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「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」

原題:DEMOLITION
監督:ジャン=マルク・バレ
製作国:アメリカ
制作年・上映時間:2015年 101min
キャスト:ジェイク・ギレンホール、ナオミ・ワッツ、クリス・ク-パ-、ジェダ・ルイス

 邦題には観終わった人にだけ解る意味があるが、監督は顕かに映画内容がそうであるように単なる破壊ではなく「Demolition」を取っている。だからこそ、最後にクリスが「絶対に時間厳守で来てくれ」とpresentするものも Demolition だ。

 同じ車で事故に遭いながら運転していた妻は死に助手席の彼は生き残る、一瞬の分断。闘病の末partnerとの別れを心準備出来る世界とは大きく違う。この二人の年齢では余程身内を幼い頃亡くした設定がなくては日常で「二人の内一人が死ぬこと」については語り合わないだろう。だからこそ、彼は反転した舞台に放り出され状況を掴み切れない。

 涙が出ない自分を見て「自分は妻を愛していたのか」とまで懐疑的になっていく。妻を失くしてすぐに病院待合の廊下で遭った自動販売機のアクシデントへの態度を滑稽と取るか、案外人はそうして大きな感情の津波を避けようと防御するものと取るかは観る人で分かれる処だろう。
 私は後者だ。自動販売機の苦情を先ずは行動目的とするしか、実はあまりに途方に暮れ動けなかったのだろうと観ていた。この部分(このような捉え方)は、クレーム担当のカレンにしても同じだったのではないか。

 義父の「壊れた物は一旦分解するだろう」のことばに彼のそれこそ壊れかかったこころは反応し、中盤の半端ない寧ろ病的な破壊活動に繋がる。
 中盤から後半まで一緒に行動するカレンの息子クリスもまた「見た目12歳、実際15歳、精神年齢は20歳」と母に云わせるほど空中分解寸前。
 ディヴィスもクリスも互いに会ったことで救われていくのを感じている。

 雑踏で一人になるために手っ取り早いことは「音楽で耳を塞ぐ」こと。音一つで周囲を遮断できることは多くの人が経験済みの筈。壊れかけながら再生に向かう中でこの音楽がうっ血した彼の「感情という血液」を流す手助けをしているように映る。

 ラ・ラ・ランドでダンスに奮闘したライアン・ゴズリングよりも(*R・ゴズリングは好きな俳優の一人)このシーンのJ・ギレンホールが断然いい。
 こころは描きづらい。長台詞で片付くものでもない。そのところを今回彼は見事に演じている。人は本当に悲しい時に連動して涙するものなのか。あまりに悲しみが深過ぎて、亡くしたものが大き過ぎて涙さえ出ないことがある。

 脇をクリス・クーパー、ナオミ・ワッツが固め、クリス役のジェダ・ルイスが子と大人の間でうまく自分の立ち位置を見つけられない様を好演している。

 邦題の詩的な感じで択ぶと描かれている物に追い付くのに時間を要する。この映画ポスターのイメージで映画館へ足を運んで欲しい。
★★★★


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