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文章執筆力の伸び

昨年の11月初旬から修士論文の執筆が本格化した。それから修士論文の提出、さらには口頭試問に向けての準備において、自分の書いた文章を読み直す機会も必然的に増加していた。読んでいて思ったのは、卒業論文を執筆していた頃から文章力はさほど成長していないのではないかということだ。読んでいて、あまり面白くないのである。たしかに、文末表現のバラエティは豊かになってきた。しかし、長いこと読みやすい文章を書くことを試みてきたが、目立った成果が上がっていないように感じられてショックではあった。。。

私の文章力が急上昇したのは、学部3年の冬だった。私の書いた文章を上級生に徹底的に見てもらうという機会があり、それにより、まともな日本語を書けるようになった。また、読点の乱れ打ちも控えられるようになったのも、この頃である。これだけでも、文章力という面に限れば、大多数の人とは差異化を図ることができたはずである。

それ以降の目標は、人が読みたくなるような文章を書くことになった。リズム感があったり、格調があったりするような文章である。しかし、修士論文の執筆を経て、修士課程の2年間だけでは、この目標を達するために必要な力は会得できそうにないと思うようになった。

なぜ、目標を達成することができなかったのだろうか。ひとまず4つの原因が思い浮かんだ。

一つ目は文章の構成に関することである。情報の出し方、物事の説明の仕方などについて、まだまだ練りが甘いといえる。

二つ目は校正である。論文のように公式な場に出される文章くらいしか、まともに読み返していなかった。公式な場に出る文章で下手なことはできないという緊張感が、読み返すということへのやる気をもたらしてくれていた。しかし、そのような文章を書く機会はそう多くはない。修士課程の2年間では、ちょっとした文章を含めても5、6本程度だろう。

三つ目は教養・知識の不足である。機知に富んだ文章というものは、書き手の教養に依存していると考えている。しかし、そのような教養は一朝一夕に身につくようなものではない。やはり、時間をかけて着実に積み上げていくことが求められるのかもしれない。

四つ目は、指導者の不在である。これは意外と深刻な問題で、読ませる文章を書ける人というのは、そうそういるものではない。そのため、教えを請えるような人を身近で見つけるのは容易ではないということである。

そんなこんなで、次のブレークスルーまでには、もう少し時間がかかりそうだ。少なくとも、筆を止めることだけはしないようにしたい。

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