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手渡されたバトンを見直す

最近、株式投資に興味が湧き、関連本を読むことが多くなった。
投資市場に参加する誰もが、「損をしたくない。儲かりたい」と思う。
そこでは、お金という即物的なパワーの応酬があり、
価値の売買と変動により世界経済の一面を反映するというのは、
改めて興味深い。

私も一つ噛んでみようと思い、本屋の雑誌コーナーを巡る。
最近の投資雑誌のメインテーマはこうであった。
「放ったらかしで、儲かるインデックス投資」

インデックス投資とはつまり、
日経平均やTOPIX、ダウ平均といった、
株式指数に連動・反映される投資商品を定期的に買う投資方法だ。
経済の成長、インフレともにこの数値も上がるはずなので、マネーゲームによくあるゼロサムゲームではなく、負けにくいという理屈だ。
プロもインデックス投資法にはなかなか勝てないという論拠もある。

これなら、儲かると思っただろうか?
実は投資話として有名なことに、
「雑誌に載せられたことはすでに賞味期限が切れている」という話がある。
この株を買えというときは、もう情報が古く、株の値段は上がらないということだ。

雑誌に話が載っているということは、
「すでにインデックス投資がしにくいが生まれつつある」ことを暗に示されてはいないだろうか。
現に、世界経済は後退するかもという懸念が最近ニュースを巡っている。

今、市場に参加している人が、値上がりで利益を上げるためには、
それを欲しがっている誰かに売らなくてはならない。
どこからか新しくお金が流れ込んで来たとき、売買がなされ、
参加者から新参者へバトンが渡されるのだ。
投資雑誌の読者は、投資機会の遅くに「バトン」を受け取ることになり、
「ヘタを掴む」ことになりやすい。

ちょっと話を変えよう。

情報商材が流行っているらしい。
「こうすれば儲かります」という単純なものではなく、
「経済的自由を得られている」、「周りの称賛を得られている」
「幸せを得られている」というアピールをし、
あなたも得られるイメージを植え付けて高額の商材を買わせる。

夜の電灯に集まる虫の例えがある。
中央に情報商材を高額で売る「教祖的な人」、
周りにはその恩恵にあやかろうとする人々。
眩しいのは教祖ではなく、集まった人塊。

外周の人が「これは儲かるかもしれない。始めてみよう」と思う時、
最も中央にいる人は「すでに儲けた。ノウハウは広がった。もう儲からないので、フォロワーを資産として、優位性を維持しつつ別のことをしよう」としている。

「バトン」はすでに外側に手渡されている。
単純にお金のやり取りだけではない。
「欲のやり取り」もされているのだ。
「もう少しすれば、きっと自分の得たいものは手に入る。欲は満たされる。
この情報商材は必要経費。あとで利益となって返ってくる」と、
手渡されたバトンの価値が上がるのを信じてしまう。

情報商材商法にハマった人たちをバカにはできない。
案外、人は「バトン」に無頓着・無防備なのだから。
「バトン」を受け取るための手が、いつも心に生えている。

私の話をすると、私は決して収入が多い方ではない。
ふと、「ワーキングプア」という情報に敏感になっていることに気づいた。
その用語に暗に含まれる言葉は、
「社会的な構造による貧困と抜け出せない絶望」だ。

自分もそのワーキングプアの当事者になってしまうかもしれない。
なってしまったら、幸せに人生を遂げることはできないかもしれない。
ワーキングプアの情報に触れる度、そう不安に思っている事に気がついた。

「しまった!変なバトンを掴まされてしまった」と思った。
明らかに自分の人生にネガティブな情報を、
「当事者になりうる」という理由で真に受けてしまったからだ。

「バトン」を渡した情報の発信者は何を考えているのかはわからない。
ワーキングプアを取り上げることによって、
社会的な問題をクローズアップしようとしているかもしれない。
けれど、私には「将来への不安」に「バトンの受け手」が生えていた。
脳内のシナプスが脳内物質を受け取って、電気信号を発火させるように、
私はバトンを受け取ることで、
不用意な不安を、無闇矢鱈に生み出していたのだった。

ここで言いたいのは、情報や目立つ人物について、
「疑って信じすぎない。曇りない視点でフェアに判断しよう」ということ
ではない。

どこにでも「バトン」は存在して、意識したとしても、疑ったとしても、
バトンは受け取ってしまうということだ。

雑誌の記事を読んでいて、とてつもなく何かが欲しくなってしまったり、
繰り返し同じ理屈で、行き詰まった感じを抱いてしまったり。
そういうときは、
「バトンを受け取ってしまったんだ。いったいどういうものを?」と
考え直してみる
ことが大事だ。

株式投資の話のように、ヘタを掴んで、損失を出しつづける必要はない。
考え直して見ることで、バトンの受け取り方・手放し方が変わる。
同じバトンでも、その後の行動や、生まれる価値も変わるはずだ。


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