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Apple Music停止。便利なストリーミングサービスを止めることが"文化”になる。

本日6月2日、Apple Musicのストリーミングサービスが停止しました。

ニュースでご存知のようにジョージ・フロイド氏暴行死を受けた抗議のためです。 サブスクリプションサービスに契約している私も、以下のように表示され、自分のライブラリ以外の曲は聴けず、 #TheShowMustBePaused に賛同する特別プログラムを聴くことができます。 

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ちょうど、A Trive cold QuestやCurits Mayfild、Public Enemyが流れています。

今回のデモに関しては、いろいろな思惑の集団が入ってきて、わかりづらくなっていますが、背景をスピーディに理解しておきたい人は、スパイク・リー監督の最新作『ブラック・クランズマン』でも見てください。(執筆時点で、アマゾンプライム会員なら無料)

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70年代が背景の映画ですが、現在進行系の問題だということが映画の中でも触れられています。2017年にあったシャーロッツビルの事件も紹介されています。

不便によって、カルチャーになる。

本題です。今回アップルは、ユーザーがお金を出して契約しているサブスクリプションサービスを停止するというビジネスでは考えられない行動をとりました。そこで何が起きたかというと、使えなくなったことに文句を言っているユーザーももちろんいますが、私のように今回の対応に共感するユーザーも出ています。

普段は利便性から使われているサービスに、合理的ではない人間らしい顔が見えた瞬間です。世の中に広く使われていくものは、便利なほうに、人間が怠惰になるほうに進化していき、一方で不便になったものは文化になっていくと言われます。WEBメディアよりも雑誌が文化的なのも、チャットよりも手紙が文化的なのも……。

今回のような不便になる行動を起こすことで、「文化」感が生まれました。ツルッとした顔の見えないサブスクサービスでさえ、あえて不便にするイベントを行ったことで、手触り感も強いメッセージを伝わりました。サービスブランドであっても、ユーザーに不便な体験をともにしてもらうことで、文化となっていく道をアップルが示してくれました。

今回の件を、支持者や音楽ファンはリベラルな人が多いから……といった打算的な活動だと捉える人がいますが、違うと思います。打算的な活動ではなくサービス主体の意思を示すことでブランドが強硬になっていく、文化になっていくのです。

ブランディングに関わる人間にとって、今回のAppleMusicのイベントは体験しておくことを強くおすすめしておきます。ぜひ自分で感じて、考えてみてください。



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