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しりとり『いっぱい』

宿題→いっぱい

我が家には本棚がある。

玄関を開けるとまず目に入る壁際に六段の白い本棚があって、新書・文庫・文芸雑誌・漫画などなどが凡そ200冊くらい飾られている。

初めて家にくる客人の何割かは珍しがって、
「いっぱい本あるじゃん!これ全部読んだ?」
 と聞いてくるので、僕は鼻高々と
「当たり前だろ、読んだことない本置くわけないじゃん」 
 と答えるのだが、これは嘘だ

ざっと数えただけでも15冊くらいは(特に小難しそうな学術書又は古典の小説)は全く読んでいないか、読もうとして諦めた本である。

これらの本はいつか然るべき時が来た時のために本棚にしまったものの、いつしかディスプレイとしてのかっこよさ、つまりは、自分にはこれだけの量の本を読み解いて楽しめるだけの教養があるのだと周囲に誇示するための道具として置かれるようになっていった。要はただのインテリアである。

僕はこのインテリアたちによって、本当のところはそれだけの教養と能力を持ち合わせていないにも関わらず、自分を実態よりも大きく立派に見せて優位性を示そうとしているわけだ。なんと滑稽なことか。自分で書いておいて悲しくなってきた。

どうして僕がこのような恥ずかしい見栄っ張りになってしまったのかというと、そもそも『いっぱい』あることが是とされる世の中に原因があると思われる。

そう、僕は何も悪くないのだ。

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僕たちは元来、"量的な豊かさ"が、"人間としての豊かさ"を保証する世界に生きている。

経験、知識、お金、時間、食事、趣味…何であれ『いっぱい』持つ人はそれだけで偉く見えて、羨望と嫉妬の対象となりうるのである。

何故ならばそれはその人がある種の競争に打ち勝って、成長と拡大を成し遂げたという勝者の証となるからだ。ここに、敗者に対する勝者の優位性が生まれてきて、その格差に付随し各々の感情が発現されてくる。

一方で、このような量的な豊かさに対抗しようとするミニマリズムやら一汁一菜、いわゆる丁寧な暮らしやらのムーブメントも存在して、量的な豊かさがイコール幸福なのではないと主張を続けている。しかしこれらも、常に量的な豊かさを保持しながら清貧な生活を目指しているために、量的な支配から抜け出すことができていない。

良く眼を凝らしてみると、シンプルライフを説く悪人たちは、そもそも量的に豊かな生活を選ぶことが出来た勝者である。その勝利に飽きたから、物を捨ててシンプルな生活を送ることができるのだ。

彼らにとってみれば、そもそも捨てることができない者、家具が買えない・おかずを作れない貧乏人たちは決して同じ仲間ではない。彼らは貧困に選ばれたみすぼらしい敗者なのではなく、清貧を選んだ勝者なのである。貧乏人と同じにするな!と言う話になる。

あー、怖い怖い。

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しかし、いくら『いっぱい』あることは偉いからといって、インターネットにたまにいる「毎年300本以上の映画を観る」だとか「毎年100冊以上の本を読む」だとか、"量的な豊かさ"に取り憑かれた本末転倒な人生を送りたいかと言われれば決してそんなことはない。

膨大な情報を右から左に流すことで人間的な豊かさを得られるのであれば、僕は寂しくみすぼらしく卑しい人間で構いやしない。そもそもそんな能力はないし、そんな暇があるのなら友人と下らない話で笑い転げて酒を煽り、旨い食事を共有する時間を過ごしたい。

思うにそもそも、映画や本なんて芸術は、「これは私の身体の一部であり、切ったら血の出る幹である」とはっきり言い切れる物が5つもあれば充分なのだ。

それ以外の作品は些細で雑多な枝葉に過ぎず、せいぜい装飾品になり得るだけだ。そんなどうでもいいことに必死こいて生活の大半を注ぎ込む必要はないのだと思う。

従って、我が家の本棚はどうでもいい本ばかりが埋もれていると言ってもよい。だから僕は客人が興味を示した本ならばプレゼントするような気持ちで簡単に貸し与えてしまう。そこに僕の血肉は通っておらず、失くしてしまっても痛くも痒くもないからだ(結局インテリアのために同じ本を再購入したりするのだが)。

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だけれども幸か不幸か、有象無象のうちの一つでしかなかった本にも血が通ってしまうことがある。

以前、BOOKOFFの100円コーナーで適当に古本を買って読むことが趣味だという女の子と出会った。

彼女はやたら大きな瞳をギョロギョロさせながら、スピッツの青春生き残りゲームという曲をそっくりそのままエールとして送ってやりたくなるくらいに、危なっかしく生きていた。僕はなんだか嬉しくなって、そのとき持っていたBOOKOFFの100円コーナーで買ったどうでもいい本を貸したのだが、連絡する頻度は落ちていき、結局その本は返ってこないままに関わりは絶たれてしまった。

残念だけれど仕方がないので、いっぱい本がある立派な本棚を保つため、全く同じ形と中身の本を買い求め元あった隙間に埋めてみた。以前と同じはずの本棚がやけに空っぽになってしまったような気がした。

電子書籍に移行しようかしら。


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