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キャプテン・山田哲人が響く春の神宮

山田哲人がキャプテンに就任したのは、2021シーズンからだ。

その前年、国内FA権を取得した山田哲人の去就を、ヤクルトファンは静かに見守っていた。
手放す日が来たとしてもおかしくはない、山田哲人の技術と実績。
2015年にトリプルスリーを達成し、流行語大賞まで受賞した山田哲人は、ヤクルトの顔が付ける背番号1を与えられた。

他球団がこんな絶好の機会を逃さないわけはない。
だが、山田哲人は権利を行使しなかった。他球団との交渉の席に着かぬまま、スワローズ残留を決断をした。

それと同時に、自らキャプテン就任を志願した。
当時、28歳。チームの中では、徐々に年下の選手が増えてきた。
野球でも当然、チームを引っ張る実力はある。
FAという人生の岐路に立ち、自らの環境を変えようとする決意。
移籍しなくとも、山田哲人にとって2020年は人生の分岐点だった。

「リーダー像に正解はない」。10年以上前に受けたOff-JTで聞いた言葉だ。
時代、政治、文化、社会情勢、その時々の背景によって変わるもの、それがリーダー像だ、と。

山田哲人は静かなキャプテンだった。
だが、スワローズという集団の特性、上司(監督)のチームづくりの方向性、チームメイトのバックアップ、置かれた環境のすべてにおいて、山田哲人キャプテンを後押ししているように見えた。

リーダー像に正解はないのなら、キャプテンが静かだったとして、その組織、すなわちスワローズが機能するのであれば、それが正解だということだ。

そんな静かなるキャップが、キャプテン就任の2年目の2022年、少しの変化を見せた。
とある後輩から、「てつさんは笑った方がいい」と言われた山田哲人。
それまで、チーム1の人気者故の過激なファンやバッシングに対応するためか、無表情で神宮を歩く姿が日常の光景だった。

しかし、2021年後半、東京オリンピックの侍ジャパンに帯同した村上宗隆とキャッチボールパートナーとなってから、山田哲人の笑顔を見ることが増えてきた。
「てつさんは笑った方がいい」と助言したのは村上宗隆だと、私は踏んでいる。

2022年、個人の成績が振るわなかった山田哲人は、優勝が決まった瞬間、ひとり泣いていた。
ビジョンに映る涙の山田哲人に驚きつつ、山田哲人が全力で野球をしていることの証明のような気がして、その気迫に圧倒され、私は、誇らしかった。

相当苦しんだだろうが。

2023年3月31日。開幕戦の燕(円)陣で声出しの指名を受けた山田哲人キャプテン。

「開幕戦ということで、熱く語りたいですけれど、今日は、シンプルに一言だけです。今日の試合は一言だけです」。

「なんですか?」
この声は、おっくん(奥村展征)かな。

「絶対勝つ。さぁいこう!」

「オー!」

笑顔と涙に加わった、山田哲人の大きな声が、肌寒い春の神宮球場に響く。チームメイトの呼応は、まるで神宮に発生したこだまのようだ。

キャプテンになると同時に強くなったスワローズは、山田哲人がつくり上げたチームだ。
この一枚岩のチームは、こんな風に、感情あらわに野球をするキャプテンが率いている。

キャプテン3年目を迎えたこのシーズン、目指すところは、

リーグ3連覇。日本一奪還。

この日、山田哲人の2安打2盗塁の活躍で、開幕戦勝利を収めた。
山田哲人の声が響き、山田哲人が響いた春の神宮は、まだまだ寒いが、熱いぞ!

さあ、行こうか!    てっちゃん!    いや、キャプテン!

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