見出し画像

「ぼくの村は戦場だった」 作曲家・信長貴富氏のことばから感じたこと

第70回全日本合唱コンクール(2017年)で都留文科大学合唱団が演奏した曲「混声合唱とピアノのための『ぼくの村は戦場だった』 - あるジャーナリストの記録 -」の楽譜が出版になったそうだ。

2012年にシリアで凶弾に倒れたジャーナリストの山本美香氏の著作を、作曲家の信長貴富氏がテキスト構成・作曲した作品。

今回は、信長氏のしたためた「まえがき」を引用しながら、感じたことを書いてみたい。思いついたままに記した雑文。

メディアとしての「歌」

 本作はテノールの清水雅彦氏の委嘱により作曲されたものである。2012年8月、日本人ジャーナリストが取材中にシリアで銃撃に斃れたという衝撃の打電から1年半後の2014年1月に初演された。
 歌も一つのメディアであると捉えたとき、作曲という作業にも或る種のリスクが伴っていることを、作り手は自覚しなければならない。何かを伝えるということは、背後に膨大な「伝えないこと、伝えられないこと」があるからだ。ジャーナリズム論的にいえばそれは編集のリスクということになるだろう。メディアが「マス」であればあるほど、編集権は絶大な力を持ち得る。それは権力を監視する力となって市民の声を代弁する働きをすることもあれば、権力と一体となって世論を誤った方向に誘導することもある。歴史を振り返るまでもなく、現在の日本のマス・メディアが何を伝え、何を伝えていないか注意深く観察していれば、自ずと編集のリスクについて自覚することになるだろう。

メディア(media)とは「情報の媒体」である。そうした意味で、「歌も一つのメディアである」という自覚は、作り手だけでなく、歌い手(演奏家)も、伝達者の一人として自覚していなければならないと感じる。

「何かを伝えるということは、背後に膨大な『伝えないこと、伝えられないこと』がある」という信長氏の指摘は、歌にとどまらず、あらゆる「メディア」に関係がある。そして、何より情報の受け手である私たちもこうしたことに自覚的である必要があるだろう。

同時に「メディアが伝えない『不都合な』真実」というようなものに過剰な信頼を寄せるのも良くない。どんなメディアにも「伝えるもの」と「伝えない」ものがある。大切なことは、多様な情報に接する中で「これが全てではない」という自覚を持つこと、そして「自分が色眼鏡で情報を取捨選択していないか」注意することではないだろうか。

少し余談だが、合唱曲の中には、「差別用語」が入っていることによって演奏されなくなった作品がある。例えば、多田武彦氏の「十一月にふる雨」という作品では「非人」という言葉が問題となって、現在ではめったに演奏されない。こうした「お蔵入り」や「差し替え」には、賛否両論がある。こうした議論についても「歌が『メディア』である」という考え方が役に立つかもしれないと思った。

主義主張のフィルター

 清水雅彦氏からジャーナリスト・山本美香さんの著作をもとにした声楽作品を、とのご提案をいただいたとき、最初に課題と感じたのが編集のリスクについてだった。山本美香さんの残した仕事のどこを切り取るか、切り取らないか、結局は私の主義主張のフィルターを通過させなければならない。山本さんご自身も著作の中でマス・メディアへの自己批判も含めて編集リスクについて言及されているから、私も彼女のこころざしにならって、編集の罪に自覚的であろうと誓いつつ作業を進めた。
 作曲にあたって山本美香さんが取り組まれていた活動の中から、戦場にいる子どもたちへの取材に焦点を当てることにした。山本さんが都留文科大学のご出身であるという「つながり」の中に、現在同大学で教鞭を執る清水氏の思いの深まりがあったことを私なりに関連付けて、教育……子どもたちへのまなざし……という観点を作品の背景に置こうと考えたのである。戦争で心に傷を負った子どもたちへの教育、また戦争を遠い国の出来事としてしか認知していない子どもたちへの教育の必要性については、山本さんが著作の中でも多くの頁を割いていらっしゃることだ。
 テキストは、山本さんの三つの著作『ぼくの村は戦場だった。』(マガジンハウス)、『戦争を取材する』(講談社)、『中継されなかったバグダッド』(小学館)から抜粋した上で、舞台用の言葉として私が編集したものを中心に構成している。このほかに、参考文献として『山本美香最終講義 ザ・ミッション』(早稲田大学出版部)を参照した。第三章の子ども兵の描写の部分では『子ども兵の戦争』(P.W.シンガー著、小林由香利訳、NHK出版)を参考にしている。また、子どもたちの肉声を作品に挿入したいとの考えから、第四章と第五章では『目をとじれば平和が見える 旧ユーゴスラビアの子どもたちが描く戦争』(ユニセフ編、ぽるぷ出版)と、『チャンスがあれば… ストリートチルドレンの夢』(「チャンスの会」編・訳、岩崎書店)を参照した。これら三冊の文献は山本さんの仕事とは直接の関係はないが、彼女が私に与えてくれた子どもと戦争に関する視座を敷衍する役割を持つことになったと思う。
 山本さんの著作を読み進めるにつれ、ご自身のことについてセンセーショナルな伝え方をされることは彼女の望むところではないのだという認識が確かなものになり、2012年のシリアでの事件については本作では触れなかった。一方、死と隣り合わせにいることの緊張感や、それでも誰かが伝えなければという使命感を示す言葉は組み入れている。
 私が古書でたまたま手にした『中継されなかったバグダッド』の扉に彼女の直筆サインがあった。そこには「見なきゃ はじまらない」という力強いメッセージが書かれていた。山本さんがまだ生きていらしたら、いまの内外の情勢をどのように伝えていただろうか。日本のジャーナリズムの悲観すべき現実の中で、山本美香さんの不在は非常に大きな空洞のように思えてならない。

かなり長く引用させていただいた。信長氏は、まず、自らの「主義主張のフィルター」について自覚的であることを述べ、その上で作業の中で読み取ったこと、感じたことを書き連ねている。ここでは、山本氏の遺したものから「戦争」と「教育」を核として作曲をすすめたことがうかがえる。

20世紀に起こった二つの大きな世界大戦。その終戦から、すでに70年以上の時が経過し、記憶や意識は少しずつ「風化」している。まもなく「戦争」を経験した世代もいなくなる。そんな中で、戦争の惨禍を語り継ぐために「教育」が持たなければならない役割について改めて自覚する必要性を感じた。

そして「見なきゃ はじまらない」というメッセージの重みも感じた。都合の悪い現実から目を逸らす政治、異なる意見に耳を傾けない市民。見ているようで「見ていない」ということが横行している日本社会。改めて向き合うべき大切なことばだと思う。

合唱で歌われることの意味

 合唱版は2017年から2018年にかけて清水雅彦先生の指揮する都留文科大学合唱団のために制作されました。独唱版が初演された当初から、この曲集は合唱版の可能性があると感じていました。山本美香さんの著作をもとにし、個の眼を通した世界を描くというのが本作のコンセプトでしたが、合唱で歌われることによって、世界中のジャーナリスト(あるいは無数の市民)の眼から見た同時多発的な「今」を描くという広がりが生まれるのではないかと考えながら編曲を進めました。山本美香さんの出身大学である都留文科大学の若者たちによって合唱版初演が実現できたことは、作品に大きな意味を与えてくださったように思います。各位に心から感謝申し上げます。

合唱で歌われることによって「同時多発的な『今』を描くという広がりが生まれる」と信長氏は述べる。合唱とは、ある意味で「独唱の集合体」とも言いうるものであると思う。すなわち「合わせて歌う」のではなく、「歌が合わさる」ものとも言えるだろう。そういった意味では、信長氏の述べたような音楽を作るためには、一人一人の「歌」が必要なのだろうと感じる。

混声合唱とピアノのための「ぼくの村は戦場だった」、いつか演奏してみたいと感じた。

山本氏の著作


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?