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さらば、××ヶ谷

ーーフィクションへ、これはノンフィクションからの返答である。

オーケー、どこからこのイカれた物語を話そうか。
やはり、奴が500万円を持ち歩いているところから始めるべきだろう。
奴の名前はワケあって明かせない。住んでいた場所は横浜の某所。
日本人がイメージする横浜は山下公園の近辺の50メートルだけ。これから奴の目を通して本当の横浜が分かるだろう。

奴が500万円を持ち歩いていたのは他でもない、前々から目につけていた中古車を買うためだ。ところが道中、誘惑に負けてパチンコ屋に寄ったんだ。500万円を小脇に抱えているわけだから、パチプロの血が騒ぐのもムリはない。
パチプロなんて稼げないだろうと思われているのも確かだ。でも、今まさに持っている500万円が職業として成り立つことを証明している。

奴はいかにも出そうな台に着いた。間髪入れず、思った通りフィーバーした。それもそのはず、奴はゴト師だったんだ。ゴト師とは不正をはたらいてフィーバーさせる悪人、と言えば分かり易いだろう。
奴が有頂天になったそのときだった。異変を感じた。時が止まったかのような静けさ。周囲を見ると、さっきまでいたはずの客たちがいない。どころか店員さえいない。
その刹那、背後からずた袋を被せられ、ガムテープで全身をぐるぐる巻きにされた。唯一、穴が空いている部分は鼻だけ。

暗闇の中、奴は車のトランクの閉じる音と、車の発進音を聞いた。1時間? 2時間? 3時間? 違うな、実は8時間なんだ。奴は車のトランクの中で8時間、鼻呼吸だけをして生命を繋ぎ止めたんだ。

車が止まる音がしたすぐ後、トランクの開く音がした。そこでようやくガムテープが解かれることになる。皮膚が剥がれてしまうのではないだろうかと思うほどの痛みだったらしい。
ーーまだ生きていたのか。
5人の男達は奴を見下ろしながら笑った。男達の浴びている西陽が何とも嫌味ったらしい。

助かった。奴はそう思った。しかし、本当の恐怖はここから始まる。
周囲を見回すと、そこは森を切り拓いた産廃処理場だ。それも、一目で不法投棄場だと分かる有様。
男達の視線を追うと、あらかじめ掘られた大きな穴が空いていた。車1台が丸々入るほどの大きな穴が。
奴は頭のてっぺんから爪の先まで凍りついた。

男達は奴を穴に放り込んだ。ここで奴隷労働をさせられていると思しきアジア系外国人がユンボを操作して、奴に土をかけ始める。
「待ってください!」
奴の哀願が虚しく響き渡る。
「殺さないでください!」
男達は奴の泣き叫ぶ声を肴に笑っている。
「ここに500万円あります! これで許してください!」
奴は昭和のプロ野球選手が持つようなセカンドバッグから、500万円を出した。
男達の笑い声とユンボが止まった。

あとはもう行きと同じ手順だ。全身をグルグル巻きにされてトランクの中。行きと唯一違うのは、30分で車を下ろされたことぐらいだろう。
男達は奴に巻かれたガムテープを解いた。顔面部分だけ残して。
「500万円頂いたから、そうだな、500秒数え終わったら顔のガムテープを剥がしていいぞ」
男の中の1人が言うが早いか、車のエンジン音が遠ざかってゆく。
奴は律儀にも500秒数えて顔面のガムテープを剥がした。見回すとそこは、どこにでもある山道だったそうだ。

歩いて地元に帰って来たものだから、ヘトヘトで奴の思考能力はマヒしていたんだろう。絶対に通ってはいけないくだんのパチンコ屋の前に差し掛かってしまった。ところが、パチンコ屋はすっかり姿を消して、マンション建設予定地になっていた。

ふと足元を見ると、1円玉が落ちている。
奴の命はたったの500万円。1円玉、500万枚分。
奴からしてみれば命の一欠片に思えたんだろう。あたかも母親が我が子を抱きしめるかのように、奴は1円玉を握りしめて横浜を去った。

※これは小説ではなく実話です。