10年前の冬、まだ小さかった娘を連れて日本へ里帰りをした。
当時は今の温暖化の影響がそれほどでもなく、私の住むフランスの田舎は寒かった。リフォームが済んでいない石造りの家は家の中とは思えないほどの寒さであった。
春分を迎える頃に自宅に戻り、パリに住む親友のAちゃんに連絡を入れた。
彼女の携帯電話は常に留守電になっていて、いつまで経っても繋がることはなかった。
なんだか嫌な予感がした。
数日後、電話口に出た彼女の声が今でも忘れられない。
私が日本へ行っていた3か月の間に、乳がんであることがわかり、即、入院、手術を受けていたのだ。
今は自宅療養しているという。
一刻も早くAちゃんに逢いたい。
電話口で彼女が言っていた言葉が頭の中に蘇る。
「自然に囲まれた環境に浸りたい、癒されたい」と。
数年前のある春の日、彼女が急に電車に飛び乗ってパリから家に遊びに来てくれたことがあった。
その時、庭に咲き乱れる野生のプリムラを見て目を輝かせていたAちゃん。
そうだ、このプリムラを彼女に届けよう。
野生の植物はデリケートで、植え替えをすると根付いてくれないこともある。この野生のプリムラはどうだろう。
少しシュンとしたプリムラの花を見つめながら電車に揺られる。
一日でもいいからAちゃんのところで咲いて欲しいと願いながら鉢を胸の中で抱えていた。
翌年の春、Aちゃんから嬉しい知らせが届いた。
彼女が住んでいるアパルトマンには共同の中庭があり、なんと、その庭の所々にプリムラの花が咲いているというのだ。
鉢植えの花の種が、蜂か、昆虫、いや風に乗って運ばれたのか。
あれから10年の時が流れた。
共同中庭のプリムラは毎年咲き
そしてAちゃんは元気でいる。
3年前、Aちゃんが家庭の事情で日本へ本帰国することを聞かされた。
故郷に咲いていた朝顔が懐かしいという。
そうだ、去年、家に咲いてくれた西洋朝顔の種をあげよう。
2021年の夏、Aちゃんはアパルトマンのベランダに咲いた朝顔の写真を送ってくれた。
秋になり、種を収穫して、2022年春も種蒔き。
でも、花の開花を待つことなくAちゃんは日本へ旅立った。
庭に咲く花やハ-ブから採れる種。
誰かのところで花開くように、交換できる場所がある。
それは村の図書館。
差し上げたい種を置いておくと必要な人が持っていく。
誰かの心を癒す植物が誰かの気持ちで広がっていく。
来年の夏、何処かで綺麗な紫色の朝顔が咲きますように。
おわり
読んでいただだきありがとうございます。 サポ-トしていただけましたら「カラスのジュ-ル」の本を出版するために大事に使わせていただきます。 あなたの応援が嬉しいです。ありがとうございます。