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アジ・ダハーカの箱 第9話:死都編 【結】黄昏と暁

蜘蛛の糸……!

男がひとり、曇天から垂れ下がる蜘蛛の糸に掴まり、せっせと上っている。

そのすぐ下には、おびただしい数の亡者たち。亡者たちはいびつな組体操のように各々を足蹴にして、蟻の行列めいて男に追い縋ろうとするが……

男は手に持ったオートマチック拳銃を連射する!火花と共に吐き出される薬莢!弾丸は亡者の頭部に命中!命中!破壊!破壊!飛び散る頭蓋のかけらと肉片が汚らしい花を咲かせる!屍たちはうめき声を上げ、雪崩が如く落下して行く!

「フン、ゾンビどもが!貴様らはこの地獄で永遠に焼かれるが良い!」

彼は激しい風に煽られながらも下方へと罵声を浴びせる。彼の名はチェスター・ハーディング。階級は大尉。現アメリカ政府直属の特殊部隊を束ねるベテランの兵士である。彼は、蜘蛛の糸……もとい、戦闘ヘリから降ろされた縄ばしごに掴まり、憎属性ヘイトレッドドラゴンの永遠の炎の下僕である"燃えるゾンビ"たちを撃つ。そうして梯子を少しずつ登りながら、今回の作戦失敗について思いを馳せていた。

「まったく手痛い損失だ。だが、これで大統領への不満も高まる。だいたい、あの忌々しいビフ・タネンのような男が合衆国大統領などと……」

彼は現アメリカ大統領直々にある命令を受けていた。それは、死の都と化したロサンゼルスを支配する三匹のドラゴンたち……呪属性ダムドゥドラゴン、怨属性グラッジドラゴン、憎属性ヘイトレッドドラゴン、これらの竜たちが所持しているであろう"禁断の紋章"を奪うこと。なんと馬鹿げた話だ。ロサンゼルスをたったの一晩で壊滅させた超弩級の存在を出し抜こうなどと。当然、ハーディング大尉は反対した。不可能だと。絶対に無理だと。しかし、この滅び切った世界でも金と権力がモノを言うことは変わらない。命令は絶対だ。覆らない。そこで彼は考えた。愚かで変な髪型をした大統領が発案した作戦により多大な犠牲を払うことになったとあれば、この危機において奴の支持率は低下、確実に頭がすげかわることになる……そこに自分が座れば良いのだ。ついでに、ドラゴンを狩るほどの知恵と力を持つに至った危険なならず者ども、すなわちドラゴンキラーたちを始末すれば一石二鳥!ならば、失敗前提の無茶で無謀な作戦を立てねば。実際、それはうまくいった!数々の作戦を共にしたブラウンとジョンソンを失ったことは想定外ではあるが……この私が生き残りさえすれば!必ずや強いアメリカをもう一度築き上げることができるだろう!

戦闘ヘリは高度をさらに上げた。ハーディングは、地獄の釜の底めいて生きたまま焼かれる不死の亡者たちを眺めながら、自分が大統領の椅子に座る妄想にふける。自然と笑みがこぼれる。おっと、つい口元がゆるんだ。さあ、ヘリの中までもうすぐだ。最後にこれを登れば……

突然、悪寒がした。

得体の知れない恐怖を覚えたハーディングは、縄ばしごを登りながら灰色の曇天を見渡す。遠くの空、どんよりとした厚い雲を割って、何か……生き物……?が飛んでいるのを見つけた。まばゆい光を放つそれは、最初は点のように小さかったが、大きく旋回し……こちらに向かってくる……!徐々に大きくなるシルエット。あれは……まさか、そんな、こんなところで、奴は……ドラゴン特有の強大なプレッシャーとなって無理やりに飛翔体の正体が判明する!

"憎属性ヘイトレッドドラゴン"

赤いドラゴンだ。大きな、とても大きなドラゴン。全身が真っ赤に染まった鱗に覆われている。蝙蝠に似た翼、鋭い爪、長い尾。死んだ息子がやっていたビデオゲームに登場するような、実にファンタジーらしい翼竜。これぞドラゴンといった見た目の怪物。空を蹂躙する大トカゲ。だが……その顔は、ああ、ああ、口にするのも恐ろしい。神よ。ドラゴンの首の上にあるべきトカゲの顔は無い。その代わりに、巨大な人間の女の顔が貼りついていた。髪を振り乱し、憤怒の形相に醜く表情を歪める女の顔が。憎しみに囚われた恐るべき怪物が突進してくる!

「ぎえっ、ぎええええええええええ!」

耳をつんざく金切り声!女の顔が裂けた口で叫び声を上げる!ハーディングは心の底から恐怖した。ヘリのパイロットは旋回して躱そうとするが、間に合わない!ヘイトレッドドラゴンの顔面、女の顎が横に真っ二つに裂け、鋭いノコギリめいた牙が露わになる!竜はコックピットに噛み付いた!

「ぎいいいいいいえええええええええ!」

鋼鉄が容易く押し潰され、紙切れのように引き裂かれる!パイロットは生きたまま八つ裂きにされ死亡!コックピットごと噛み砕かれた!その瞬間!憎属性ヘイトレッドドラゴンは赤熱し、発火!一瞬でヘリは炎に包まれた!

「うわっ、うわっ、うわあああああ!」

火だるまと化したハーディングはめちゃくちゃに拳銃を発砲!その銃弾のいくつかはヘイトレッドドラゴンの方向に飛んで行くが、竜の鱗にすら到達せず獄炎で溶かされる。憎属性ヘイトレッドドラゴンは太陽の如き熱を放った!その肉体に流れる血液はマグマのように灼熱と憎悪が沸騰!溶融している!当然、ヘリコプターは爆発!墜落!憎しみの熱はヘリの装甲すらキャラメルのようにあっけなく溶かし、半径100メートルほどを瞬きほどの速度で燃やし尽くす!

「ぎええええええ!えっええええええ!」

憎属性ヘイトレッドドラゴンの頭部に張り付いた巨大な女の顔は絶叫を続ける。両眼がぐるぐると動き回り、涎を撒き散らし、長い舌をめちゃくちゃに激しく振り乱す。苦悶の表情の竜は崩れ落ちるように着地!己が創り上げた燃えるゾンビたちを鋭い爪で引き裂き、喰らう。もがき苦しみながら。竜もまた永遠に終わらない憎悪に囚われているのだ。

「ぎいいいいいえええええええ!」

空気を震わせる咆哮。やがて、その足元から新たな亡者が歩き出す。それは、片目のない、かつては屈強な傭兵だった、燃える亡者。ぶすぶすと皮膚は音を立てて焦げ付き、ドス黒い肉がぼとりと爛れ落ちた。彼は現アメリカ政府直属の特殊部隊を束ねるベテランの兵士だった。だが、今は憎しみの炎によって焼かれるだけの亡者の仲間に成り果てたのだ。口唇は蒸発して失くなり、剥き出しの歯が覗く。その隙間から焼けついた声が漏れ出る。

「う、ああ、あ、あ、あ、あつい、あつい」

彼は、かつてハーディングと呼ばれた男は、この死都ロサンゼルスを出ることもできず、死ぬこともできず、永遠に炎で焼かれ、その苦しみを、憎しみを、憎属性ヘイトレッドドラゴンに捧げ続けるのだ。

「たすけ、たすけて、たすけ、た、た、た……」

亡者はさまよい続ける。焼かれながら、永遠に。

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