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博士課程を出たサラリーマン研究者が里山でブルーチーズを作るに至ったワケ。 Part1

初めまして、たけと申します。私はいま、博士課程を修了して就職した会社を辞めて、山梨県の平林集落という富士山を臨む小さな集落にDIYでブルーチーズ工房とカフェを作ろうとしています。

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今回は、私がなぜ田舎でブルーチーズを作ろうと思ったのか、自己紹介も兼ねてお話しさせて頂きたいと思います。

研究に打ち込んだ大学院時代

私は、徳島県の田舎町に生まれ、勉強はできませんでしたが、好奇心が旺盛な子供でした。中学までは勉強を全くしませんでしたが、たまたま合格した高専での授業で勉強に目覚め、卒業後は大学に編入学しました。

そこで希望した研究室に配属になり、研究の楽しさにも芽生えました。研究に関連する他学部の授業に紛れ込んだり、他大学の先生にお願いして実験室を使わせてもらったりするほど研究室での生活にのめり込んでいました。

大学院終了後は、もっと研究がしたいという欲求が抑えられず、博士課程に進学し、学位も取得することができました。当初、大学や高専に残りたいと思って進学した博士課程でしたが、応用研究をするうちに実務をもっと知りたいと考えるようになり、悩んだ末に専門分野を活かせる民間企業に就職しました。

充実した社会人生活

就職した企業では、優秀な同期にも恵まれ、非常に充実した日々を過ごしました。専門分野が近かったので、入社当初から難易度の高いお客様の課題解決や技術開発業務などを任せて頂き、R&Dのメンバーとして仕事に熱中しました。入社5年目くらいまでは、同期と毎日終電近くまで、技術論や勉強会をするなどし、いつも深夜に帰宅してヘトヘトでしたが、それでも楽しく仕事をしました。

コロナ禍で暗転した社会人生活

しかし、楽しかった社会人生活も5年目くらいから暗転して行きました。私の仕事は、それまでもお客様の工場(現場)サイドで開発した装置の長期的なパイロット試験をすることが多かったのですが、基本的には出張ベースで東京と地方を行ったり来たりしていました。

しかし、このような中にコロナ禍がやってきました。コロナがまだ未知のウイルスでワクチンもなかったため、緊急事態宣言に伴い県を跨いだ移動に制限がかかりました。

世の中がテレワークに移行していく中、私の案件は試験装置を止めるわけにはいきませんでした。私はコロナがいつ収束するのか全く先が見えない中、地方のとある小さな町のほとんど誰も宿泊していないビジネスホテルに1人留まり、試験を続けるように会社から指示を受けました。

この生活は、1年近く続きました。さすがに、全く知らない土地で1年間現場とビジネスホテルの行き来は精神的に堪えました。もちろん週末もビジネスホテル暮らしで、いつ帰れるのかわからない不安は常にありました。現場の環境も試験の都合で臭気と騒音が酷く、それもストレスになりました。

2回目の試練と体調不良

約1年後、やっと試験を終えて、家に帰れることになりました。この時は嬉しかったのですが、それも束の間で、また違う現場で試験をするようにと指示を受けました。

またコロナ禍でまた半年間同じように試験をすることになったわけですが、この時も劣悪な環境で仕事をすることになり、今思えばかなり精神的に参ってました。この時期は常に何かにイライラしてましたし、極め付けには耳鳴りを発症してしまいました。

もうだめだ。辞めよう。

これまで必死に仕事をして、一人前の技術者になり、会社の中で認められていくことが私の中での絶対的な価値観でした。しかし、精神的に追い詰められてくると「体を壊してまで働くことは本末転倒だ」ということに気づきました。このまま同じ職場でいても、これ以上は何も学ぶことはないだろうという結論が自分の中で出ました。

神山高専の教員採用試験

私が仕事を辞めようと思ったきっかけは、仕事で体調を崩したこと以外にももう一つあります。それは、私の地元が移住者の力で生まれ変わったことです。

私の地元の徳島県には、とても特徴的で面白い山里がいくつかあります。そのうちの一つが、「神山町」という場所です。私の生まれ育った町から近く、川がとても綺麗な山里で、小さい頃から川遊びによく行っていました。

私が高専卒業までは、知名度の低い過疎地域でしたが、その後にサテライトオフィスができたり、非常に面白い経歴を持った移住者が集まったりして今では全国的に知られる地域創生の最先端の地になっています。

私はもともと田舎が大好きなのですが、家庭がそれほど裕福ではなかったこともあり、都会でバリバリ働いて一旗あげたいという気持ちがあり東京で就職しました。それ自体は、私自身にとって非常に良い経験となりましたが、どこかで田舎を捨てた後ろめたさがありました。そんな時に、移住してきた人たちの活躍によって、神山が大きく発展したことを目の当たりにしました。

自分が捨てた田舎を、地元の人以外が頑張って発展させた。私も自分の経験を地域のために活かすべきなのではないか。と、そう思うようになりました。

そんな時、神山町に新しく高専ができるという話を聞き、教員募集に応募することにしました。準備はかなりして面接に臨んだのですが、結果は惨敗に終わりました。1時間みっちりと面接をして頂く中で、かなり厳しいことも言われました。

そこで感じたのは、私はこれまで勤めている企業の看板があったから周りが話を聞いてくれたんだということ。そこから出て、単なる個人になったときに、私にできることはなんだろうか。会社の中だけでしか生きていけない人になりたくない。

転職ではなく起業 日常の疲れた人や新しいことに挑戦する人がリフレッシュできる場所を作る

仕事で精神的に追い込まれ、神山高専の面接も落ちました。この経験から私の気持ちは転職ではなく、起業に傾きます。

私は、微生物を扱う研究をしていて、発酵食品にも興味があり普段から味噌などを作っていました。この分野で何か面白いことはできないか。

そう考える中で、偶然ブルーチーズに出会いました。ふと、これってどうやって作るんだろう?と思い調べることにしました。

(長くなってしまったので次回に続く)

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