僕くたちのラジオと過ごした青春の日々~since1998~vol.2
ラジオの中には、同世代で共感出来る人がたくさんいた1990年代。まだ、携帯電話はガラケーで、持っている人は少なかった。パソコンはWindows98で、学校にあるパソコンはDOSだった。
ニッポン放送「井手功二のゲルゲットショッキングセンター」
私が聴いていたラジオは、ニッポン放送「井手功二のゲルゲットショッキングセンター」。パーソナリティーは、井手功二さん。チャーミースマイル&グリーンヘッドというバンドのボーカル。
私は、チャーミースマイル&グリーンヘッドを知らなかった。まわりに知ってる人もいなかった。ただ、井手功二さんの喋りが好きで毎日ラジオを聴いていた。
SPEEDの番組が目当てだったのが、いつの間にか「井手功二のゲルゲットショッキングセンター」が聴きたくてラジオの前にいた。
15才だった私より、少し上の27才のお兄さん的な存在。とても魅力的だった。
ただ、まわりに共感出来る友達はいなく、私1人の深夜の楽しみだった。
当時、チャーミースマイル&グリーンヘッドの曲が欲しくて、CDをはじめて予約した。
ただ、番組は私が聴き始めて、半年後には終わってしまった。悲しい気持ちを共感できる人はいなかった。
声だけで、たくさんの人に影響を与えられる仕事ってスゴいなぁと感じていた。
2000年代とは
高校生になり、携帯電話を持ち、通学時はMDで音楽を聴くのがステータスだった。
世の中が、凄いスピードで成長していくのを感じていた。
隣の市のT高校に進学したから、電車通学。同じ中学からは数名程度しか、進学しなかった。
私のことを知ってる人は、ほとんどいなかった。
私は、目的もなくなりラジオから卒業してしまった。
オールナイトニッポンとの出会い
相変わらず、ラジオはノイズまじりだった。
高校生になって半年もたずに部活挫折。1年の2学期から違う部活へ。
中学からの友達に加え、新しい友達が出来た。遊びで毎日忙しかった。この頃から、またラジオを聴き始めた。友達に自身がラジオ好きと公表できた。
友達も好きなアイドルのラジオを聴くのに、ニッポン放送を聴いていた。
当時、深夜12時以降はラジオがクリアに聴けといた。なんとなくオールナイトニッポンを聴き始めた。
深夜の楽しみはラジオだった
こだわりがあったわけではないが、AMが好きで、ニッポン放送しか聴いてなかった。
月曜日…ロンドンブーツ1号2号
火曜日…西川貴教
水曜日…ゆず
木曜日…SILVA→ナインティナイン
金曜日…ネプチューン
土曜日…福山雅治
毎日楽しみだったなぁ。
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