十月六日・七日@ウィーン・ブダペスト

十月六日

朝早いバスに乗ってウィーンにいく。ベルリンの学会で会った友達がウィーンにいるというので遊びに行った。その人はウィーン生まれのウィーン育ちで、色々面白いところを見せてくれるそう。

中央駅まで迎えにきてくれて、そこから朝ごはんを食べにいく。地元の人で賑わうカフェに連れて行ってくれる。丸いパン二つ、マーマレード、バター、ゆで卵(半熟)の朝ごはんにメランジェというウィーン定番のコーヒーを頼む。

そのあとは歩きながら街を見て、Belvedereという三つの美術館が一緒になったところにいく。とにかく広くて結果的に一時から閉館の六時まで滞在する。建物の中にとても広いガーデンがあって、それがとても美しい。シェーンブルン宮殿を思い出させるが、ウィーンのガーデンはだいたいこんなものなのだろう(ということで特別シェーンブルン宮殿に似ているわけでもない気がする)。あの有名なクリムトの接吻の絵も初めて生で見ることができた。

絵画を鑑賞していると、やたら友人が意見を聞いてくる。あぁ、こういうところが西洋人と話してて疲れる時だなと久しぶりに実感する。何事に対しても理由があり、ただただ受け身でいることが許されないような状態。

途中で疲れたので座っていると、友人が「文化が違うからもっと君を理解したい。全然違う文化圏にいるから、どう物事が見えるのか知りたい。文化を理解することが好きなんだ」と言ってくる。言わんとしていることはわかるし、私も異文化理解が好きな方だが、改めて言われると変な気持ちになる。私が日本人じゃなかったら、どうなんだ。

「自分のものの見方を共有してくれて、初めて分かり合えると思う。なので建前だけの薄っぺらい意見の交換だけだと、つまらない。そんな関係なら時間を使いたくない」というようなことを言ってくる。意識してか無意識か、まるでアジア圏の文化が理解できないような感じのことを示唆しているように感じる。だからこそ興味を持ってもっと分かりたいのだろうが(他にもたくさん中国人の友達がいるらしい)。

私は別に怒ったわけでもなんでもなかったが「でもすぐに自分の思いを表現するの難しい。相手をよく知らないで、相手がどう感じるかがわからない状態で、もしかしたら相手の気持ちと反対のことを言ってしまったりするかもしれない。ヨーロッパの人は衝突があると話し合いで解決するのかもしれないけど、アジア人は衝突する前に回避すると思う。」というと、何か気に入らなかったのか私に悪いと思ったのか、その後意見を聞いてくることはなかった。

夜ご飯は美術館近くの酒場で食べる。小麦のビールとライ麦パンの上に溶けたカマンベールチーズとパプリカが乗ったトーストみたいなのを食べる。友人のお店のチョイスは私の好みで、まさに地元の人に愛されているところばかりだ。

バスに揺られてブダペストに帰る。いくら近いとはいえ一日で往復するのはしんどい。

十月七日

今日の五時から久しぶりに音楽の輪読会を再開するので、そのための論文を読む。鳥の音楽認知の実験で、鳥はコミュニケーションをとるときに歌を使うが、その歌の音楽的な部分(音程)ではなく、言語的な部分(時系列の音の幅)に依拠しているので、バードソングは人間の耳には音楽っぽく聞こえるけど、鳥はむしろ言語的に解釈しているようだという話。

動物の実験は読み慣れないので、理解するのに時間がかかる。やっと終わって明日のミーティングまでに完成させようと思っていた論文の序論を書き始める。夏の終わりに提出した章を元にしているが、もっと議論の中心に焦点を当てるため、不必要な部分を削って構造を少し変える。

先生に下書きを送るともう輪読会の時間である。今日来てくれた人はみんなアカデミアの人ばかりで、色々議論が捗る。実験の刺激で使われたvocoder(シンセサイザーみたいなもの)の話などは聞いたことがなかったので面白かった。

夜は初めてハンガリー語の授業に行く。挨拶とか、数字とか、自己紹介を学ぶ。今はまだ楽しいが、ハンガリー語はとても難しいらしい。

授業が終わって学部に帰ると、ブラジル人とトルコ人の先輩がご飯に行くところで一緒に混ぜてもらう。そのあとリトアニア人の後輩も来て、なんだかしみじみと国際的な学部だなと思う。メキシコのブリットを食べながら、何円もらったら裸になってもいいかなどどうでもいいことを話す。