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自尊感情・自尊心・自己肯定感・自己評価…?

これって,昔からよく言われることなのです。

自尊感情って,高ければ良いというわけではないですよね

という意見です。

自尊感情はよく自分の研究で扱っていた概念なので,研究発表をしたり大学院生時代に院生どうしで話をしたりすると,よくこのような意見が出てきました。

高いだけではダメ,という考え方は根強くあって,いろいろな研究上の工夫をしてきた歴史がそこにはあるように思います。そういう話を何回かに分けてしてみたいと思います(このテーマは不定期に継続する予定です)。

今回は最初ということで,ことばの問題についてです。

自尊感情とは

自尊感情というのは,自分自身を全体的に捉えたときに感じる評価的な感覚です。平たく言えば,「自分をどれくらい好ましく思うか」だと考えてもらえば良いと思います。

人は自分自身の評価を高めようする,つまり自尊感情を高めようと動機づけられている,という言い方も昔からよくされます。

そして,これに似たような言葉もいくつかあります。たとえば,自己評価,自己肯定感,そして自尊心です。

自己評価

自己評価は,self-evaluationの訳語として用いられることが多いと思います。Tesserの「自己評価維持モデル」は,self-evaluation maintenance modelの日本語訳です。

なお自己評価は,特定の領域における自己の評価として用いられると,新谷先生が著書に書かれていました。

ちなみにちょっと脱線しますが,自己評価維持モデルというのは,自分の評価を他の人との比較の中で維持しようとする動きをモデル化したものです。

自分と心理的に近い他者が自分よりも優れていると自己評価が下がり,劣っていると自己評価が上がることがあります(比較過程)。その一方で,近い他者が自分よりも優れていると自己評価が上がり,劣っていると下がることもあります(反映過程)。

クラスメイトのある人が,アイドルとしてデビューすると,「悔しい。どうしてあの子だけ」(比較過程)と思うときもあれば「すごい。自分も同じクラスにいて誇らしい」(反映過程)と思うときもあるというこです。
この違いを生み出す一つの要素は,自分自身がその活動に関与しているかどうかにあります。自分もアイドルを目指していれば「悔しい」になりますし,目指していなければ「すごい。誇らしい」になるというわけです。

自己肯定

自己肯定という言葉はやや厄介なのですが,たとえばself-affirmation theoryは自己肯定化理論と訳されます。

self-esteemを「自己肯定感」と訳しているのを見たこともあります。ですが,「自己肯定感」という日本語に英語の定訳はないように思うのです。

この佐藤先生の論文でも,自己肯定の訳としてself-affirmationを使っています。この論文についてはあとで詳しく見てみようと思います。

自尊感情か自尊心か

自尊感情と自尊心は,どちらもself-esteemの訳語として用いられます。この2つの訳語,論文を検索すると「自尊感情」を使っているものが多数派のようです。

自尊心を使うか自尊感情を使うかは,まあ,研究者の好みやこだわりと言って良いかもしれません。私はよく自尊感情を使いますが「この訳じゃないとダメだ」というような,それほど強いこだわりがあるわけではありません。

印象ですが,感情だけではない,自分に対する評価などより複雑な機能を含めたイメージでself-esteemを捉えようとする研究者は,自尊心を好んで使うのではないでしょうか。

自尊感情じゃなくて自尊心を使うべきだ」という論文もあります。

自尊感情派と自尊心派の議論が沸き起こったりするのでしょうか……?もしそうなったら,どうなっていくのでしょうか。

これも私の勝手な印象なのですが,「自尊心」という言葉に「品格」や「人格の高潔さ」のような道徳的ニュアンスがあって,それを嫌う研究者もいるのではないかと思っています。辞書で「自尊」を検索すると,「人格の尊重」「品位を保つ」という意味が出てきます。自尊心か自尊感情かという以前に,「自尊」という言葉自体のもつ品格的なニュアンスが問題なのではないでしょうか。

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心理学は「科学」であろうとします(少なくとも建前上は)。そして実験や調査でself-esteemを扱うときに,できればそういう道徳的ニュアンスを避けたい,弱めたいと考える志向性があるように思うのです。そこで,シンプルな機構としての「感情」の側面に注目して「自尊感情」という言葉を使ったのではないかと思っているのですが,実際どうなのかはわかりません。

これは,personalityを人格と訳すか性格と訳すかという問題によく似ています。もともとcharacterを性格,personalityを人格と訳していたのですが,「人格」には「品位」としてのニュアンスがあり,characterにも「よい個人差」というニュアンスがあります。そのあたりが英語と日本語で混乱していたのです。そこで結局は現在,学会名も「日本パーソナリティ心理学会」になった経緯があるのです。この経緯が,自尊心と自尊感情の問題と重なります。

もしかしたらこの問題が続くとそのうち,カタカナで「セルフ・エスティーム」と書くことで落ち着いてしまうかもしれません。

ジングル・ジャングル

このあたりの整理が難しい状況は,ひとつのジングル・ジャングル・ファラシーズ(ごちゃ混ぜの誤謬)の例といえるようなものです。

これは,以前「コミュ力」の記事で書いた内容にも通じます。

Jingle fallacy …… 本当は違うものなのに,同じ名前がついてしまっているので同じものだと見なしてしまうこと。
Jangle fallacy …… 本当は同じものなのに,違う名前がついてしまっているので違うものだと見なしてしまうこと。

自分に対するポジティブな感情や評価に違う名前がついてしまうという状況は,ジャングル・ファラシーに相当するのかもしれません。

もちろん,それぞれの研究者は「これはあれとはこういう点で違う概念だ」と言うでしょうけれども。じゃあ,まとめて調査をして因子分析にかけたらどうなるか?と考えることもできますよね。

自己肯定の種類

筑波大学の佐藤有耕先生の論文が,その一例だと思います。

自分を肯定する傾向を,自尊心と自愛心にわけ,さらにその内容を7因子ずつ,合計14因子にも分類しています。

自尊心には,「自己尊大」「自己信頼」「自主自立」「自己受容」「プライド」「独立自尊」「品位の維持」が含まれます。また,自愛心には「満足感」「万能感」「自己尊重」「自己陶酔」「完全主義」「自己中心」「自己擁護」が含まれます。

これらの14因子をさらに高次の因子分析でまとめると,
1. 自己愛的に高揚した高い評価や期待に基づく自己肯定(私はすばらしい)
2. 自立的な生き方への敬意と自負に基づく自己肯定(私は私らしく生きている)
3. 自己受容的な納得や満足に基づく自己肯定(私はこれで良い)

という3つの超因子になることが示されています。

この,「私はすばらしい」「私は私らしく生きている」「私はこれで良い」という3つの自己肯定のあり方は,自分をポジティブに捉えることの全体をうまくカバーしているように思います。

そして,これらの中の「私はすばらしい」の因子が,自己嫌悪感につながることも論文の中で示されています。同じ自分へのポジティブな感覚でも,その機能は異なる可能性があることを示しています。

皆さんは,これらの自己肯定のあり方のうち,どの側面を強く抱いているでしょうか。

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