった。
実際に未遂は何度かあった。

破産したからといって刑務所に入るわけでもない。
前科がつくわけでもない。
免責まで新しいクレジットカードが作れなくなるくらいだ。
ローンでものを買わなければ済む話だ。

宮部みゆきの「火車」に、借金取りから逃げるために別人になりすますヒロインが登場する。
彼女は、なりすまそうとする相手を殺してしまう。
途中で、弁護士が、自己破産を恥ずべきこと、絶対してはならないことだという世間の風潮が、その後の人生の選択肢を狭めてしまうことにつながっていると憤る場面がある。

本当にそう思う。
あの小説がベストセラーになってから、30年以上が経つ。
なのに、このドラマの価値観はなんだ?

視聴者の多くは、競売や自己破産などには縁のない暮らしだろうと思う。
だから差し支えないと思ったのか。
誤った印象を与えても、気づく者はいないだろうと、たかをくくったのか。
そうよね。
「競売」には「けいばい」とルビを振っていたもんね。

ドラマの結末は、想像通りで、それはそれで文字通り「一件落着」だった。
なんだかんだあっても、丸く収まって笑顔で終わるのがコメディの良いところ。
そこに文句はない。
ただ、私の心にそれこそ残債のような違和感が残っただけ。

でもきっとパート2も観る。
バラエティのお笑いは苦手だが、コメディの笑いは好きだから。
特に、日々、死者数が積まれていくいまはね。

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