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【終活】なぜ45歳から自分棚卸し作業が必要なのか?

長く続けてきた手帳生活にも終着点が見え始めてきた。

ここに辿り着く為に、私はひたすら手帳に向き合い、格闘し、挫折をし、振り出しに戻って、また新たに向き合うという作業を続けていた。

それは、終わりのない戦いだった。

しかし、もう、終わらせたいのだ。

何冊もの手帳に囲まれて、情報迷子になって、収集がつかなくなっている状態から。

出会ってきた手帳達に罪はない。

続けられない自分に罪がある。

では、いったいなぜ続けられないのだろう?

それは、ゴチャゴチャになってしまうのが嫌だから。

手帳というものは、綺麗に書こうとしていては、その役割を果たせずに終わってしまう。

汚くなってなんぼのもの。

でも、そうなるとどこに何を書いたのか分からなくなってしまう。

情報も感情も過去も未来も、全てをいっしょくたんにしてしまうと、ぐちゃぐちゃになる。

だから、手帳を何冊も使い分けてみたりしてみたが、どうも上手くいかない。

必要なのは、一つにまとめる事。

必要な時に必要な情報が直ぐに見られること。

そう、私が成し遂げたい事は、

過去を使える情報に変換する事

その一点に尽きる。

未来の予定や計画は、綺麗に書いてもしょうがない。

未来とは大抵思い通りにならないし、修正を加えていくものだから。

やりたい事やマストなタスクは、必ず見える化しておく必要がある。

手帳は開かなければ見えなくなってしまう。

だから、未来の事はカレンダー等に書いて全て見える化しておく。

冷蔵庫に貼ったカレンダーや、机に置いたリング式の週間ノートなら、嫌でも毎日目に入る。

毎日見ていれば忘れることもない。

その他の過去の事はどうするか?

今日の気分や体調、出来事や子どもの事、楽しかった事、行った場所、その時の気分や感想、そういった事を一覧にして処理しておく事で、ただの記録が使える情報に変化する。

そうなると、自分の歴史を棚卸しして、まとめるしかない。

①住所録②パスワード③契約関係④過去の住まい⑤入学卒業等のイベント⑥資格取得⑦病気、体調、病院➇ホテル宿➈お店⑩場所

思い出せる全ての過去を、書き下ろすのだ。

これで、直ぐに履歴書が書ける。

その時、感情は一緒にしない。

感情を混ぜ込むと、情報ではなく思い出になってしまうから。

感情や思い出は、また別の場所に保存しておく。

それに使うのは3〜5年日記だ。

感情も見返さなければ忘れて、また同じ過ちを繰り返してしまったりする。

自分の感情や行動パターンを把握する為には、感情を覚えておく必要もある。

自分がどんな人間なのかを、客観的に分析するツールになる。

45歳位になると、今まで感じることのなかった衰えを感じ始める。

そして、色々な情報がぐちゃぐちゃになって、使いたい時に使えないという状態が起こってくる。

情報量がリミットを超えているのだろう。

そのままスルーして生きていく事も出来るのだが、それは物が散乱した家に住むようなもので、どうにも居心地が悪い状態になってしまう。

どこかで整理する必要性が出てくる。

まだ、どうにか収集のつく状態が45歳の今なのだ。

さて、やる事が定まったので後は行動有るのみ。

スッキリした老後目指して、自分を一つ一つまとめていこう。

自分が忘れてしまった記憶でも、大抵携帯に残っているから、大丈夫。

それにしてもGWの中日は、外苑前辺は人が少なくて、快適だ。

これは、5年間日記に記しておく事柄。

上手く棚卸しが完了すれば良いのだが、、、。

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