見出し画像

地方生まれの私が、この物語に絶望しない理由——『明け方の若者たち』感想文

8月2日、運営に携わっているライティングコミュニティ「sentence」で、カツセマサヒコさん著『明け方の若者たち』を味わう読書会を開催します。当日は、特別ゲストとしてカツセさんご本人も参加!!読書会に向けて、『明け方の若者たち』を呼んだ感想をここに記しておこうと思います。

深さのなかに、淡さも感じられる「青」の美しさ

まず心を惹かれたのは、表紙の美しさ。書店でこの本を見たとき、深さのなかに、淡さも感じられる「青」にグワっと引き込まれました。希望とも、絶望とも取れる色。その名前を知らないことが、なんだか悔しかったです。

ネットで検索してみたけれど、今でも答えは見つかっていません……。

タイトルの「明け方」から着想すれば、必然と「青」にたどり着くのは分かるのだけれど、どうしてこの「青」を選んだのかは、ひとつ気になります。

地方出身の私は、「東京」に感情移入できないけど

舞台は、東京。明大前の沖縄料理屋、下北沢のヴィレッジヴァンガード、高円寺の焼き鳥屋など、東京の地名がそこそこ出てきます。東京を舞台にした作品に出会うといつも感じるのは、「東京」という街に感情移入できない悔しさ。新海誠監督の映画『天気の子』を見たときも、そうでした。

スポットが当たっている土地のことをよく知っているか否かで、作品に対する感じ方、印象は大きく変わってくるんだろうなと思います。その土地特有の雰囲気や匂い、人の感じを前提知識として持っていると、作品に対して親近感が湧くし、「自分たちの物語」だと錯覚できるような気がするのです。

この本を読んだ知人のひとりは「学生時代、ドンピシャで明大前、下北沢、高円寺に通っていたから、懐かしくて仕方なかった」と話していました。

正直、滋賀の田舎町で生まれ育った私には、明大前、下北沢、高円寺の「そうそう、あそこってそんな感じ」がぼんやりしてるし、「東京をもっとよく知っていたらなあ……」と残念な気持ちにもなりました。(「懐かしくて仕方なかった」と話す知人が、羨ましくも……)

だけど、不思議と物語を読み進める上で、その東京への「分からなさ」が大きく邪魔になることはありませんでした。その理由を考察するならば、「街ごとの描写が分かりやすく丁寧だから」なのと、「街ごとに登場する要素が、(割と)全国共通のものだから」でしょうか。

明大前の沖縄料理屋は分からなくても、「『キャンパスから近いし、そこそこ美味いし、何より安い」という理由から学生に人気のある』居酒屋は、私が通っていた大学の周りにもあったし、妙に気前のいい店員(女将)さんと聞けば、自然と頭に浮かぶ顔もちらほらあります。

下北沢の雰囲気は分からなくても、「ボサノヴァ風にアレンジされたスピッツの『ロビンソン』が小さなスピーカーから流れている」ヴィレッジヴァンガードは滋賀にもあったし、特に用事もないのに恋人と店内をふらふらするあの感じには身に覚えがありました。

地方生まれ、東京暮らし未経験の私でも、共感できる要素が散りばめられています。だから、東京に感情移入できない事実を、そこまで悲観せずに読み進められたのかも知れません。

一番共感した、「コンビニのレジ前の定番商品」の話

『明け方の若者たち』を読んで一番共感したのは、恋の話でも、友達の話でも、新卒で入った会社の鬱々とした感じでもなく、物語の前半で言及されていた「コンビニのレジ前の定番商品」の話でした。

明大前の沖縄料理屋で出会った「彼女」が、主人公の「僕」と公園で飲み直すために近くのコンビニへ向かう途中、こんな話をします。

ファミマだったらファミチキだし、ローソンだったらからあげクンだけどお、セブン-イレブンだけはレジ前の定番商品がない気がしない?あ、でも、意外とアメリカンドックが美味しいかあ。(『明け方の若者たち』p21)

物語の核心に触れるシーンでもない、何気ない会話のひとつだったけれど、彼女の意見に「え!それ、あなたも思ってたの!?」と驚きました。

そう、「セブン-イレブンだけはレジ前の定番商品がない気がする」し、「意外とアメリカンドックが美味しい」のも、めちゃくちゃ分かります。(あと、からあげ棒も美味しい)

なんか、こういう、「そうそう、それ!何気なく思ってたのよ!」というポイントって、意外と見つけたり、言語化するのが難しかったりしませんか?

人から言われたらめちゃくちゃ共感するんだけど、自分のなかでは日常に埋もれすぎてて、あるいは当たり前すぎて、普段は気にも留めなかったようなことを言い当てられたときの気持ち良さを、この部分で感じました。

カツセさん、こういう「あー!分かる!はいはい!思ってた、それ!」と読み手が思うようなポイント、普段からメモしてるんですかね。気になる。

男のひとの「本気の失恋」に触れた衝撃

一番衝撃を受けたのは、「僕」が「彼女」に振られて、アパートの風呂場で我を忘れながら絶叫するシーン。

叫びながら、両手足を強く強く床や壁に叩きつけ、ひたすら壊そうと試みる。シャワーヘッドを握る。浴槽に叩きつける。「あ」が溢れる。壊れて、割れてほしいのに、何も変化がない。壊れろ。割れろ。「あ」が溢れる。シャワーの音が、聞こえなくなる。口の中に血の味が広がる。「あ」が溢れる。「あ」が溢れていく。頬に涙か水か血が流れている。このまま死ねる。殺したい。(『明け方の若者たち』p.153)

読みながら、心臓がうるさくなっていくのが分かりました。同時に、姉が学生時代に大失恋をして、数日間ベッドから出ず、ご飯も食べず、激痩せし、目を限界まで腫らせ、憔悴していたのを思い出しました。

当時、姉は高校生、私は小学生。私自身は「失恋」というものを経験したこともなければ、そもそも「失恋」が何なのかもよく分かっていなかったと思います。

そんな、よく分からない「失恋」というものが、あんなに明るかった姉をこんな姿にしてしまうのかと、衝撃的でした。純粋に恐ろしいものだなと。

それから、私も何度か失恋を経験しましたが、あのときの姉のような、『明け方の若者たち』の「僕」のような取り乱し方をしたことがありません。

女性が失恋して極度に落ち込んだり、泣きじゃくったり、自暴自棄になったり……そういうのは、漫画やドラマ、映画でたくさん見てきたら容易に想像がつくけれど、男性の場合は、そうもいかず。

当たり前なのかもしれませんが、「男のひとも、大好きな人に振られたら、こんな風に取り乱すことだってあるんだな……」と思いました。勝手にタフでドライなイメージを持ちすぎていたのかもしれません。

今まで触れたことがなかった、男のひとの「本気の失恋」。未知の領域だっただけに、衝撃も大きく、何度読み返してもドキドキしてしまいます。

読書会に向けて

読書会まで、あと3日。著者本人に参加してもらえる読書会、本当に贅沢だし、めったにない機会だよなあと思います。引き受けてくださった、カツセさん、幻冬舎の担当編集者さんに感謝です。

当日、ここに書いたようなことを、参加者のみなさんと共有するなかで、きっと新しい気づきを得られるんだろうなとワクワクしています。この物語からどのような考えや感想が飛び交うのか。めちゃくちゃ楽しみです!!


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?