見出し画像

『蜚語』第13号 特集 学校にまにあわなぁーい……国家も教育目的は?(1993.3.25)

【表紙は語る】

『蜚語』第13号 表2
『蜚語』第13号表紙

☆☆☆☆☆

もの言わぬは腹ふくるるの業

 市民運動やフェミニズム運動、反戦平和や反差別運動などにたずさわる人びとが発行しているメディアの中にも、ちょっと賛成しかねるものの考え方——というより、あまり考えていないのかも知れない——を目にすることがある。
 しばらくまえに、生活保護家庭が子ども名義のいくばくかの銀行貯金があることを理由に、生活保護を打ち切られるという出来事があった。預金口座といっても、子どもが学校の授業でやった「貯蓄の学習」を実践するために作られたものだったという。おそらく生活保護家庭は、常にその生活状況を監視されていて、少しでも〝贅沢〟とみなされたら何か言われるんじじゃないだろうかと、冷や冷やしながら暮らしているのだろう。
 今日の社会で福祉は、もともと不十分なものだが、そのささやかな恩恵を受けている人に、〝分相応に〟というような意味のことは決して言ってはならない。
 婦人民主クラブ責任編集『ふえみん』のコラム「小石」に「あずさ」なる筆名で、次のようなことが書かれていた。

 都営住宅に結構羽振りのいいヤクザが入っていたり、生活保護をもらっているのがいくらでも働けそうな男の人で、単に働く気がないだけだったり、都営に住んでベンツに乗ってる人までいるんだよ!

婦人民主クラブ責任編集『ふえみん』1992年3月26日号

 このコラムの筆者は、病院で看護婦として5年間働いてきて「福祉がどうあればいいのか、ほんとうにわからなくなってしまった」と言いつつ、このようなことを書いている。これが、たとえば福祉切り捨ての鈴木都政が発行したものに載っていたら、きっと福祉関係の団体から、抗議を受けただろう。
 「わからなくなった」のなら、黙っているべきだ。たとえ、より困っている人を知っていたとしても、困っている人同士を対立させるような発言はすべきでない。
 「安い家賃のおかげで少しリッチになった人に出ていって欲しいと思っちゃいけないんだろうか」。〝いけないんだよ!〟と、怒鳴ってやりたい。こういうものの考え方には……。
 呼吸器疾患による公害病認定患者の知人が、毎年1回行なわれる〝検査〟のたびに、いやな思いをしている。完治するわけではない病気にもかかわらず、苦しい機能検査や針を抜いたあと15分くらい出血が止まらず不安な思いをしなければならない、動脈からの採血に応じるために、電車を乗り継いで出かけてゆかねばならない。これを受けなければ、認定が取り消され、莫大な医療費やその周辺の保障を含む意味を持つ「療養費」の受給資格が取り消される。この病気は発作が起こると実にたいヘんなのだが、普段は見た目には元気そうに見える。もちろん薬を欠かすことはできないのだけれども。これが、前記コラム筆者の「あずさ」某に言わせると、「公害病認定患者のなかには、とてもそうは見えない元気そうな人もいる」となってしまうのか。
 水俣をはじめとする公害病訴訟の中で、被害民たちは、〝ニセ患者〟よばわりに苦しめられている。障害者と言われる人びとが、手当てをもらわねば生きてゆけない現状ゆえに、みずからの〝障害〟に等級をつけてもらう屈辱を、この筆者は想像したことがあるだろうか。児童扶養手当を受給している母子家庭は、毎年「現況届」なるものを書かされ、同居者のチェックをされている。現に、大家の「〇〇方」を疑われたり、別れた夫との関係をしつこく聞かれたりといったケースもあるくらいだ。
 こんなふうに〝福祉の恩恵〟にあずかるには、自尊心を傷つけられ、めんどうな、プライベートなことがらについての調査に応じ、しかも、この筆者のような監視の目を気にしながら生活しなければならない。
 それでなくともこの国の貧しい〝福祉〟政策が、行革とやらで真っ先にやり玉に上がってきたことを考えると、このような発言は自民党の福祉切り捨て政策のお先棒を担ぐものだ。

 さて、同じ「あずさ」なる筆者が11月20日号の同じ欄で、宮沢りえの婚約騒ぎを取り上げている。
 「りえが引退しようが、タレントを続けようが、たかだか19の子どもの選択を、女性論の視点から云々するなんて、馬鹿げてる」「芸能マスコミ以上に朝日新聞がはしゃいでいる」とマスコミ批判をしているつもりのようだが、批判になっていないどころか、そもそも前提が間違っている。この筆者は女性論の対象になる女性に年齢制限を設けているのだろうか。もしくは女性論としてきちんと批判する力を持っていないのだろうか。ここで問題にすべきは、「朝日新聞」の女性論の中身だと思うのだが……。
 宮沢りえについて言えば、19歳にもなってステージママのいいなりなのか、本人の意思なのかわからないが、自分自身の裸体を商品として売っている女性であり、一方の貴花田は国家に保護されたスポーツの、しかも親の七光りで優遇されている男性ということだ。
 「たかだか19の子どもの……」などと言っては、他の19歳の若者に失礼ではないか。そもそも19歳は子どもじゃない。さらに言えば「たかだか……子どもの」といった言い方だって、本当はおかしい。
 どうやらこの人は、とっても底の浅い考えの持ち主らしい。こういう発言が「あらゆる差別に反対しよう」といったスローガンを掲げた新聞に平気で掲載されることに、暗澹たる思いがする。

特集 学校にまにあわなぁーい……国家の教育目的は?

「新しい学力観」——国家の教育目的は?

 学校教育がひどいことになっていることを、心ある人びとはみな憂えている。とりわけ学習指導要領が新しくなったことで、学校現場はなんとか文部省の意向を達成しようと躍起になっていて、子どものことなどこれっぽっちも考えていない。この4月から、学校長がことあるたびに口にするのは、新学習指導要領による「新しい学力観」っていうやつだ。それは、今までのように単純に、試験の成績だけで学力を見るのでなく「意欲」や「態度」を「考慮する」といったおそろしいる学力観々なのだ。「たとえば……」と学校長はいう。「いくら問題が早くできたからといって、そのあと漫画を読んでいるようでは困ります」。つまり少々できが悪くても、先生の言うことをよく聞いて、一所懸命努力する態度があれば、その態度をも〝学力〟の範疇に入れるというわけだ。通知表も「関心・意欲・態度といったふうに、評価の見方が変わるのだ」と言う。すべての教科に〝道徳〟がコーティングされたといえるだろう。校内に「新しい学力観研究会」を設けて、教師たちの頭の中身を入れ替えているらしい。
 もともと公立高校の入試が、内申書重視となって以来、お勉強ができるだけでは駄目で、おりこうさんでもなければならなかったのだが、それが今、小学生のうちから評価の対象にされるようになった。
 小学校長が説明する新学習指導要領の主な12点のうち、残りの2点は「生活科の新設と毛筆の時間数の増加」だ。生活科がいかによくないものかは、この特集の中で詳しく解明していくが、毛筆に関しても、他の点と合わせて考えると、さもありなん。たとえば『古事記』や『日本書紀』など徹底した皇道教育が行なわれている皇道館大学は、武道や書道が盛んなのも特色の1つだという。ちなみに新指導要領では、中学校の体育に武道が取り入れられた。
 「新学習指導要領」というのは「君が代・日の丸」義務化も含めて、それ以上に恐ろしい国家主義教育のさらなる推進を計るものなのではないだろうか。生活科などは、1部評価するような意見もちらほら。とりわけ今まで能力主義教育に異を唱えてきた人びとのなかから、そういった声が聞こえてこないわけでもない。もともと学習指導要領などに、評価する部分なんてありはしないのだ。その成りたちと変遷も含めて、徹底的に批判しなければならない。

3年生になった子どもの話。

 2年生までの担任が産休に入り、40代前半の女性に替わった。「こんどの先生は、はじめ『きびしくやります』って言ったのに、ぜーんぜーん、きびしくない」とは、子どもの感想。だがしかし、給食のとき大きい声で話すと、10分間給食が〝おあずけ〟になるという。そうすると食べるのが遅くなるから、おかわりができないらしい。しかも、その〝10分間おあずけ〟の罰を受ける子どもの指名は「日直さん」がやるという。たとえ10分間でも、食べさせないことを罰とし、その監視・運用を〝収容者〟自身にやらせるとは……。捕虜収容所だの、アウシュビッツや刑務所と同じ典型的な〝監獄〟のやり方だ。こと学校では、人権という言葉は通じないのかもしれない。
 私が暗い気持ちになるのは、当の子どもはそれを「あたりまえ」だと思っていること。日直が指名するので〝止仕返し〟現象が起こり、「〇〇ちゃんは、私がなんにもしていないのに、自分がやられたからって、私に〝10分遅れ〟したんだよ」といって憤慨しているのに。
 そもそもそれには前提があって、なんと声の大きさの基準があるというので、さっそく学校へ見に行った。「1の声、給食のとき。2の声、2人で話すとき。3の声、グループで話すとき。4の声、発表するとき。5の声、号令をかけるとき」と書かれたイラスト入りの標語が、教室の黒板の横に貼ってある。以前、そのままコピーさえすれば子どもに配布するプリントとして使えるさまざまな教材が、本屋で売られているのを見て、驚いたことがあったが、これも、そのような教材を拡大コピーして、色画用紙に貼り付けたものだった。ということは、この担任が特別にやっていることではなくて、それをこのような形で採用するかどうかの違いはあっても、全国の小学校のどこにでもある「声の大きさの基準」ということか。 そんな疑問をもって「個人面談」に行った。〝名個人的なこと〟について、特に話すことはないので「1の声・2の声……」について、「あれは拡大コピーのようだけれど、教材があるのかどうか」と担任に聞いてみる。ところが担任は「いいえ、あれは私の手作りです」と自慢げに言うではないか。こちらが批判をもっているなどとは、夢にも思わないこの感性。「道徳にあることはあるんですが、ほら、2の声は手で書いてあるでしょう。あれは私が作って、それにあった絵と組み合わせたんです」。そういえばよく見ると……。
 後日、友人の小学校教師に聞いてみたら、「声のものさし」というのがあるそうだ。この〝ものさし〟は「本読みカード」を(国語の教科書を音読し、その結果を親に記入させるもの)なるものにも書いてあって、どのくらいの大きさの声で読めたかを記入する欄がある。

教室の掲示

新学習指導要領の……。

 新学習指導要領がこんなことを引き起こしている。2年生の3学期のこと。子どもが突然、赤ちゃんのころの写真はあるかとか、自分が生まれたときは、何グラムだったかとか聞くので、理由を聞いたら宿題だという。何かと思って担任に電話をして尋ねると、生活科の先取りとのこと。
 でたっ! てなわけで、生活科というのは、こういうものだったのかとあらためて憤慨している。担任には「さまざまな家庭の事情があるだろうに、プライバシーの侵害になるし、みんなと違う子は傷つく、いじめの原因にもなるなどと」いっておいたが、ポカンとしている様子。
 「母子手帳」を持ってきた子もいるらしく、うちにはないのかと子どもが聞く。私は行政の母子健康管理を批判しているので、保健所などへは1度も行っていない。したがって「母子手帳」なんてないのだ。
 さて、その授業の日、クラス全員の前で、自分が生まれたときのことを発表させられ「自分の家で生まれました」と言ったとたん、全員が「えーっ!」と大きな声を上げたという。

 小学校低学年の理科と社会を廃止して生活科としたことは、じつは「君が代・日の丸」の強制のように、目に見える形でのことでもなく、一般にはあまり問題にされていないように見える。しかし、物事を相対的に、科学的に見るより、絶対的に、情緒的に見るような内容的変化は、恐ろしい。
 『新学習指導要領』は、たとえば次のように書かれている。これまで1年生の理科では、アサガオの栽培・観察があった。「そこでは動植物の成長・変化していく様子を知ることに重点が置かれ、飼育・栽培は知るための手段と考えられがちであった。生活科においては、児童が動植物を育てて楽しみ、自分の生活を充実させていくことが大切なねらいである」。以下、まったく抽象的な「生命あるもの……」云云といった記述が続く。ここでも『國體の本義』を思い起こさずにはいられない。「理科」がこのように非科学的なものにとって変わるということはたいへんなことだ。しかもいわゆる「学習」の最初の段階でこのように教育されるということは、先のことを考えると恐ろしい。
 社会科についてもこうだ。これまでの社会科では「家庭生活は家族の役割分担と協力によって営まれるということの理解に重点が置かれていた。これに対して、生活科においては、自分の役割に気付き、実践して、家庭生活がよりよくできるようにするのがねらいである」となっている。
 「机上のお勉強よりいいんじゃないの」「頭で理解するよりも、体で覚えるほうが身になるのでは……」といった反応が返ってきそうな内容だが、いわゆる勉強というものが、さまざまなことがらを社会との関連の中で相対化して考えるためのものとするならば、生活のなかでの体験や実践をいったん客観化して理解することこそが、大切なのではないかと思う。なにかとても大事な、ものごとに対する姿勢そのものに変化をきたすような教育がされていくのではないかと、漠然とした不安が新学習指導要領にはある。

「能力主義競争秩序」の浸透。

 最近の小学校の教師は子どもに迎合しているのか、それとも自分自身が流行に弱いのかわからないが、やたらにそのとき流行しているキャラクターを使ったり、流行歌を取り入れたりする。
 そういえば前にテレビの視聴者参加番組で、愛知県の小学校教師が、司会者の「子どもの人気を得るは……」との質問に「簡単ですよ。朝教室に入ったら『おはよーぐると」と言えばいいんです」なんて答えてい(これは小学校低学年向け漫画雑誌『ころころコミック』の〝駄洒落連発はちゃめちゃギャグまんが〟『おぼっちゃまくん』に出てくる台詞)。
 中学受験が増えているのでとの理由で、今年から秋ではなく春に行なうことになった連動会では、昨年は『お祭りワッショイ』でこれまた前号で問題にした団体遊技の際、大事MANプラザーズバンドや槇原敬之の歌がさかんにかかっていた。そもそもこれらの歌はどれも、その歌詞が良くない。こんな歌がはやるということは、この社会の差別や抑圧などの矛盾を、社会に対して告発したり、闘ったりして解決していこうとするのではなく「〝分相応に〟やっていければいいじゃないか」「あんまりこだわるのはかっこ悪いよ」といったような、人びとの中に一種の諦め、あるいは居直りとでもいうようなものが蔓延しているのを反映している。
 一方でそれは「どんな不幸な環境も、心掛けしだいで乗り越えられる」とか、「困難を自ら克服する」とか、「ハンディーをバネに前進する」といった記事が満載された『理想世界ジュニア版』(生長の家本部編集)にも通じる。この「中・高生に夢と希望を示す生きがいマガジン」と称するものは、小学3年生の女の子が友だちと数人で歩いていたら「あなたち、かわいいからこれあげる」と言っておばさんがくれたそうだ。まったく油断もスキもありゃしない。
 これら一連の流れの中心にある考え方は、いじめも差別もそれを受ける側の心がけしだいということになる。社会によって受けるさまざまなストレスも、競争社会のなかで落ちこぼれてしまった自分も、それらを生み出したものに対するより、自分を見つめようといった風潮がある。「いいじゃないか、ありのままで」というような救いようのない自己肯定。そんな本がやたらに売れている。

 〽︎どんなときも どんなときも
  僕が 僕らしくあるために 『好きなものは好き』と
  言える気持ち抱き 締めたい
  もしもほかのだれかを 知らずに傷つけても
  絶対にゆずれない ゆめが僕にはあるよ……

「どんなときも」槇原敬之

 この傲慢さはいったいなんだ。「私たちはちびくろサンボが大好きだった」を思い出す。この社会に差別が厳然としてあるにもかかわらず、知りませんでしたでは済まないし、知らないことは差別なのだという、あるいは行政がきちんと知らせる努力をしてこなかったことが、多くの差別事件を生み出してきていることは、部落解放同盟が再三、指摘してきたことだ。プリントにして子どもに配られたこの歌詞全体を読むと、大事MANブラザーズバンドの歌「あなたがいないことよりも、いないと思う心が悲しい」と言った内容の『これが大事』と同じく精神主義的な匂いプンプン。
 最近、この歌の内容には「能力主義競争秩序」の浸透があると指摘している人がいることを知った。横浜市立大学の中西新太郎氏は「格差があるのは厳然たる事実だが、それは自分の『能力』の結果だから仕方ない、というイデオロギーが深く浸透していること」として、この歌のリフレインの部分をあげている。

  〽︎負けないこと投げ出さないこと
   逃げ出さないこと信じること
   だめになりそうなときそれが一番大事

 このグループは最近はアニメのテーマソングも歌ったりしている。こういうものが流行るのは、やはりそれを受け入れる社会の状況があるからだろう。そして、学校がいち早くそれを取り入れている。

休日まで管理されるのか……。

 学校5日制が2学期から導入されて、マスコミ挙げて大騒ぎしている。その日は新聞もテレビも、この休みを子どもたちがどのように過ごしたかを、報道していた。
 子どもの学校でも学校5日制についての校長の話があった。日く「せっかくの休みを、ファミコンなどで過ごしては困ります」「校庭を開放するので、親子運動会とか、なにか行事を地域でやってほしい」とかなんとか言っている。せっかくの休みにまで、そんなふうに管理されたんじゃたまったもんじゃない。
 先日、私の居住区で行なわれた学校5日制についてのシンポジウムに参加した。そこには区議会で現在文教委員長をして,いる自民党議員もシンポジストとして肩を並べていた。その発言たるや嘘とデマの聞くにたえないものだった。シンポジストの1人、区内の中学校教師が「新学習指導要領ではさかんに〝奉仕〟ということが言われているが、さかのぼって考えると中曽根の出した臨教審答申と文面・文言が似ている。奉仕というと一見良いことのようだが、なにかいやな感じである。個人のプライベートなことや家庭の中のこと、あるべき家庭の姿などのように、個人の生活総体の中に学校とかお上とかが入ってきて、これが理想的なものなのだというようなことはやらないほうが良いのではないか。また、個性尊童と言うけれども、個人の個性というより国家とか企業とが集団の個性を一義的に考えていかなければいけないといったようなことがある。そこには戦前の危険な部分とつながっていくようなところがあるのではないか。そのようなことのなかで学校5日制が始まっている。教科内容も、物を考えさせるような教科、社会とか理科が減らされ、道徳教育がうたわれ、家庭科でもあるべき家庭の姿のような授業が出てきている。〝社会奉仕〟についても生徒会に対して地域の清掃をやってみないかなどということが、各学校で出はじめている」と、発言していた。
 教師による新学習指導要領の批判も、これまでは「君が代・日の丸」の強制批判が主流だったので、このような内容全体にわたり、しかもそのイデオロギー的背景まで見抜いている教師に、はじめて出会った。
 これに対して、くだんの自民党区議は「学習指導要領はある程度の方針を最低限のところで決めているという判断をしていいいのではないか。それを受けて我我がどうするか。自分たちが自分たちのところでどうとらえているかが大事だ」などといい加減なことを言う。学習指導要領は、その表題に付いた「試案」の文字が消され、官報に公示したことを理由に「法的拘束性がある」とした1983年の文部省の主張をどうするんだ。しかも、学習指導要領の文面は、「内容の取り扱い」の項で、ちょっとヤバいテーマに関しては「深入りしない・取り上げない」などと、いわば規制している。
 いずれにしても、この学校5日制による土曜日休日は、子どもにゆとりをといった表向きの言葉とは裏腹に、何か特別に意義付けをしたいらしい。同じくシンポジストとして参加していた、世田谷で留守番電話を使ったミニコミ放送「トーキング・キッズ」の。ハーソナリティーをやっている伊藤書佳さんによれば、あけて月曜日、土曜日になにをやったか教師に聞かれ、家でごろごろしていたとか、ファミコンをやっていたとかいう子どもは、もっと有意義なことをやるようにと言われた学校もあるらしい。「おとなの人は土曜日に何をやったかやたらに知りたがる。休みの日に何をやったかなんて……これは子どもの人のプライバシーの侵害だ」と発言した。どうも学校5日制には、「子どもにゆとりを」を建前に何か別の意図があるとしか思えない。
 最近、以前に比べていわゆる町内会的地域の行事がさかんになってきたのだが、2学期最初の学校からの通信に書かれた、それに関する校長のコメントが気になる。「盆踊りの時には20数人の住区やPTAの方々が、暑い中を朝早くから準備してくださいました。このような行事から『ふるさと意識』が醸成されるのだと、地域の方々への感謝の念で一杯でした』。ここで言われている「ふるさと意識」というのは、新学習導要領で強調されている「愛国心」につながるものだろう。
 文部省の忠実な下僕である小学校の教師は、学習指導要領にも忠実だ。毎月学校からくる「学年だより」や「学校だより」の内容まで「新学習指導要領」の内容が反映されている。
 「年末年始という大きな伝統的行事がありますので、有意義な経験をさせたいものです」(「学年だより」冬休みにむけて)「幸い日本には、日本式の文化と伝統があります。お正月にはみんなで集まり……」(「学校だより」教頭の文章)
 そうです、キーワードは「日本の伝統と文化」。これも新学習指導要領では忘れてはならない強調点だ。こんなところにまで抜け目なく取り入れるとは、さすがというよりほかない。
 国や行政がやっていることは、1つ1つがばらばらなのではなく、それぞれみな関連しているのだとあらめて思う。

文部省検定教科書……(笑)。

 先日、思わず「あっ! ハチャトウリアン!」と言ってしまう人物に、近所で再会した。もちろん向こうは私のことなど覚えていない。孫らしき子どもを連れてお買い物。中学のときの音楽の先生だ。この「ハチャトウリアン先生」、私の8歳年下の妹に言わせれば「フォルテシモ先生」だ。
 忘れもしない期末試験。『剣の舞』作曲者はとの答えに「ハチャトリアン」と書いたものがバツになっていた。さっそく抗議をしたのだけれど、「ハチャトリアン」でないと正解でないと言うのだ。しかし私は、外国語を日本語で表記するのだから、いずれにしても正確なものはないのではないかというようなことを言って、食い下がった。しかし、くだんの教師は教科書をぱっと閉じて、表紙に印刷されている「文部省検定」というのを黙って指差したのだ。しかも、その8年後、こんどは妹の「フォルテシモ」にバツをつけたので同じように抗議をしたら、同じ事をしたという。すばらしき文部省検定現場である。
 それ以来私は「剣の舞」を耳にするたび、〝ハチャトリアン〟と呟いてしまうようになった。ラジオのデスクジョッキーの発音は〝ハチャトリアン〟んと聞こえるけどね。

小・中学校で行われている「性格テスト」なるもの

 しばらくまえ、学校での「性格テスト」のことが問題にされ、たとえば「先天性四肢障害児父母の会」の通信(1989年11月25日号)でも、取り上げられていた。ある母親が担任に「性格テスト」の問題を要求したら、業者テストなのですべて回収され、学校にはないと言われたので、別のルートから手に入れたと、報告している。
 その内容として「わたしは時々学校を休みたくなります」「わたしは食べ物に好き嫌いがあります」「わたしはテストの成績がいつもとても気になります」といった質問に5段階で答えるとのこと。
 ところが、それとそっくりなテスト問題を最近手に入れた。それは、ある大企業が社員に対して行なったもので、日本生産性本部のメンタル・ヘルス研究所なるところが作成した「心の健康診断」と称するもの。なにしろ設問の数だけでも596(!)もあるので、回答するほうもたいへんだろう。一応プライバシーを尊重すると説明があるが、どこまで信用できるのだろうか。 
 質問項目を上げれば切りがないが、体の症状についての細かな設問に始まり、性格的なこと、性的な問題、これには「異性の下着などを手に入れたいとおもう」「同性の友達に恋愛感情をもったことがある」「異性がむしょうにけがらわしいと思ったことがある」などに「はい・いいえ」のどちらかで答えるようになっている。ほかには、会社に対する忠誠心や思想に関する設問、自ら自己をどう思っているか……など、実に細かい。
 学校でやられている「性格テスト」なるものは、この大企業で行なわれるものの、縮小版といった感じではないだろうか。そう、学校は企業で働く将来の労拗者を養成するところなのだから、あたりまえと言えばそうなのかも知れない。
 学校でも、企業でも、自らの存在とその機構、非人間的な日常をそのままに、そこで起こってくる彼らにとっての不都合を、どうやって個人の資質の問題に責任転化しようかという指針を、このようなテストによって探るのだろうか。そしてもちろん少数の人間をそこから排除することによって、残った人間をより管理しやすくすることも忘れずにやってのける。

いま公立小学校は……〝明治神宮書道展〟ヘの参加に抗議を!

 最後に「伝統文化」といってかたづけられそうな話。日本基督教団《靖国・天皇制問題情報センター》発行の「情報センター通信』に載せていただいたものをそのまま転載する。

 「『清純にしてはつらつたる少年の試筆を、新春の明治神宮に奉献し……』――こんな書き出しの『要項』が、学校長名の『お願い文』を添えて、最近子どもたちに配られました。『第39回明治神宮全国少年新春書道展出品について』という、この『要項』によれば、「特選』に選ばれた300点は、来年の1月5日から31日まで、明治神宮拝殿前回廊に展示されるそうです。
 主催者は、明治神宮書道会。後援には明治神宮・明治神宮崇敬会のほかに、全国都道府県教育委員長協議会・朝日新聞社・朝日小学生新聞・朝日中学生ウィークリーまで入っていて、おそらくこのへんが、批判をかわすために使われるのでしょう。
 先日、校長室前の廊下に、明治神宮宮司の名で出された昨年までの賞状が飾ってあるのを見たとき、思わず『なんだこりゃ!』と思いましたが、取りあえず〝証拠写真〟を撮っただけでした。しかし、ここへきて改めて『要項』を見、さらに小学3年生の子どもが『よい子』と朱書きされた書道の手本を持ち帰り、『がせんし(画仙紙)が要るんだ!』と叫んだので、これはだまって見過ごせないと思いました。子どもには、神社と戦争の関係——たとえば、かつての戦争のときは神社の神様を信じていない人にまで、むりやり神社で拝むことを強要したり、それを嫌がる人を殺してしまったりしたこと。だれも戦争に反対できないような、反対する人をひどい目に合わせるような世の中を作るのに神社が重要な役割を持っていたことなどを説明して、参加するのは良くないと納得してもらいました。学校へは連絡帳に『憲法違反』であること、『参加させないので、練習もさせてくれるな』と書きました。この『書道展」は今年で39回、つまり38年前から行なわれていたことになります。後援団体である朝日新聞社に問い合わせたところ、『朝日小学生新聞が昭和51年(1967年)第22回大会から後援団体になっている』とのことでした。一方、教育委員長協議会は、教育委員会が多くの反対を押し切って公選制から任命制に変えられた1956年に全国都道府県の教育委員長によって結成された任意団体。事務局の女性の話では『ふだんは研修会などを開催したりする。書道展に関しては古い資料が残っていなので分からないが、昭和57年(1982年)からの資料によれば、その当時から後援しているようだ』とのことでした。
 全国の公立小中学校で、明治神宮のような特定の宗教団体が主催する行事への参加を学校長名で行なうなどといったことが、平然とやられていたとは……。前述したように校長室前の廊下で賞状を目にするまで、まったく知りませんでした。『希望参加』を建前としているとはいえ、子どものクラスでは参加しない子は本人を入れて4人とのこと。『奉献』『献書』といった言葉が平然と使われる書道展、これが憲法20条にいう『宗教活動』に当たらないとしたら、ここでいう宗教活動とはいったいなんでしょう。しかも、このようなことがらには決まって『書道その物は悪くない』『子どもの励みになるからいいのではないか』といった、事の本質からずれた擁護論が出てきます。
 今年から新しくなった学習指導要領には、君が代・日の丸の強制や東郷平八郎の登場などのほかにも、国家主義的・国粋主義的なものがたくさんあります。たとえば小学校の書道の時間数が増えたことと並んで、中学校の体育には武道が導入されました。府中市ではこの5年くらいの間に、体育館が武道館付きのものに建て替えられていると聞きます。これらは単なるスポーツや芸術と違って、日本の『伝統文化』が強調され、精神主義的・国粋主義的な要素が大きいものです。ですから徹底した皇道教育が行なわれている皇学館大学は、武道や書道が盛んなのです。
 この問題について区内・都内のいくつかの公立学校関係者に聞いてみましたが、皆『初耳だ』とのことでした。また、その折りに知ったことですが、たとえば受験の合格祈願に担任の教師が近くの神社ヘクラス全員を連れて行ったというようなこともあるようです。全国的にはどうなのでしょう。皆さんの、それぞれの地域の公立小中学校の情報をお寄せいただければ幸いです。
 何らかの形で学校に対して参加中止を働きかけたいのですが、これまでの他の問題、たとえば『君が代・日の丸』強制についてなどの働きかけの際の体験からいえば、一保護者の意見など聞く耳を持たない校長です。『ご意見としては伺っておきます』が、せいぜいでしょう。もっと有効な方法はないものかと考えあぐねております。いずれもセンターあてにお送りいただければ幸いです」

 結局この書道展に関しては、信教の自由についての主旨を、個人的に担任に伝えただけで、時が過ぎてしまった。今年はもう少し他の親たちにも訴えることができればと思っている。今回、池田大作の著書などを持って来て、しきりと〝啓蒙活動〟を展開するMちゃんの母親に話をした「うちの子は、どうせ入選なんかしないから……」で話が終わってしまった。その家には、見上げるような大きな仏壇があって、早朝・食事の前などには親子全員で経をあげるような熱心な創価学会家庭なので、もう少し何か反応があるかと思ったのだが……。
 教育のこと、とくに学校が行なうことに関しての疑問や批判を、他の親に伝えるのは難しい。他の親の考えを聞くのはもっと難しい。批判や疑問の声は、さらに聞こえにくい。「子どもは人質」などということも、ささやかれている。私の理想は、自宅を子どもたちに開放して、通りすがりにみんなが声を掛け合ったりするような還境の中で、自然に話ができてきたらいいなと思っている。もっとも仕事に追いまくられているようでは、それも難しいか……。さまざまなことに憤慨しているうちに、子どもは大きくなって、学校とはおさらばとなってしまう。憤慨を若い親たちに次次に伝えていく関係が作れないものだろうか。

東京都23区内、区立小学校の廊下に展示されたもの。

☆☆☆☆☆

数学と自由——湖畔数学セミナー⑤  永島孝

『蜚語』第13号 p19

 江戸時代には日本独自の数学が発達していた。「和算」という。奈良時代に日本は中国から多くのことを学んだが、その中には数学も含まれていた。中国との交流が途絶えると中国伝来の数学もやがて忘れられていくが、戦国時代から江戸時代の初期にかけてふたたび中国から数学書やそろばんが輸入される。そして、そろばんの改良が行われたり『塵劫記じんごうき』のような数学の入門書が出版されたりして、数学が普及していく。
 和算の基盤にはこうした中国伝来の数学があるが、ヨーロッパからの影響はほとんど見られない。なぜか蘭学者たちは西洋の数学には興味を示さなかったようだ。明治になってにわかに欧米の数学「洋算」が流れ込み、和算は哀えていく。
 さて、日本独自の発展は関孝和せきたかかずのころから始まる。彼の生まれたのは『塵劫記』初版の出版された15年ほど後の1642年ころと推定されている。関孝和は中国の文献を読んで完全に理解したのにとどまらず、新しい記法や理論をつくり、すぐれた弟子を育てている。関の業績はとうていここに書ききれるものではないが、一例だけをあげておこう。
 中国から伝えられたものの中に「天元術」というのがある。これは「算木さんぎ」というものを並べて一元(未知数が1個)の方程式をとく計算法なのだが、天元術は方程式の係数がすべて数字で表されている場合だけしか使えない。ところが、二元(未知数が2個)以上の連立方程式を解くためには、係数がまた文字を含んだ式であるような方程式を考えねばならない。そこで関孝和は算木を使わずに式を紙に書いて計算する方法を考え出した。関孝和の考案した代数計算の体系は、連立方程式の解法をはじめ、さまざまな理論を建設する基となったのである。彼の記号はもちろん今日のものとまったくちがい、文字もa、b、C……でなくて甲、乙、丙……を使い、式は縦書きにする。それでも、本質はわれわれが見慣れている代数の記法と変わりない。
 ところで、和算というと関孝和だけしか話題にされないのは悲しい。当時の西欧の数学にならぶ水準にまで日本の数学の水準を一挙に高めるという偉業を1人で成し遂げた関孝和をたたえることに異存はない。外国の模倣ではない数学を多くの独創によって建設した関孝和には今日でも見習うべきであろうと思う。しかし、彼以外の人々を無視しては、江戸時代の文化を正しく理解できない。
 関孝和の弟子の武部賢弘たけべかたひろをはじめ、中島元圭なかじまげんけい久留島義太くるしまよしひろ松永良弼まつながよしすけ山路主住やまじぬしずみ有馬頼徸ありまよりゆき安島直円あじまなおのぶ和田寧わだやすしなどのすぐれた数学者たちが和算を発展させていった。この人たちを頂点とすれば、それをささえる裾野の広がりとして名もない多くの人たちが和算の発展に寄与していることもまた忘れてはならない。数知れぬ人々が数学を楽しんでいたのが、江戸時代なのである。
 江戸時代の文化の1つの特徴として「遊び心」があると思う。火薬を使っても武器の開発よりも「玉屋!」「鍵屋!」と花火の改良に熱中し、シーケンス制御のロボットも「茶くみ人形」という産業には結びつかないものがつくられる。和算もまた遊び心が際立った特徴で、それが和算の長所でもあり短所でもある。
 江戸時代になると大規模な土木工事たとえば利根川の改修や玉川上水の開削などが行われるようになり、そのために精密な測量が必要になる。そういうことに数学が使われることもあったと思われるが、応用は和算の主流ではない。「何の役に立つのか」などと問わずに純粋に楽しむ、それが江戸時代の文化としての和算である。数学のおもしろさ、楽しさ、美しさを忘れて「金儲けに役立つか」などと無粋な問いを発する現代人とは感覚の違う人々が、110年ほど前まではたしかにこの島々に住んでいたのだ。
 明治になって学校制度ができると、学校教育に和算と洋算とのどちらを取るかという争いが起き、和算派は敗れて洋算一辺倒になったが、のちにそろばんが教えられるようになって和算の最も初歩の部分だけは学校教育に復活する。算額を奉納する習慣は衰え、和算独特の数式の書き方も忘れられてゆく。洋算との対立という眼点から見れば、和算は押し寄せる洋算に敗れて衰えていったということになろう。しかし、欧米の数学を急速に取り入れて定着させることができたのは、人々がすでに数学的な考え方に親しんでいたからである。
 いまわれわれが教わるのは洋算なのだろうか。なるほど数式の書き方は欧米と共通のもので、和算の方式ではない。ところが術語を見ると「冪」(べき、略字は巾。常用漢字にないので、いまは「累乗」と言いかえることが多い)「円周率」「弦」「弧」など和算の言葉やそれに近い(和算では「方程」)が使われている。これらの言葉は英語などを訳してつくられたのではない。そもそも英語には「円周率」に当たる言葉がないのだ。和算は消えたのではなくて、姿を変えて今日の数学の中に生き延びているのだと私は思う。
 釣り銭の計算を暗算でできるのを当たり前と思っている方が多いであろう。しかし、外国旅行でもすれば、これが当たり前のことではないのだと気づくかも知れない。日本人が当たり前と感ずるこういう計算能力は、明治以後に学校制度ではじめて養われたのではなく、江戸時代の寺小屋教育の成果が伝統として定着したものだと信ずる。「ねずみ算」という言葉を皆が知っているのを考えてみれば、われわれの伝統の中に和算の教育の影響が大きいのがわかる。
 江戸時代のように皆が数学を楽しむ、そういうことを民族文化の誇りとして現代に復活させたいと思う。文部省の学習指導要領改訂はそれとは違う方向に向かっている。

☆☆☆☆☆

あまりにも早すぎた2人の死

宮内 康氏

昨年10月、知人が2人相次いで亡くなった。お2人とも50代、入院の知らせを聞いてから死までがあっという間だった。その病状からお見舞いにうかがうこともできなかったが、お2人のことをここにご紹介することで、追悼したい。

教育とは、1つのアジテーションでなければならない、と私は思う。

宮内康「封じ込められたものは何何か」——東京理科大の「あかずの間」
1971年10月26日「朝日新聞」

 1971年5月12日東京理科大学は、専任講師の宮内康さんを解雇した。当時の学生たちの闘争に対する、大学当局のとってきた学生対策を、宮内さんは批判し続けた。

 今、私の研究室のあった部屋は、大学当局によって完全に塗り込められてしまったという。ドアのあった所は、おそらくコンクリート・ブロックであろう、なにか堅いものできっちりと充填され、その上をプラスターがきれいに仕上げ、外からは、その奥にかつて部屋があったことなど、まったくわからないほどであるらしい。……中略……この話を学生から聞いたとき、私は、すぐあの伝統的な「あかずの間」を思い出した。

宮内康「封じ込められたものは何何か」——東京理科大の「あかずの間」

 彼は、大学当局への批判とともに、教育的実践として、次のようなことを試みた。

 私が、私と考えを同じくする2、3の教師とともに試みてきたことは、結局、大学を建築をつくる技能の養成の場ではなく、建築を考える上での批判的精神を育てる場にするということではなかったかと思う。
 講義を集会形式にし、パネル・ディスカションの場に変えた。演習の課題は、可能な限り、学生の頭にも、また私たち教師自身の中にも巣食っている規制の建築概念を粉砕することを目的とした扇動的なものにした。

宮内康「封じ込められたものは何何か」——東京理科大の「あかずの間」

 彼が34歳のときに書いた文章をあらためて読むと、当時の学生運動が大学に、社会に、国家に突きつけていたものが何であり、21年たった今、いったい何が変わったのかと問わずにいられない。学生たちは来る日も来る日も、大学の産学協同路線を批判したし、戦後民主主義における既成のものすべてを、問い直すべきだと主張した。「学問の自由」と言われてきたものがアカデミズムの権威からは決して自由ではないということ。しかもそこで研究されているものの多くは、企業の要請に基づいたものであり、大学のランクによって、配属される産業界の位置が決まっており、それに見合った教育がなされていくということ総体を問い直すべきだと訴えた。しかし、それらは本質的な意味で何も問われることなく、表面的な小手先の手直しがされたにすぎなかった。宮内康氏も含め、自分たちが問うたことはこんなことではないんだとの思いを持つ人びとは、少なからずいると思う。
 環境問題1つとってみても、最近のエコロジー運動では、彼が提起したような視点は薄い。環境破壊を生み出している根幹に至らないで、「地球を大切に」のスローガンの下、ひたすら個人の心がけを呼びかけ、なにかにつけて「優しさ」だの「思いやり」だのといった言葉が、くっつけられる。自動車メーカーさえもが、それらのスローガンを消費者に呼びかけている。

 今日の都市環境をこれほどまでに劣悪化した責任の一端は、ほかならぬ建築家と既存の職能システムにあるのではなかったか。とすれば、大学は、既存のシステムに対応した人間を養成する場ではなく、それを根底から批判し、新しい建築家と建築生産のあり方を追究する場でなくてはならないはずである。

宮内康「封じ込められたものは何何か」——東京理科大の「あかずの間」

 まさにこのような視点から環境破壊を問題にしてこそ、スローガンだけに終わらない、本質的な解決の方向が見えてくるのだ。
 彼の設計による山谷労働者福祉会館には、きょうも労働者たちが集まり、テレビを見たりごろ寝をしたり、将棋を指したり、酒に酔ってくだ巻いたりしているだろう。引き受ける工務店がなかったというのが最初のきっかけとはいえ、既成のシステムによらない、工務店抜きの、山谷の労働者自身の手による工事で完成したこの建築物の設計者は、宮内康という建築家を除いては他にあり得なかっただろうと思う。

 現代の『あかずの間』に封じ込められたものは、大学を告発し続けた者たち、ここに出入りし、ここで議論し、考えた教師たち、学生たちの、批判的で自由な精神である。かつての「あかずの間」は、数10年に1度、タブーを解かれて開かれるときがあったという。
 この現代の、時代遅れの「あかずの間」も、やがて、私たちの手で開かれるであろう。

宮内康「封じ込められたものは何何か」——東京理科大の「あかずの間」

 開かれる前に彼は亡くなってしまった。ともに開くことのできなかった無念さは拭いようもないが、残された私たちは、引き続き解き放つことをめざしたいと思う。


山田隆夫氏

 登校拒否問題の(いま教育の場で噴き出しているさまざまな問題も含めての)真の解決は、近代教育原理の根源的な否定の上に始めて可能です。

山田隆夫『無名通信」№30  1992年2月20日

 山田隆夫さん、実はこの人には1度もお会いしたことはない。「湾岸戦争」のとき、彼が発行している「無名通信」を友人にもらって、その内容に共感するところが多かったので、送ってほしいと連絡をとった。その後、バックナンバーも含めて送っていただき、また、《蛮語》も読んでいただいた。したがって「無名通信」の内容の限りでしか彼のことは分からないのだが、今回読み返して、あらためて早くにお会いしておけばと残念に思う。
 彼は学習塾をやりながら、登校拒否の問題に関わり、今日の学校教育が抱える問題などを彼が発行する個人通信「無名通信」で論じてきた。この教育特集でもお話をうかがうか、原稿をお願いしようかということも考えていた矢先だった。妻である山田とき枝さんからの1通の葉書で入院を知り、その病状が重いことに驚いた。
 昨年の夏の「登校拒否を考える夏の合同合宿研究会」に参加しての報告が「無名通信」№29にある。それを読むと、これからもっとこの問題に関して発言をしていただきたかった。彼はこのような会で、主催者の用意した講師たちによって言われる「学校に行かなくたって生きて行けるじゃないか」「学校に行かなくても勉強できるじゃないか」「勉強できなくても1人前の人間になれるじゃないか」との発言内容に関して、1つ1つ検証している。
 たとえば、シンポジウムの司会が講師たちに、子どもたちからの訴えとして聞いてほしいということで「学校へ行かなくてもいいという講師たち自身は大学を出ているが、そのことをどう考えているのか」と言ったことに対して、「この問題に関して誰も正面から答えませんでした」と報告している。あるいは「今の日本は経済大国と言われるほどに豊かになったのだから、アルバイターとかフリーターとか、いくらでも生きていく余地はある」といった発言に対して、きっぱりと「私はここに、思想の退廃と想像力の欠如を見いだします」と次のように批判している。

 第1にそれは、「経済大国」日本の「豊かさ」の内実は企業の利潤の極大化を主としているのであって、福祉の後退、住宅事情の悪化、自然破壊等々、人間としての生活条件は極度に切り詰められ破壊されてきていることや、企業内部では労働者の諸権利の剥奪、賃金の抑制・労働時間の延長等が言わば慢性化し、「過労死」という信じられないような事態をも引き起こしていることを見ていません。第2にそれは、日本経済の高度成長が、アジア諸地域からの収奪の上に実現されたものであることを見落としています。(中略)第3に、こうした背景に盲目のまま、あるいは意識的に目をそらして、高度経済成長のおこぼれにだけあずかろうとする姿勢は、自分自身を従属的な位置に落とし込め、人間として主体的に生きる道を閉ざしてしまうことになります。

「無名通信」№29

 そして、子どもの将来を心配する親に対して、「大検」(高校を卒業していなくとも、大学受験の資格が得られる検定)を受けて大学に行った子どもの例が必ずあげられるのだが、それについて「一見厳しい『学校批判』が、いつの間にか『学校文化』に統合されたいくさまをここに見ることができます」と言っている。
 彼は「登校拒否」という言葉についても「あまり使いたくない」と言い、その理由として次のように言っている。

 学校に行けなくなった原因は子ども1人1人が違うのあって、それをひとくくりに「登校拒否」と言ってしまうことによって、その1人1人の違いをみようとしなくなってしまうことをおそれるからです。

「無名通信」№29

 このように、1つ1つの事柄に批判的検討を加えていくことは大切なことだが、きちんとした発言をする人は数少ない。批判精神を持った人が、また1人いなくなってしまった。

 教育という問題について、ようやく何かが見えてきたかな、という感じがしています。しかし、まだ入り口に立っただけで、これからどのように勉強を進めて行くか、実際の運動との関わりをどうするかなど、未知数ばかりでもあります。

「無名通信」№29

 亡くなってしまった人のこのような文章を読まなければならないとは、ほんとうに残念なことだ。

☆☆☆☆☆

【緊急発言】小和田雅子のこと

 皇太子の婚約問題に関して、フェミニストと称する女性も含めた「もったいないだの、残念だといった大合唱」には呆れている。現在のフェミニズムはこの程度かと、日頃感じていることを改めて確認した思いだが……。
 小和田雅子の何がもったいないのか、理解に苦しむ。皇太子の妃候補になるなどということ自体が、その人間を評価したり擁護したりするに値しないことではないか。〝キャリア女性〟として騒がれ、将来の外交官候補とまでいわれていたこの女が、外務省で果たしてきた役割は何かを考えてみるがいい。そもそも上級公務員試験は物凄い身元調査があり、現在の社会で少しでもまともにものを考える人だったら、受かることは難しい。学歴のこと1つ考えても、東大生の親の収入の平均が慶応大を越えて久しいことでも分かるように、今日の学歴社会は階級社会の再生産過程に組み込まれている。
 加納実紀代氏は「フェミニズムが体制内化させられていくのでないか」と「危機感」を感じるというが、もともと女性のキャリア志向なんて体制的なものにすぎない。現在の社会を肯定し、積極的に擁護し、支えなければ、いわゆるキャリアにはならないわけだから……。次号でもっと詳しく大反論をやりたい。ぜひご意見をお寄せください。

☆☆☆☆☆

《ふりかけ通信》第13号

『蜚語』第13号 p29
『蜚語』第13号 p30
『蜚語』第13号 p31
『蜚語』第13号 p32
『蜚語』第13号 p33
『蜚語』第13号 p34

☆☆☆☆☆

【編集後記】

【2023年の編集後記】

▶︎1993年、30年も前の教育現場の状況を思い起こすと、昨今の、みるも無惨な社会も、さもありなんと。
▶︎「新しい学力観」なるものによって、能力評価の内容が変われば、科学的なレベルは低下して、それが世の中のさまざまなものに影響を及ぼす。
▶︎価値観の上に〝精神主義〟という幕が張られ、ものごとは科学から空想へと移っていく。
▶︎この時の「新学習指導要領」下に教育を受けた子どもたちが、現在、社会の中枢を占める年齢にとなっている。教育とは恐ろしいものだ。
▶︎1992年の「新学習指導要領」に登場した「新しい学力観」は、中曽根政権下での臨時教育審議会の答申などを踏まえて整備され、「個性をいかす教育を目指して改定された、教科の学習内容をさらに削減した学習指導要領。生活科の新設、道徳教育の充実などで社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成を実現」したとある。
▶︎こういえば何か良いことのように聞こえるかもしれないが、とんでもないものであった。早い話、「よくいうことを聞くばか」を養成する方が、国家にとっては好都合と為政者らは考えたわけだ。
▶︎「夫婦別姓」なる文言が、目につくようになって久しいが、そもそも戸籍制度そのものをどうにかしようという声はあまり聞くことはない。「同性婚」なるものも、結局は戸籍制度の乗っかったものにすぎない。「それで自由になれるんかい」と言いたい。
▶︎戸籍制度は世界では日本以外、台湾と韓国にしかない。台湾も韓国も、日本が植民地支配をしているときに持ち込んだ。韓国は2007年に戸籍制度を廃止した。
▶︎日本の戸籍制度は、天皇制と深い異関係がある。いまだに戸籍筆頭者を置き、そこに他の者が出入りする制度となっている。天皇制——家父長制を壊すことなく移行している。
▶︎戸籍制度を俎上に上げなければ、あれやこれや小手先をいじってみても、人々の意識も変わらないと考える。
▶︎変わらない意識のもとで「嫁不足」なる奇怪な文言も生まれるわけだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?