『T2 トレインスポッティング』

もう3年くらい前の話になるんですが、Born slippy聞きながら観に行きました。
そのまた20年前、テアトル梅田で初めてトレスポ1を観て以降、王家衛やハーモニーコルンなど当時ミニシアターで上映していた映画、またここからつながって、ゴダールなどヌーベルバーグや、ドイツのベルナーヘルツォーク、日本の日活映画などなどにのめり込むきっかけとなった私にとっては、まさに青春映画でした。

ストーリーは、結局また、裏切ったり、裏切られたり。けど、この4人は、幼なじみながらもこの関係性でしかありえないし、裏切り、裏切られ続けたとしても、そこには憎しみだけでなく、かすかかもしれないが、お互いへの愛もまた感じられ、ここにこそトレスポのドラマの原動があるだろう。また、スコットランドがイングランドに支配されていることや、サッチャリズム、階級意識が残る社会背景が劇中で、述べられていることも、当時の私には新鮮だった。今となっては、階級が下だから、麻薬漬けになって、生活が滅茶苦茶になって良いわけじゃないと思うけど、政治体制を言い訳にしたくなる気持ちは、当時の日本の政治状況と重なるようにも思えて、わかる気がした。

当時トレスポは、サブカルの代表格みたいな感じで、「スタイリッシュな映像と音楽」とか言われていたが、音楽やファッション、ストーリーというより、この主人公達の心境に共感を感じられるかどうかが、この映画を好きになるかどうかの分かれ目だと思います。
自分は麻薬漬けでもなんでもなかったが、主人公の心境においては、リアルに感じられた。
【当時は無意味に美しすぎたり、ステレオタイプだったり、壮大すぎる人間関係が描かれた映画を観ることに行き詰まりを感じていて、その反動としても】

リアルタイムで観てない人には、わからないかもしれないけど、音楽も映像もセルフオマージュだらけで、この20年間の自分自身も重なって、観に行って本当によかった。

ところで、トレスポ1での有名なモノローグ
「人生を選べ、キャリアを選べ、家族を、テレビを、洗濯機を、車を、CDプレイヤーを、 〈中略〉未来を選べ。だけど、それがいったい何なんだ?」は、実は、サッチャリズムへの皮肉【自由主義だから未来は好きなように選べるというサッチャリズムの建前とは逆に、スコットランドの労働者階級には、現実的に選べる未来はあまりない】でもあったらしいのだが、当時の私にとっては、それは単にメインカルチャーへのアイロニー、カウンターだと思っていたし、他の観客にとってもそう捉えられただろう。

今作の劇中でのモノローグ「産まれてから死ぬまでをFBで垂れ流して、いいねをもらえ」は、まさに現在のメインカルチャーであるSNSへのアイロニーだが、誰ともこの話をする機会のなかった私もやっぱり自分の感傷を、、、垂れ流して、、しまった。

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