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退職の日(短編小説)


治水に関するお仕事をしています。
(下っ端事務員)

そう実は、私の指先一つで琵琶湖の水を止めることができるのです(大嘘)

「琵琶湖の水止めたろか」
滋賀県民の定番の脅し文句。(らしい)
関西圏の方には分かるネタかしら。
いささか品のない煽りだけどね。
ま、冗談はさておき。

お仕事で心を動かされたことを短編小説タッチで書いてみました。
若干のフェイクを入れていますが。
お時間あるときに良かったら読んで下さい。


退職の日


ひねりのないタイトルですが、
定年退職で去って行った副所長のお話。


登場人物
・副所長・・・単身赴任中の九州男児。故郷が恋しい。
・所長
・・・単身赴任中の関東人。繊細さん。
・私
・・・しがない事務員。

※※※

この北国でも、晴れた日には暖かさを感じるようになった3月後半。

いつものスーツではなく、
杢グレーのパーカーにジーパンというラフなスタイルの副所長。
髪型もいつもよりマイルドで、さながらワイルドなショパンという雰囲気だ。

本日彼は有給消化で休みなのだが、
社宅の引き払いや、最後の引き継ぎのためオフィスに来ている。

午後3時半、引っ越しの手続きを済ませ、
せわしそうに私服でオフィスに入ってくる副所長。
会社の玄関には、これから故郷へ帰る予定の黒い大きなスーツケースが彼を待っている。

彼のすらりとした背格好がよりそう見せるとはいえ、
今年で定年退職とは思えない、若々しい出で立ち。

遠目に眺めつつ、何を言うでもなく
私は眠気と戦いながら午後の業務をいつも通りこなしていた。

「トモコさん、ちょっといいですか。」
その私服の副所長に呼ばれる。

「あ、はい。何でしょう。」

「私が今日までに終われなかった仕事をお願いしたいんです。」

いつも通り事務的ながら、下っ端の私にも丁寧で柔らかい物腰だ。

「ちょっと奥の応接まで来てくれませんか。」

〈応接スペース〉


応接ソファに向かい合わせで座る、副所長と所長、事務員の私。
飛び石の休日の合間にある平日のため、今日オフィスにいるのはこの3人だけ。

膝をつき合わせながら、副所長が残していかなければならない案件の引き継ぎ説明を受ける。
全て先方からの返事がないと進まないというものだ。

やれやれ。
どうやら他の業務でいっぱいいっぱいの所長ではなく、
私が副所長の代わりとしてそれをやり遂げなければならないようだ。

聞き漏らさないように、メモをとりながら
資料を持つ彼の「左手薬指で光るもの」に私の心が泳いでゆく。
指輪をしているところをはじめて見たかもしれない。

引っ越しのドタバタで無くさないように、
本来収めるべき場所に収めたにすぎないのかもしれない。

ピアニストのように長い指で誇らしげに光るそれが、
彼の故郷や家族への想い、希望をきらきらと代弁しているように見えた。

「そういや自分の結婚指輪ってどこ行ったっけな・・・」

自分の荒れた指を眺めながらそんなことを考える。

「えっと、これが来たら本部に送って、」
「このファイルは、こっちに置いといていいんですよね。」

新しい案件ばかりでちゃんとこなせる自信のない私は
副所長との残り時間を惜しむように聞けることを質問した。

彼がオフィスを出て行く直前まで
「プリントアウトする資料は、これで良かったですかね」などと聞いている始末。

(とはいえ私にも言い分はある。あまりに急な引き継ぎなのだ。)

「そろそろ新幹線の時間なので。」
「大変お世話になりました。」

そう言って丁寧にお辞儀をして去って行こうとする副所長。
派手がましいセレモニーはない。

「アッ、待って」
いつもはドライな所長が玄関先まで見送りに行く。

私もお見送りしようとしたが、「(事務所が)留守になるから」とやんわり制止されてしまった。
男同士、つもる話もあるのだろう。

取り残された私は、
もう彼が座ることはない空っぽの副所長席に目をやり、少しだけツンとする鼻腔が切なかった。
この先二度と会うこともないのだろう。

どう見ても犬猿の仲だった彼らは最後に何を話したか想像してみよう。

※※※

「いやあホント、色々あったよね。僕らぶつかることもあったけど、副所長がいてくれて良かったよ。色々お世話になったね。」

「そんなことないですよ、こちらこそ所長がいてくれたから助かりましたよ。」(作り笑い)

「これから寂しくなるよ。故郷でゆっくりしてね。」

「ありがとうございます。所長ももうすこし、ここでがんばってください。
組織をよろしくお願いします。それでは。」

「えぇ、はい、また・・・お元気で。」(お辞儀)

「はい」(お辞儀)

※※※

当たり障り無い会話と、お互いの作り笑いしか浮かばない。
柔らかい物腰だけど、決して本心は見せない人だったな。

数分後

「はぁ・・・・・・退職ってこんなもんかぁ・・・」

見送りから戻ってきた所長が独り言のようにつぶやく。

「花束でも用意しとけば良かったですかね」

私が苦し紛れに冗談でごまかす。

「いや、そういうのはこれから新幹線乗る人には迷惑だろうけど」

「・・・」
(冗談にマジで反論しなくていいのに)

あまりに簡潔で、乾いた別れの日。
自分のそう遠くない未来を思い、憂えている所長の気持ちは少し分かった。

所長もまた「心は」ショパンのように繊細なのだ。
(実際のショパンが長身でパーカーで繊細なのかは知らない)

外は午後の陽だまりでも、古い重厚な北向きのオフィス。
何事もなかったようにうなり続ける暖房と加湿器の音。

こんな年度末には電話も鳴らない。
退勤時間まで、あとは変わらない日常が流れていく。


※※※

副所長さん。

あなたは知らないこの土地で一人、
家族と離れ、仕事場と社宅の往復。
さぞ味気ない日々を送られていたかもしれません。

あなたとお仕事したのはほんの1年ちょっとですが、

礼儀正しくフットワークは軽く。
責任感あるお仕事ぶり。
力仕事もお世話になりました。

電話の操作もおぼつかない私にも丁寧にご指導頂いたこと、
決して華やかな仕事内容ではないですが国のため民のため、長年ご尽力頂いたことを私は勝手に讃えます。

とはいえ引き継ぎは急ですがね。

あなたに頂いた博多のお菓子の数々。
いつも美味しく頂いてました。
「二○加煎餅」のお面は子供たちに大ウケでしたよ。
それを話したら珍しくちょっと嬉しそうな笑顔、印象的でした。

繊細ヤクザな所長と個性派揃いの職員との狭間で
本当は思うところもあるだろうにずっと紳士だった。
あなたの人柄に免じて、そのお仕事がんばりますよ。

お仕事お疲れさまでした。

あなたの恋しい福岡とはどんな所なのでしょうね。
あなたの帰りを、家族に温かく迎えられているといいです。

あなたの、故郷での暮らしが

幸せでありますように。


その引き継ぎ案件が全て片付いたので
清々とした気分で書いてみました。

そういえば昔、官能小説家に憧れていたことを思いだしました。
それでこの程度の文章力ぅ?とか笑わないでね。

このあとでつもる話であんな展開に、とかではありません。
あー、感動で〆ようと思ったの台無し。
エロスで世界平和を、とあの頃は思っていた。
今は特に目指していませんのであしからず。

※きれいな花束のお写真お借りしました。
(やっぱり花束でも用意しとけば良かったですかね)


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