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howmilesaway 3

家に帰ると、ママがキッチンテーブルに座って新聞を読んでいた。

「ただいま」

と声をかけて部屋に入る。

「あら、もう帰ってきたの?ハナは?一緒にカーニヴァルに行くんじゃないの?」

ママは新聞から顔を上げて言った。

「一回家に帰って支度してから行こうって話になったの。七時に迎えにくる」

そう言ってバスルームに向かおうとしたわたしは、ママの声に呼び止められた。

「カーニヴァルねえ、カーニヴァル。ねえ、リリーはカーニヴァルが好き?」

まあまあ、って答える。そしたらママは、壊れたロボットみたいに話しはじめた。

「今の若い子たちにとっては、カーニヴァルってとっても魅力的なんでしょうね。いいえ、若い子たちだけじゃなくて、大人たちにとってだってそうよ。むしろ大人の方が、カーニヴァルに夢中だったりするんだけれどね。

 でも子どもと大人とじゃ、カーニヴァルの持つ意味が違うわ。子どもがただカーニヴァルをお祭り騒ぎだと喜んで遊びまわるのに対して、大人にとってのカーニヴァルは昔を懐かしむためのものなんですからね。あなたは覚えてないでしょうけど、というかそもそも生まれてすらなかったけれど、この街は、昔はそれはそれは賑やかだったのよ。こんなふうに静かじゃ全然なくって、たくさん人がやってきて、いろんなお店があって、子どもも大人も楽しそうだった。街の中心には、カーニヴァルがあったから。この街の発展はカーニヴァルに支えられていたの。街がこんなことになってしまったのは、カーニヴァルが去ってしまったから。私たちは、あの頃の街を取り戻さなくちゃいけない。

 でもカーニヴァルは二度と私たちのもとには戻ってこないわ。『カーニヴァル』はこうして街にやってくるけど、でもほんとうの、本物の、私たちに繁栄をもたらしてくれたカーニヴァルは、二度と私たちの手には入らないの。大人たちは、それをわかっているのかしら?

 街に時折やってくるカーニヴァルを見て昔を懐かしむのもいいけれど、もう同じ形で街を発展させることなんてできないんだから、こんなこと無駄じゃないかと思うの。そしてこの街を今後どのようにしあわせにしていくかってことは、リリー、あなたたちの世代にかかっているのよ。あなたたち若い世代が、この街の未来を背負っていくの。だから誰ひとり街を出ていくことなんてしないでしょう?みんなこの街が大好きだから。この街に育てられたから。この街を出ていくなんて、そんな恩知らずなことできないって、みんな思っているわ。

 あら、何を話していたんだっけ?そうそう、カーニヴァルのことよ。そう、だから、遠くの街からやってくるカーニヴァルを見たって何も意味なんてないんだから、次からもうカーニヴァルの街への入場を禁止したらどうかって、議長に掛け合ってみるつもりなの。それより、今後この街をどうしていくべきか考えることの方が重要よ。議会委員として、今日のカーニヴァルには出向かなきゃいけないけど‥。そういえばリリー、今度『この街の未来を考える若者の会』があるの。あなたもぜひ参加しなさい。とっても意義があると思うし、いずれはあなたも議会委員を目指していくべきなんだから‥。‥リリー?リリー!どこに行ったの!?リリー!」

 バスルームのドア越しに、ママの叫び声を聞く。最近は口を開くといつもこれだ。食事中でもいつでも中毒のように「この街」と繰り返して、パパが違う話を振るとふっとそこから離れていく。だけどまた思い出してこの街、この街、そのくりかえし。

 私はちょっとうんざりしながら、服を脱いでシャワーの蛇口をひねった。最初は生ぬるかった水が、徐々に三十九度の適温に達していく。つま先で温度を確認して、私はシャワーを浴び始めた。


三十年前、この小さな街は人でいっぱいだった。カーニヴァルが作られたからだった。この街はカーニヴァルがある唯一の街だった。つまりカーニヴァル発祥の地ということ。

カーニヴァルはある一人の男から始まった。彼が一人晩酌しながら思いつきノートに殴り書いた一見突飛なアイディアは、翌朝の明瞭な意識の彼によって具体化された。そのアイディアこそカーニヴァルの母体だった。

彼は街のさまざまな人間に声をかけた。肉屋に魚屋、工具屋に漁師、農家、とにかくいろんな人々に。

彼は人々のアイディアを借りながら、考えうる限り最も楽園に近いものを地上に生み出そうとした。そしてそれは売春宿のようなものではなくて、子どもも大人も、男も女も、みんなにとって平等にもたらされる「楽園」でなくてはならないと彼は考えた。

一体誰がどんな意見を出したのか、何がどうなったのか、細かいことは彼以外誰も知らない。しかし彼は構想から一年足らずで「カーニヴァル」を作り上げてしまった。人々を非日常に連れ出すさまざまなアトラクションが点在し、いたるところで魅力的な食べ物が売られ、子どもが駆け回って遊ぶことも、大人がお酒片手にショーを楽しむこともできる、そんな誰にとっても美しい「カーニヴァル」。人々はカーニヴァルに夢中になり、週末の休みには街中の人が詰めかけた。

カーニヴァルの噂はやがて隣街に広まって、そしてそのまた隣街にも広まって、国中の人間がカーニヴァルを知るようになった。当時そんなものはまだどこにもなかったのだ。国中の人間がカーニヴァルに興味を持ち、そんな国中の人間はやがてこの小さな街に押し寄せるようになった。たくさんの人々がカーニヴァルを訪れたことによって、この街はとても賑やかになった。そしてカーニヴァルの社会的流行は雇用と消費を生み出し、この街の経済を豊かにした。この街の多くの若者がカーニヴァルで働き、多くの人間がお金を落としていったのである。

小さな田舎町だったこの街は、あっという間に「カーニヴァルがある街」として国中の人に知られるようになった。この街は豊かだった、明るかった。しかしその繁栄は、そう長くは続かなかった。

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