マイケル・ベイ御大が見せつけてくれる寛容 映画『アンビュランス』レビュー

そう、今日は映画の日であった。ほな映画安く見れるやんけということで、この度失業した私は平日の昼間からうきうきしながら近所の映画館に向かった。ちなみにエイプリルフールの嘘でもなんでもなくて、失業は事実である。まぁ映画の日は、あんまりチェックはしてなかったけど、なんか気になっている映画を見ればお得だよね、という訳でマイケル・ベイ監督の『アンビュランス』を見た。どうせいつもの大味ないい加減な映画だろと思いながら軽い気持ちで見たのだったが、いい意味で期待を裏切られる形となった。

アフガニスタンからの帰還兵であるウィル(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)は、義理の兄のダニー(ジェイク・ギレンホール)の元にある理由から借金の無心に赴く。しかしダニーはプロの銀行強盗であり、タイミング悪くこれから銀行へのタタキに向かう、まさにその瞬間だったのだ。そのキャリアを買われ、なし崩し的にそのタタキに参画することになったウィルだったが、ずさんな計画は破綻し、あっという間にLA警察の特殊部隊に包囲されてしまう。あわや一網打尽と思われたその時、二人の前に救急救命士のキャム(エイザ・ゴンザレス)を乗せた救急車が通りかかる。彼らは救急車をジャックし、乗り合わせていた瀕死の警察官とともに、地獄のような逃避行が始まってしまう……。

映画史の礎を築き上げたレジェンド、D・W・グリフィスが『イントレランス(不寛容、の意味)』を撮影してから1世紀近くが経過しようとしている。私の個人的な感覚だが、『イントレランス』の誕生によって映画は社会にはびこる不寛容を剔抉し、それを描き続ける宿命を抱いたと思っている。ヴィッテリオ・デ・シーカ『自転車泥棒』から黒澤明の『生きる』、最近なら是枝裕和の『万引家族』とかケン・ローチの『わたしは、ダニエルブレイク』に至るまで。どうしてこの社会は弱っている人に厳しいのだろう。少しくらいの悪事は見逃してやればいいのに、とまともな人間なら考えるのが人情というやつだが生憎この世はそう甘くない。溺れる犬は棒で叩け、と言わんばかりの形相で彼らの罪を暴こうとする。それが人間の本性なら、もういっそ滅びたらいいんじゃないかと思ったりもする。目上の人間が犯した汚職や疑獄事件には目を瞑るくせに。

何が言いたいかというと、私は世間は「いつものベイだ、おバカアクションだ」と評されるアンビュランスを、上にあげた「社会の不寛容を暴く社会派の映画」の列に成す傑作として位置づけたいのである。その理由を以下挙げていく。

おベイお得意の目の回りそうなキャメラワークや銃撃戦とか爆破シーンは本作でも健在だが、過去作の『バッドボーイズ』や『トランスフォーマー』などに比べるとやや抑え目な印象がある。というのもさもさりなんで、近年のハリウッド映画の中ではアンビュランスは(比較的)低予算で作られているのだ。しかしなら全くといって良いほど見劣りしない。まず火薬の量を補うかのように、編集がすごく良い。アーレン・ダノロフスキー監督とか、ポール・グリーングラス監督のジェイソンボーンシリーズを彷彿とさせる多カット編集の鶴瓶落としで畳みかける戦略を取っている。それは映画の映像というよりも、見るものに次々とマンガのコマ割りを彷彿とさせる視覚効果をもたらす。こと10分に一度訪れるアクションシーンにおいては、構図がバッチリと決まったスチール画の連続をバシバシと叩きつけられるような(実際はちゃんと映像作品なのだが)感覚が面白い。

それより私が驚いたのがストーリーの良さ。確かに大味でそりゃねぇよと思わせるシーンもあるにはあるが、それでも映画としての筋を通している。映画の大半は密室である救急車の中で展開されるのだが、一時期流行ったソリッドシチュエーションな面白さがある。ただでさえプロのコップから逃走しなければならないので、主人公は中東で培ったドライビングテクを駆使しながらも、大けがを負った者もいるからそっちも慮らないといけない。銃で撃たれて瀕死なので手術もしないといけないが、ここには医者がいないけどどうする? 警察は銃でバンバン打ってくるので応戦しないといけない。部下や仲間のマフィアに協力を要請し、逃走の手筈も用意してもらう。考えること、やることが多すぎな上に色んなできごとが次々と並列処理で進むので、見ていて結構頭を使う。

また、銀行強盗VS警察というシンプルなクライム映画の体裁の中に、数多くの対立構造を含ませる。彼を追う警察内部にもリベラルと保守的価値観の対立があり、暴走超特急の救急車をめぐる捜査のやり方で常に議論しぶつかり合う。また悪党の中にだってそれがある。後半、逃走する救急車をめぐってマフィア組織が介入し、最終的に大規模な市街戦みたいなことになるのだが、一線を越えてでも救急車を確保しようとする非道なマフィアに主人公たちが反駁するサブプロットも用意されている。そうした対立は映画の展開に予期せぬ事態の展開に力を貸し、映画をフルスピードで回転させていく。

そもそもメインプロットでもある「一台の救急車を大勢で追い掛け回す警察」という構図それ自体に社会批判的なメッセージが仕掛けられている。この映画の警察は本来守らなければならない者を追い回し、その銃口を向けている。ハンドルを握るウィルをそこに乗り合わせているのは殆どが弱き人たちである。おベイの映画では実際の軍隊や警察が撮影に協力的なのは有名な話だが、この映画に限ってはどういう気持ちでいたのだろうか。内心穏やかでなかったのではないだろうか。治安維持という目的の為に銃を握る者は果たして十全な存在だろうか。彼らが下す決断に間違いは無いと誰が言いきれるだろう。この一見のんきなアクション映画の背後から、そうした行政機関のバランス感覚の危うさなるものが、時折見え隠れもする。

だからこそである。最後に人々が見せる「寛容」や「許し」、「施し」が光り輝く。確かにしかるべく下される刑罰も必要であろう。でも、もう不要な罰はコリゴリだ、という叫びが聞こえるようでもある。あいまいさを敬遠するベイらしく、それを言葉や概念ではなく、ものすごく具体的な形で描いて見せる。ベイ作品に共通するある種の楽観主義や気楽さは、こういう良いことを、まるで呼吸をするかのようにいともたやすく実践する、そんな無名のヒーローたちが居てこそ齎されている。

撮影には極力CGを使用していないようで、(立体交差点の下でのヘリとのチェイスはくそヤバいぞ)「ダイ・ハード」とか古き良き時代のアクション映画を思わせながら、現代社会のひずみや矛盾を描く、そうまたとない映画である。

また余談であるが、本作に可愛いワンちゃんが出てくるが、そのシーンで思わず手を叩いて笑ってしまった。ギャグも冴えており本当にどうしたんだマイケル・ベイ監督、数え役満みたいなすげー映画を拵えてしまって(あまり詳しく書かなかったが実はポリティカルコネクトレスの観点からも、この映画は何気に凄いことをしている)。あんたなんか悪いものでも喰ったのかと心配になってしまった。まぁどういう理由にせよ、この方針でどうか映画業界をこのまま突き抜けてほしいなと願う次第である。

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