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僕くたちのラジオと過ごした青春の日々~since1998~vol.1

1998年(平成10年)、ラジオを聴いていた子供はどれだけいただろうか。

1990年代とは

まだ、カセットテープを愛用していた。

今、音楽を聴くには、YouTubeやiTunes、サブスク音楽などが主流である。

当時は、CD全盛期で1998年は年間販売数が3億291万3000枚。今では考えられない。

地元が田舎だったから、コンビニも近くにない。電車も1時間に1本。

でも、それが田舎では普通だった1990年代。

大人ではないが子供でもない中学生3年生

夏で部活動も終わると、中学生3年生は受験生と名前を変える。進路について考え始める。

ぼんやりと、大人になる自分達を想像していた。

田舎だから、1学年8クラスで320人もいる。正直、接点のない人は、名前も顔もわからない。

たぶん、私の名前も顔もわからない人は多かったと思う。

自分で決めなくてはいけない進路①

地元の高校は、母の母校のA高校。お世辞にも学力が良い学校ではなかった。でも、自転車で30分くらいで行ける距離だから、良いかな?と思っていた。

同級生の半分くらいは、地元に進学する。A高校は中の下レベル。私の学力は、中の上レベル。

そのままの学力なら合格できるレベル。

ラジオは1人で楽しめる娯楽

CDが売れていた時代だが、私の近所ではCDや音楽雑誌など買うところはなかった。

当時、同世代だったSPEEDが好きだった。他にもASAYANからモーニング娘。や鈴木亜美がデビューして人気だった。

とにかくSPEEDの情報を得るのに必死だった。

キッカケは忘れてしまったが、SPEEDのラジオ番組を知り、聴き始めた。

AMとかFMとか全く知識はなかった。SPEEDのラジオは、ニッポン放送で、私の住んでいるエリアでは全く聴けなかった。ノイズ混じりで必死に聴いていた記憶がある。

だんだん、SPEEDの前後の番組も聴くようになりました。後々、わかったことだが、「ゲルゲットショッキングセンター」という番組の箱番組が『ハイ!SPEEDで行こう!』だったようだ。


ラジオが好きと気づいた!

まわりにラジオを聴いてる人は、いなかった。

でも、ラジオが好きだと認識し始めたのが、中学3年の冬。

理由は、わからなかったが、このまま地元に進学してはいけない気がした。特にやりたいことは、なかったが…パソコンやプログラムの勉強ができる科のある高校に憧れ始めた。

その時は、将来ラジオに関わる仕事が出来るとは、想像もしてなかった。



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