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町田・相模原史跡散策(1) | 境川ゆっくりロード周辺 |

前回の記事

[前回]
多摩地域の歴史に触れるべく、まずは新編武蔵風土記稿を見たいと思った私は、多摩市立図書館で八王子・町田地域の風土記を借りることができた。

[今回]
相模大野にある相模女子大学グリーンホールで行われるコンサートへ行くことになり、せっかくだから自転車で行ってみようと思った。だいたい15〜16kmの距離だ。
せっかく自転車で長距離移動するならば、何かテーマを決めて、史跡の1つでも取材したい。
そこで今回は、境川ゆっくりロードを中心に、周辺に点在する時代も由来もバラバラな史跡に足を向けて見ることしたのだが、意外な共通点が見えてきた。


今回の撮影機材

DJI Pocket 2

今回は、取材後にそのままコンサートホールへ行くことになっていたので、一眼レフを持っていくのは控えた。
小さくて機動力のあるDJI Pocketは文字通りポケットに入れて持ち歩ける上、記録写真としては充分な画質で撮影できるため重宝している。
ただ、やはり一眼レフカメラに比べると「いい写真」とはなりにくいので、そこは予めご承知おきいただきたい。


境川ゆっくりロードとは

境川さかいがわゆっくりロードとは一般公募で決まった愛称で、正式名称は境川自転車歩行者専用道路。

東京都・神奈川県が管理する境川の河川用通路のうち、町田市が管理している鶴瀬橋(町田市鶴間、旧東京女子学館大学前)付近から協和橋(町田市矢部町)までと高橋(町田市小山待ち字馬場)から坂本橋上流(町田市小山町字田端)までの14.5kmの区間を整備した自転車歩行者専用道路。起点から下流に向かって約1km先にある神奈川県道451号藤沢大和自転車道線と、当道路の町田市鶴間から町田市街地までの区間を併せて。一般に境川サイクリングロードと呼ばれる。

フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」

境川ゆっくりロードの様子

町田と相模原の境に位置する境川は基本的に自然が残るのどかな場所
子どもから大人、ママチャリからロードバイクまで様々行き交う
きれいに舗装されていて、自転車でも走りやすく気持ちがいい
一部未舗装区間があり、迂回する必要がある
一部砂利道もある
水質は濁る場所も残るが、透明度も高く魚も生息している場所もある
森に隣接している区間もあり、暑い日でも日差しを避けて走ることも可能

秋葉山大権現常夜燈

境川沿いの住宅地にぽつんと在る

秋葉山大権現常夜燈概要

所在地:宮下本町3丁目

Google マップ上には名前以外の情報はありませんでしたが、相模原市立公民館のホームページに以下のような説明がありました。

防火と防犯の神様として、1808年に建立されました。その名のとおり、夜になると火を灯したそうです。そばには、工事などの関係によって移動されたいくつかの遺物があります。

相模原市立公民館ホームページより

秋葉山大権現常夜燈の様子

地蔵の上には屋根がつけてある。
今も地域の人の信仰対象なのだろうか。
正面右には地蔵が6体
真ん中には側面に仏のようなものが掘られている
足元には謎の彫り物
左の石には何やら文字が。
過去に倒壊したのか修復のあともある。
これは比較的新しい年代のものだろう

まだ調査・検証が必要。何か情報があり次第、別記事にて報告したい。


御嶽神社

御嶽神社境内

御嶽神社概要

所在地:〒252-0201 神奈川県相模原市中央区上矢部2丁目23−1

案内板

旧矢部村の鎮守社で建久年間(1190年〜1199年)に矢部義兼によって「三嶽社」として歓請され、その後、建武年間(1334年〜1338年)に「御嶽大権現」として再建されたと伝えられています。祭神は日本武尊で九月の例祭にはしないでも珍しい湯花神事が行われます。横山党矢部氏居館の鬼門に当たるといわれています。

大野北公民館

「横山党」とは、平安から鎌倉期にかけて、武蔵国多摩郡(現在の八王子市)にある「横山荘」を拠点に、武蔵国および相模国北部に割拠した武士団のこと。
多くの文献から小野篁おののたかむらの後裔とされているようで、このあたりも興味深い。
小野篁といえば、町田市の小野路町おのじまちにある小野神社に祀られていることもあり、この地域に浅からぬ縁があるのだろう。
まだ私自身、知識不足な点があるが、今後追って記事にしたい。

御嶽神社の様子

鳥居の様子
鳥居の内側から外側へ目をやると、参道が続いている

矢部城跡

矢部城跡概要

所在地:〒252-0201 神奈川県相模原市中央区上矢部5丁目1


上矢部の土塁
「横山党」と呼ばれる武士団は、十二世紀後半八王子から南に進み、境川流域の相原に館を構え粟飯原あいはらと名のり、この兄弟の一族が勢力を広めて、小山おやま矢部やべ田名たな氏などを名乗りました。上矢部の土塁は、古くより矢部氏の館跡といわれ、近くには和田合戦(1213年)で滅亡した矢部氏の供養のために建てられたといわれる板碑いたびがあります。
現存する土塁の西側に館跡があったと考えられ、土塁の外側に箱薬研形はこやげんがたの堀があったことも発掘調査で確認されています。
平成21年3月
相模原市教育委員会

現地に立つ案内板より

ここに書かれている「板碑いたび」とは板状の石製卒塔婆のことで、すぐ側に安置されていたようだが、見落としていたのが悔やまれる。
再訪次第、記事にする予定。

矢部城跡の様子

北側から見た様子
南側から見た様子

ここでも平安・鎌倉期の武士団「横山党」が出てきた。
武蔵国風土記を辿る上で、避けては通れないものとなりそうだ。


[参考文献]
相模原市小山公民館ホームページ
ウィキペディア「
風土記
ウィキペディア「
横山党


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