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小学生の時の記憶2

 皆さまこんにちわ。私の小学生の時の記憶の二つ目です。
さっくりと行きまっせ!

 皆さまはお惣菜で食べる蕗(フキ)はお好きですか?
当時子供の時代から社会人になるまで全く食べることが出来ませんでした。その理由が以前に書いたお屋敷に住んでいた頃のお話です。
自分の部屋を一番不気味な場所に与えられた私でしたが、夜に渡り廊下の向こうのトイレに行く勇気は全く無くて、実は窓を少し開けてその隙間から毎日オシッコしてました。
窓の下には不気味な太い茎で大きな葉っぱがどりゃー!と自己主張していて、もう、皆さまはお気づきですね。その葉っぱ目掛けてオシッコ放出です。葉っぱにキラキラ水滴がコロコロと転がり、地面に溢れていく。そんなおしっこ蕗は見事に数本に増え、太く成長するのでした。

 ある日その見事に成長した蕗がおひたしとして食卓に並びました。
勿論私としては蕗そのものを食べ物として認識していなくて目は見開き、口はあんぐり状態です。家族は舌鼓、、私あんぐり、、そして家族間抗争が勃発。好き嫌いなく食え!の猛攻撃に抵抗し、親父のゲンコツ受けながらも拒否。勿論理由を言えるはずもなくだんまり。社会人になるまで食すことが出来ませんでした。今は? 勿論大好きです、、おしっこで育成していなければね。皆さま、好き嫌いはダメですよ(笑

 家といえば番犬、いました。でかいブルちゃん。それが全く私だけなつかないふざけたアホ犬野郎で横を通り抜けようとしたらガルルーと威嚇攻撃の嵐。しかも枇杷の木に鎖で繋がれていて大好きな枇杷を捥いで食べれなくて悲しい思いと、家に入れないので、トイレ間に合わず事件勃発でした。
何日か決まってお漏らし事件で井戸水で水浴び、、まぁ、井戸水って、、冷たいよ(笑

 そんな少年が育っていくのでしたが親父倒産(笑 そして引っ越し。お屋敷住まいから普通の家に変わって自分の部屋がなくなったけど、あの不気味な変にだだっ広い家は嫌いだったな。
ウチの家って金持ちなのか貧乏なのか全く分からなかった。今思うと、丁度時代の変化の間で翻弄されたような感じで、戦後から約20年にあって精神論から産業、経済論に少しだけタイミング乗り遅れた感じなのかなと思う。まぁ何かあればとにかく殴られて育った記憶で、それも時代の波だね。親戚の話ではかなり苦労して乗り切ったんだよって言われるけど私本人は全くそんなことには興味が無かったのです。ほんとバカ息子でした。

そんなこんなで新しいとこで住むことになるのですが、部屋がなかったので商売してた倉庫を改造して部屋にしてくれたんだけど、実の姉の部屋が隣で、そこにピアノ設置。まぁ、、そこから暴力的なバイエル攻撃に心やられました。本当にノイローゼになっていたと思います。もう、姉のバイエル始める瞬間に涙出るし、おへその奥の方が震える感じで、死にそうでした。
それが中学生くらいまで続いたと記憶している。

 ある日庭に巨大な檻が出来た。一階は檻、2階は洗濯物干し場、何だこりゃ?と思っていた数日後にでっかいお犬様が何処からか知らないが来た模様で、お犬様その1ポインター、お犬様その2セントバーナード、小さな池に鯉数匹、文鳥数羽、なんか分からん鳥数羽がお引っ越ししてきた。
そして予想通りです。世話しとけ!は?どいうこと?とパニくる私を放置後、親父はどこかに消えていくという悪夢。もう、家庭内犯罪です。

 そのでかいポインターがかなり交戦的でもう、ご飯持って来てやったのに入り口ドア開けた瞬間に、はい、やらかしました。私の腕をモロにパク!っと。もうブチギレてゲンコツでボコボコにしてやりました。それからも溝は埋まらず、弟が鼻の穴に指突っ込んでも何も言わないのにご飯持ってくる私にはファイティングは治りませんでした。池の鯉?水を流す穴に流してやりました(悪 鳥たちも曲者で毎日毎日餌箱をフーフーして食べカスを掃除してやらないといけないし、わざとカゴの入り口を開けっぱなしにしても脱走しないという優等生(泣 毎日フンまみれの新聞紙の交換、、これってなんでしょうか。何と表現すれば良いのか未だにわかりません。

 知り合いでペットで犬飼いたーいとかいうバカ女とか居るけどほんとアホだなと思っています。いや、思わざるを得ません。
と、いう楽しい家庭内犯罪にがっつり巻き込まれて過ごしていた少年が社会の片隅に居たとご理解くださいませ。

 その前の小学4年生で人生クルクルぶっ飛ぶことがあり、無意識に変な人生に突入していて暴力ピアノが加算され、暴走ロケットに変化していくのであった(笑 続きはまた後日。乞うご期待。


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