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伝える手段 ~伝わらないを受け入れる!~

こんにちは! あたたけ です。

仕事で車移動がちょいちょいありますが、たいていラジオを聴いています。
(埼玉在住ですのでNACK5がほとんどですね)

で、リスナーさんからのフリーメッセージでたまに『個人的な伝言』があります。
『想いを伝える』ならまだしも、『今日の予定』とかは伝わらなかったらどうするんだろうと他人事ながら心配になったりならなかったり。
まぁ、絶対に伝わらないとダメな情報は別途、何かしらで伝えてはいるのかもですが。

さて、なぜラジオで個人的なメッセージを伝えたいのか?

やっぱり『伝わった時の感動』だと思います。
成功確率が低いときほど成功した時の達成感は大きいですからね。
情報化社会という言葉すら若干古いと感じるレベルで情報伝達手段が発展した時代に、あえて不確かな方法で情報伝達にチャレンジすること自体、心を揺さぶるものがあるような気がします。

ただ、情報を受け取る側にも感動してもらうためには、『別手段でも併せて情報伝達』をすると意味がなくなるような気も。。。。
この辺りの判断って難しそうですね。
『ラジオで読まれたか』は送った側でもわかりますが、『ラジオを聴いていたか』『内容が理解できたか』はどうしようもありませんので。
やっぱり、他人事ながら心配になりますね(笑)

さてさて、今でこそ『情報化社会』となり個人間でのコミュニケーションツールも豊富にありますが、この状況って携帯電話の普及以降の話なのでここ30年くらい?のことなんですよね。
なので、あたたけなんかは『個人間で高精度に情報伝達できる』こと自体がスゴイなぁと思うわけです。
たぶん、同年代の方(てゆーか、デジタルネイティブ?Z世代?より上の年代の方)には同じような感覚の方が多いんじゃないでしょうか。
ふだんから意識している/していないは人それぞれでしょうけど。
『三つ子の魂百まで』というわけではありませんが、成長期に受けた影響って知らず知らずに残っているものですからね。

で、そういう感覚を持っている人って、『情報伝達手段がある』ことと『情報が必ず正確に伝わる』ことを勘違い?同列にみなしている?ことがあるような気がしています。

30年以上前は情報を伝えられないことの大きな原因が『手段がない』ということでした。
その不便をいろんな方々が解決し、『手段』自体はあふれんばかりの便利すぎる状況になっています。
その反面、『手段がなくて伝えられない』という時代に生きていた人(の一部)は認識をアップデートできず、『手段があるなら(必ず正確に)伝えられる』と無意識に考えているのかなぁと思います。
で、先ほどのあたたけのように『伝わらないこと』を、(過剰に)心配してしまうんですよね。

で、(あたたけ含む)そんな古い感覚の人の中には、『自分が発信した情報が伝わらないことに強いストレスを感じる人』がいるのかなぁと。
伝わらない原因が発信者側の『伝え方』や『内容(≒明らかな誤情報)』の問題なのに、受信側だけのせいにしているみたいな?
と、SNS上でムダなケンカをしている人たちを見ていると思います。

もっと話を大げさにすると、『技術の進化に人類の進化が追いついていない』ってコトかもしれません。
この辺りはZ世代、あるいはさらに次の世代が社会を動かす立場になってくると変わるでしょう。
『情報伝達手段があるのは当然、それを有意義に活用するのが重要』と自然と認識してそうですからね。

そんな時代になった時、X世代のあたたけとしては老害と言われないようにしないとね!
そのために大切なのは『自分が発信した情報が伝わらないことも受け入れる』という、当たり前のことな気がします。

てゆーか、情報伝達に限らず、『ささいな不満・不安・不便を受け入れることができない人』『不満・不安・不便の責任を他人に押し付ける人』って、『(自分にとっての)100点しか認めない人』で『とても迷惑な人』なのは、いつの時代でも同じですからね!

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ではでは。今回はこの辺りで!

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