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幸せの見つけ方

なりたいものになれていなかったり、
ほしいものに手が届かなかったり、
注目されず寂しさを抱えたりしたとき、
人は「不幸だ」と感じる。

「幸せ」は崖を挟んだ向こう側。
あるいは、追っても逃げていくかげろうのよう。

「こうなったら幸せ」と思ったときから、
「今は幸せではない」という前提が生まれる。

では今が幸せと思えばいいのだろうか?
足元にあって当然の小石は、
他の人にとっての「崖の向こうの幸せ」だろうかと。

それは難しいことではある。
感じないものを感じるようになるには、
白い空間で白い物を探し出すようなものだから。
あるいは、「思ってたもの」と違うとがっかりしてしまうかもしれない。

けれど、往々にして「救い」はそこにある。
「幸せと不幸の対立軸」から抜け出すためには、
知恵を絞ることがとても必要だ。
自分の価値観を大きく変える必要があるのかもしれない。

「頭」で考えていた「幸せのイメージ」が役に立たなくなる。
もっと目の前のことをつぶさに観察し、こまかく深く考え、
そして行動する必要が出てくる。
他者との比較も、こういう時は参考になり、役に立つ。

出せる答えは些細なことだ。
悩み事は解決しないけど、ダメージを深く負わない工夫をしてみる、とか。
日々のつまらない単純作業にゲーム感覚の目標をつけてみる、とか。
人と疎遠になったら、近所の「こんにちは」から始めてみるとか。
人それぞれに些細な答えがある。だからこそ意味がある。

自分が出した「答え」を意識する。
「答え」が生活に「意味」を加えていく。
「意味」あることに関わっていると感じることが、
人生に「意義」を見出すことにつながる。
それは幸せの一種ということではないだろうか。

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