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「狐と祭りと遊び上手と。」第六話

 真っ白い空間に沢山の石が転がっている。その空間の中心であろう場所に赤い椅子がぽつんと在り、そこに一人の美しく若い女性が縛り付けられている。真っ白な肌と長い黒髪。何枚もの札が貼られた十二単らしき衣服のはだけた部分から、豊満な身体の一部が見えた。
 彼女は言う。まるで訴えるように。

 ――人間は、嫌いじゃ。
 ――男も、嫌いじゃ。

 男を見ると蹂躙してやりとうなる。あやつらは麻呂のことを見下しておる。
 力の差を見せつけねばならん。麻呂に歯向かえば恐ろしいことが起こると思わせねばならん。

 この屋敷の連中も皆、嫌いじゃ。誰も助けてくれんかった。何故もっと早く来てくれんかった。嗚呼、違う、分かっている。奴らを恨むなど筋違いであることは。しかし誰かを憎まねば救われない。麻呂は麻呂の心を守るために全てを憎まねばならんのじゃ。嗚呼、違う、本当はこんなことをしたいわけではない。けれどこの世は悪意でできている。他者へ攻撃せねば麻呂が攻撃される。

 嗚呼、また、空狐に酷いことをしてしまった。あやつが麻呂よりも弱いから。弱い奴を見ると苛々するのじゃ。何故自分の身を守るだけの力がない。そんなことでは誰かに踏み躙られるだけの人生じゃ。嗚呼、でも、奴は麻呂に手を差し伸べてくる。謝らねば。しかし謝ったとてやったことがなかったことになるわけではない。

 嗚呼――天狐も空狐も、あやつらも、何故麻呂のことを可哀想なものを見る目で見てくるのじゃ?

 ◆

 はっ――と目を覚ますと、風鈴の音が聞こえた。朝だった。
 今日も野狐と気狐に字を教えてもらう約束をしているのを思い出し、慌てて髪を整えた。

(何か……いつもより情景がくっきりしてる夢だったな)

 はっきりと覚えているのは、真っ白な空間にいたあの女性がとても美しかったこと。同性の小珠でも見ていて少しどきどきしてしまった。それほどまでに、夢の中の女性は蠱惑的だった。
 準備していると襖が開かれ、気狐と野狐が入ってくる。

「あら、今起きたところですか? 珍しいですねえ」

 気狐が小珠を見て不思議そうに言った。
 小珠はいつも早起きだ。気狐たちが来る前には準備を済ませている。確かに、寝過ごすのは珍しいことかもしれない。

「今日はちょっと変な夢を見て」
「変な夢?」
「美しい女性がいる夢です」

 小珠の言葉を聞いて、気狐と野狐が顔を見合わせた。

「怖い夢だったのですかあ?」
〝だい じょう ぶ ?〟

 気狐は口頭で、野狐は紙に字を書いて聞いてくる。
 小珠は首を横に振った。

「いえ……怖いというよりは、懐かしいような。旧知の間柄の人と会ったような感覚のする夢です」

 そう言うと、気狐も野狐もほっとしたようだった。

「なら良かったです。もし怖い夢を見たらわたくしの部屋へ来ても良いのですよ。小珠ちゃんなら歓迎します」
〝おれ も 来て いいよ〟

 二人に気遣われ心が温かくなった小珠は微笑んだ。

 その後、いつも通り文字の練習が始まった。最近は難しい漢字も書けるようになってきた。
 気狐が「お二人共、最初の頃よりうんと上達してますねえ」と褒めてくれたのが嬉しかった。

 あの瑞狐祭りからは三日が経った。
 あの日から変化したことがある。――二口女が、小珠を避けるようになった。
 市へ向かう途中、いつものように茶店に向かって挨拶するが、二口女は小珠を無視してささっと店の奥へと逃げてしまうのだ。

 小珠は今日も茶店に寄ることは諦め、野狐たちと市へ向かった。
 野菜を売る場所を確保し、直接触れないように野菜を並べ、次に水を入れた瓶を並べる。すると、隣で店を開いているからかさ小僧が不思議そうに話し掛けてきた。

「それ、なんでい。新しいな」
「風味水って言うんだ。果物とか野菜で水に香りや風味をつけた飲み物だよ」

 最近外が暑いので、飲み物を売れば儲かるのではないかと用意してきた。野菜を買ってくれる客が増えてきたので、そろそろ目新しい商品を並べてみる時期だと考えたのだ。
 それぞれにんじん、セロリ、りんごでできた三種の風味水を試しにからかさ小僧に渡してみる。

「これ、氷が入ってんのか!?」

 からかさ小僧は瓶を受け取り、驚いたように目を見開いた。

「う、うん……。からかさ小僧、氷を知ってるの?」

 狐の一族の屋敷の隣の、深い穴の中で管理しているという、冷えた水の固まり。風味水を夏場に作るにあたって、空狐が教えてくれたものだ。本来これは暑くなると融けるらしいが、妖力で形を維持できるよう調整してくれた。

 からかさ小僧が黙り込む。どうしたのだろうとじっと見ていると、からかさ小僧はようやくごくりと風味水を飲み、「意外と味は普通の水なんだな」という感想をくれた。

「確かに、冷えててうめえ……が、氷なんてのはかなりの貴重品だぞ。氷自体、知ってる奴は少ねえから大丈夫だろうけど……」

 ぶつぶつと何か呟いたからかさ小僧は、瓶を持って自分の店の準備に戻ってしまった。
 市が賑わうまではもう少し時間がある。野菜と値段を書いた紙を並べ終え、時間が余ったのでもう一度からかさ小僧に話しかけてみた。

「ねぇからかさ小僧。私、二口女さんに何かしたかな?」

 ずっと相談したかったことだ。あの瑞狐祭りから三日。さすがに三日も無視されたら気になってくる。
 からかさ小僧は手を止め、小珠の問いかけに対し「そりゃあ……」と何か言いかけ、言いづらそうに口を閉ざした。
 そしてしばらくして、売り物の赤い傘の柄を磨きながらゆっくりと打ち明けてきた。

「おれら、見ちまったんでい。おめーが雨粒を瑠狐花に変えてんの。ちょうど祭りの最中におめーを見つけて、一緒に声掛けようとした時に、おめーから不自然なくらい妖力が発生して、雨粒が瑠狐花に変わった。――おめえ、妖狐の一族だろ」

 言い当てられ、黙り込む。咄嗟に何も言えなかった。仲の良いからかさ小僧に嘘を吐きたくなかったからだ。
 隣の野狐たちもあからさまに動揺し、動きがかくかくしている。

「あんな芸当ができる妖怪はそういないんでい。おれでも思ったんだから、勘の良い二口女ならもっと思っただろうよ」

 二口女は狐の一族を嫌っている。一族の話が出てきた途端嫌悪を露わにしたくらいだ。
 小珠は二口女に自分があの屋敷に住んでいること、狐の一族の元長の生まれ変わりであることを黙っていた。騙されたと傷付いていても可笑しくないだろう。
 二口女の心の内を想像し、罪悪感が募る。

「正直おれも、お狐様たちには良い印象抱いてねえ。でも、小珠はこれまでおれらと仲良くしてくれたからよ……。こうして市に頻繁に来るのも、他のお狐様たちとは全然違ぇ。そんな風に、おれは小珠とあの一族を分けて考えられるけど……でも、〝なんか偉そうでいけ好かねえ〟くらいにしか思ってないおれと違って、妖狐の一族に対して明確に恨みを抱いてる二口女は複雑なんじゃねえかな」

 からかさ小僧の言うことは的を射ている。
 同時に、騙していたにもかかわらず、こうしていつも通り話してくれるからかさ小僧の存在を有り難く思った。

「……からかさ小僧」
「なんでい」
「黙っててごめん」

 からかさ小僧に言われなければ、ずっとこれからも隠しているつもりでいた。そうやって偽りの姿で仲良くし続けられるならそうしていたいと思っていたのだ。
 申し訳ない気持ちで一杯になり、からかさ小僧の方を向くことができず、ただ俯く。すると、ふっと隣から笑う音がした。顔を上げると、からかさ小僧は優しい顔をしていた。

「誰しも言いたくない秘密はあるもんだろ。言いたくなかったら言わなけりゃいいし、言いたいと思えるようになったら言やあいいのさ」

 意外にも温かい言葉をもらい、小珠は嬉しくて泣きそうになった。

「……私が本当のことを言っても、これまでみたいに仲良くしてくれる?」
「ああ。勿論でい」

 衝動的にからかさ小僧に抱きつこうとすると、何故か両隣から二体の野狐に止められてしまった。はしたなかっただろうか、と反省しながら体勢を整え、ごほんと咳払いしてから改めてお礼を伝える。

「本当にありがとう。市に狐の一族の一員として来たら大騒ぎになっちゃうから隠してたんだ。ここにいる二人も実は天狗じゃなくて。ごめん、嘘ばかりついてて」
「おうよ、分かってる」
「二人の本当の姿を見せてあげたいんだけど、ここじゃ目立つよね……。あ、そうだ、からかさ小僧。今度うちに来ない?」
「え…………。妖狐のお屋敷にか?」
「うん。もちろん許可を取ってからにはなるけど、妖狐たちと町民たちの親睦を深める一歩になったらいいなとも思うし」
「いやいやいやいやいや……おれなんかが立ち入っていい場所じゃねえだろうよ。つうか、小珠はおれらとお狐様たちが親睦を深められると思ってんのか? 身分が違いすぎるだろ」

 からかさ小僧がぶんぶんと細い頭の先を振って否定してくる。
 やはり、町民にとって狐の一族は恐怖の対象、身分の違う一族、遠く離れた存在なのだろう。

「私、この町がもっと良くなればいいと思ってるんだ。妖狐の一族だって悪い人ばかりではないし……そういう誤解も解けていけばいいと思ってる」
「……そのために身分を隠してここに来てんのか?」
「うん。まずは町民の様子とか意見とか把握しないとって」

 からかさ小僧は呆気にとられたような顔をした。
 そろそろ市の客も多くなってきた。長話できるのも今だけだ。からかさ小僧は最後に、忠告のように言った。

「そういうことなら、早く二口女と仲直りしろよ。時間はかかるかもしんねえが、あいつも分かってくれるはずだろ」
「そうかな。私、酷いことしちゃったけど」
「おめーも二口女とまた遊びてえんだろ?」

 こくりと頷くと、からかさ小僧はにかっと笑った。

「なら大丈夫でい。おれら、友達だろ。あとおめえ、氷の説明には気ぃ付けろよ。氷は庶民が手にできるもんじゃねえんだ。家の人にもらったもんじゃなくて、妖力で作ったって言え。雪女とかならこういうの作るの得意だし、妖力で作れる妖怪も一部にはいるから、その方が自然でい」
「そ、そっか……! 危なかった、ありがとう!」
「ったく、手ぇかかるな、小珠はよぉ」

 苦笑いするからかさ小僧に微笑み返し、その日の商売が始まった。

 ◆

 夕方になり、小珠は市から帰って屋敷の炊事場に来た。
 人参の成長点はへたの近くにある。根の栄養価を下げないために、今朝取った人参のへたを切り落としてから保存した。こうするとより長持ちするのだ。

「おばあちゃん、仲直りってどうやるんだっけ」

 一通りへたを取ってから、隣で夕食の準備をしているキヨに相談する。

「おや。誰かと喧嘩でもしたのかい」
「私が隠し事をしてて、結果的に騙してしまったんだ」

 キヨの包丁さばきはいつ見ても高速だ。喋りながら、あっという間に玉ねぎが微塵切りされていく。

「一度騙した事実は消えない。信用を取り戻すには時間がかかるよ」
「……そうだよね」
「時間がかかるだけさ。すぐには取り戻せずとも、いつか戻るかもしれない。……ただ、戻らない場合もあるけどねえ」

 キヨの言葉がぐさっと心臓に刺さる。しゅんとする小珠をちらりと横目に見て、キヨは笑った。

「誠実なところを見せるのが大事だよ。取り戻せない可能性があるからって、怖気付いて何も行動しないような子じゃないだろう。小珠は」
「……!」
「その人には謝ったのかい」
「まだ」
「なら、まず謝らんとね」

 キヨのおかげで複雑だった糸が解かれて、単純な話になった気がした。キヨと話すと思考が整理される。今やらなければならないことが何となく見えた。

「おばあちゃん、私頑張ってみる」

 謝罪して、説明しよう。この町をよくしようとしていると伝えよう。
 そのためにも、それを証明できるような行動をしなければ。

 ◆

 夕食の場で、皆が集まる前に、銀狐にからかさ小僧を屋敷に連れてきたいと伝えてみた。

「あかん」

 しかし、銀狐は小珠の要求をばっさりと却下してきた。

「それは、威厳を保つために、南の妖怪たちと一族が馴れ合うのはよくないと考えているからですか?」
「そうや」
「でも、狐の一族は威厳なんかに頼らなくても十分この町を統治できるほどの妖怪としての実力がありますよね。もしかして、自信がないのでしょうか?」
「へえ、言うようになったやん」

 小珠としては大真面目な問いだったのだが、銀狐からすれば馬鹿にされたように感じたらしく、怪しい笑みを浮かべてぐりぐりとこめかみを痛めつけてくる。小珠は悲鳴を上げた。

「瑞狐祭りは手伝ったったやろ。あれで満足しぃ」

 畳の上で痛みに転げ回る小珠を嗜めるように銀狐が言う。

「その節はありがとうございました……。あれって、銀狐さんが言い出してくれたのですよね?」

 銀狐たちが雨降らしの舞をしてくれなければ、あのような芸当はできなかった。

「ちゃう。あれは、空狐はんが言い出したことや」
「…………」

 驚いた。空狐はそのような素振り一つも見せなかった。小珠が礼を言った時も、まるで銀狐が提案したかのように伝えてきた。

「私にはそう言っていなかったのですが……」
「不器用な人やからな」

 銀狐は胡座をかいて座布団の上に座り、立っている小珠を見上げてくる。

「それより、あれもっぺん見して?」
「あれとは?」
「妖力を使って幻影を見せる術。あれ、そう簡単にできることちゃうで。小珠はんはやっぱり玉藻前様の生まれ変わりなんやなぁ」
「それが、あれからもう一度試してみたのですが、全くできなくて」

 瑞狐祭りの翌日、庭に咲いている花を化かそうとしたが、花の姿は少しも変わらなかった。瑞狐祭りの時は、切羽詰まっていたからできた――火事場の馬鹿力のようなものかもしれない。

「何や、つまらん」
「つ……つまらなくて悪かったですね」
「俺が教えたろか? 極めれば自分を他の姿に見せることもできんで」

 確かに、この屋敷の妖狐たちは全員他の姿に化けることができる。野狐たちが護衛として市まで付いてきてくれる時、天狗に変化しているのが良い例だ。

「――こんな風に」

 ぽんっと音を立てて、煙が発生したかと思うと、目の前にいたはずの銀狐が空狐の姿になっていた。

「……凄い。どこからどう見ても空狐さんですね」
「やろ。触ってみる? 感触も同じやで」
「え。や、それはいいです」

 一瞬空狐の感触を想像してしまい、顔が熱くなる。慌てて遠慮するが、空狐の姿をした銀狐はにやりと笑った。

「何顔赤くしてんねん。おぼこいなあ」
「ひぃっ!」

 銀狐が小珠の手を掴んでずいっと顔を近付けてきたため、小珠は思わず悲鳴を上げた。空狐の端正な顔立ちが目の前にある。中身は銀狐のはずなのに、どきどきと心臓の鼓動がうるさくなった。
――小珠がぎゅっと目を瞑ったその時。べしっと音がして、銀狐の手が小珠から離れた。おそるおそる目を開くと、銀狐の後ろに本物の空狐が立っている。さっきの音は、空狐が銀狐の頭を叩いた音らしい。衝撃で銀狐の姿が元に戻っている。

「全く。僕の姿で何をやっているのやら」
「痛っったぁ~。空狐はん、思いっきし叩きはったやろ」
「不用意に小珠様に近付かないでください。天狐様の前ですよ」

 空狐がそう言って、料理の間の前方に佇む大きな白い狐に目をやった。天狐の美しい存在感は何度見ても神秘的だ。婚約者とはいえ何だか声をかけるのが恐れ多く、小珠はまだ彼とあまりきちんと話せていない。

「先程の話。受けてみてもよいのではないか」

 天狐がゆっくりと口を開き、少ししわがれた声で言う。

「……天狐様、正気ですかぁ? 低級妖怪をこの屋敷に招き入れるなんて、前代未聞ですよ」

 信じられないといった様子で天狐に言い返したのは銀狐である。

「先日瑞狐祭りの花降らしを手伝った件で、僅かながら町民から感謝の声が届いておる。このようなことは玉藻前統治の時代以降、無かったことじゃ。あれを提案したのは小珠だったのだろう?」

 金色の瞳で見下され、こくこくと必死に頷く。

「では、次も良き方向に事が運ぶかもしれん。物は試しじゃ」
「しかし、天狐様……」
「わしの言う事に逆らうのか。銀狐」

 天狐が銀狐をぎろりと睨む。銀狐は口籠った。

「あ……ありがとうございます!」

 小珠が深々と頭を下げると、天狐はにこにこと機嫌良さそうに笑った。


 ◆

 翌日、小珠はいくらかすっきりとした気分で朝を迎えることができた。
 市へ向かう途中、茶店に寄った。それまでにこにこと他の客と談笑していた二口女が、小珠の顔を見るなりまた、ささっと店の奥へ逃げてしまおうとする。その背中に向かって謝罪を投げかけた。

「――二口女さん、騙しててごめんなさい」

 二口女は振り返らない。ただ、ぴたりと動きを止めた。

「私、酷いことをしましたよね。でも、二口女さんと話して楽しかったのは本当です。でないと、何度もここへ来ません」
「…………」
「私、この町を良くしたいと思っています。私の思いは行動で示します。見ていてほしいです」

 二口女は何も言わず、店の奥へと戻っていく。
 言いたいことは言った。小珠は、店へは入らず市へ向かって歩き始める。

「野菜売りの小珠ちゃんじゃねーかぁ! 二口女姉さんと喧嘩かぁ?」
「仲直りするなら早い方がいいわよぉお~ん?」

 床几に座って団子を食べている小豆洗いとろくろ首が後ろから冗談っぽく声をかけてくれる。小珠は苦笑し、「頑張ります」と呟いた。

 市に着き、いつものように店を開いているからかさ小僧に声をかける。

「許可出たよ」
「………………はぁ?」
「私たちのお屋敷に、からかさ小僧が来る許可」

 からかさ小僧が目を丸くする。まさか本当に行くことになるとは思っていなかったらしい。続いてぶるぶる小刻みに震え始めた。

「お、おれ、殺されねえよな……?」
「そんな酷いことをする人たちじゃないよ」
「屋敷に着いた途端ぐさっと……なんてこと」
「させないから大丈夫!」

 発言から、からかさ小僧の狐の一族への印象が窺える。一体どんな怖い存在に見えているのだろうと複雑な気持ちになった。

「どんな格好で行けばいいんでい?」
「……? そのままでいいんじゃない?」

 そもそも、からかさ小僧は人間で言う衣服を着ていない。格好と言われても、と不思議に思う。

「他所の家へ行く時は菅笠すげがさを被るんでい」

 からかさ小僧がごそごそと小さな鞄の中から小さな菅笠を出して頭の上に乗せる。

「これどうだ? 庶民的すぎるか?」
「いいじゃないかな。かっこいいよ」
「そ、そうか……」

 からかさ小僧がお洒落をするのが意外でまじまじと見つめて褒めると、彼は照れたように頬を赤らめる。
 いつもは野狐二体と三人で帰っているが、今日はからかさ小僧もいるので四人になる。市から帰る時騒がしそう、と小珠は想像して少し笑った。

 ◆

「でっけえ……」

 狐の一族の屋敷を見上げて、からかさ小僧は圧倒されているようだった。無理もない。威圧感のある大きな門と、朱塗りの屋根。今では慣れたものだが、小珠も最初来た頃は、こんな立派な屋敷の中に入るのかと気が引けた。

「噂には聞いてたけど、やっぱでけーな」

 からかさ小僧がぴょんぴょん跳ねながら興味深そうに呟く。
 ゆっくりと自動で門が開き、その先に、ずらりと野狐たちが並んでいた。野狐たちが並んで作った道の向こう側に、立派な着物を着た空狐が立っている。

「ようこそお越しくださいました」

 空狐が近付いてくると、からかさ小僧はさっと青ざめ、頭を低くした。そのあまりの勢いのせいで頭の上に乗せていた菅笠が遠くに吹っ飛んでいく。

「こここここちらこそ恐悦至極に存じます」
「だ、大丈夫だよからかさ小僧。そんなに緊張しなくて」
「馬鹿野郎、あのお狐様たちだぞ!? 無礼なことをしたら一瞬で――」
「――〝馬鹿野郎〟?」

 空狐が美しい笑顔を貼り付けながら、低い声でからかさ小僧に問う。一瞬にして場の空気が冷えた気がした。

「今、貴方、小珠様に向かって〝馬鹿野郎〟と言いましたか?」
「ひぃいいいっ!! もっ、もっ、申し訳ございません!!」

 空狐の顔があまりに怖いので、慌ててからかさ小僧を庇うように前に立つ。

「空狐さん、からかさ小僧は友達なんです。今のはただの軽口ですよ」
「小珠様が良いのなら良いのですが。言葉には気を付けていただきたいですね」

 空狐の釘を刺すような言葉に、背後のからかさ小僧がぶるっと震えた気配がした。
 これは前途多難だ、と小珠は思う。狐の一族への印象を改めてもらうために呼んだのに、より怖がらせてしまっている気がする。
 その時、空狐の後ろからからんころんと下駄の音を立てながら、金狐と銀狐がやってきた。

「空狐はん、あかんやないですか。今回の主旨忘れはったんですか?」
「そうですよ。今日はからかさ小僧はんに目一杯楽しんでもろて、仲良くなりましょ~いう会やろ? 既にそない喧嘩腰でどないしますのん」

 金狐と銀狐の方が意外とからかさ小僧に対して友好的だ。

「ほな、からかさ小僧はん。付いてきてもろてええですか」

 銀狐が歩き始め、小珠と空狐もその後に続く。からかさ小僧も小珠の後ろをびくびくと身を低くしながら付いてきた。
 屋敷には玄関を上がってすぐ、訪問客を応接する間がある。小珠の部屋よりは少し狭い畳の間だ。
 部屋に入ると、外に青く輝く山が見えた。――おかしい、と気付く。向こうに山などないはずだ。誰かが幻影を見せているのだろう。しかし、幻影にしては本当にくっきりとしていて、まるで本物の山の景色のようだ。

「夏は外が蒸し暑く景色を楽しめませんでしょう。今宵はからかさ小僧さんにお楽しみいただけるよう、酒も用意してあります」

 空狐が合図すると、野狐、気狐たちが一斉にぞろぞろと列を作って部屋にやってきて、台の上に高級そうな酒と食事を置いていく。
 からかさ小僧は現実感がないようでぼうっと立ち尽くしてその様子を見ていた。

「北の遊び倒れ、東の着倒れ、西の食い倒れ、南の飲み倒れ――と言いますように、きつね町の南方は呑兵衛の地域だと聞いておりますので」
「の、呑兵衛て……」

 からかさ小僧が空狐の言い草に苦笑いする。
 小珠は夜の外出を禁じられているので夕方以降南へ向かったことはない。強いて言うなら、瑞狐祭りのあの夜くらいだ。
 しかし確かに、聞くところによると南の妖怪たちは酒が好物らしく、夜になると酒屋に集まって呑むことが多いらしい。実際からかさ小僧も、飲み過ぎて二日酔いになり市へ来なかった日があった。
 からかさ小僧の好みを考慮した面白い迎え方だ。小珠は内心、これを提案してくれた空狐に感謝した。

「食事の後は湯を用意してあります」
「お、おれ、桶持ってきてねえけど……」
「新しいものがありますので、お気になさらず。こちらにいる野狐たちがお体を清めてくださるでしょう」

 空狐が野狐たちを紹介するが、野狐たちはやはり無言だ。
 その愛想の無さを見て、からかさ小僧の表情が固まる。ただでさえ狐の一族が怖いというのに、無言の野狐たちと湯に向かうのは恐ろしいことだろう。喋らないのは野狐の性質だ。しかし、初めてであれば愛想がないと感じてもおかしくない。それに、野狐たちは背が高く威圧感もある。からかさ小僧一人では可哀想だと思った。

「からかさ小僧、私も一緒に入ろうか?」

 気を使ってそう提案した。しかし、小珠の発言により何故かぴしっと場の空気が張り詰める。
 変なことを言っただろうか、ときょろきょろと周りを見回す。隣の空狐は怖い顔をしていて、後ろの銀狐も心なしか顔が強張っている。金狐は無表情だ。

「小珠様、それはどういう意味でしょうか?」

 空狐がにこりと柔らかい笑みを浮かべて問うてくる。その声が何だか恐ろしく、ひゅっと息を吸った。

「からかさ小僧が緊張しないよう、私が一緒にいてあげた方がいいかと思い……」
「この者の眼前で衣服を脱ぐと?」

 何がいけなかったのか、必死に思考を巡らせる。そういえば小珠のいた村の湯屋とは違い、この屋敷では頑なに男女が湯に入る時間帯がずらされている。もしかすると、男と女は明確に分けるべきものなのかもしれない。

「すみません。まさかこのお屋敷で混浴がそれほどの禁忌だったとは思わず……私の村の湯屋では混浴が一般的だったので……」

 空狐の威圧感に負けて声が弱々しくなってしまう。

「禁忌というわけではないのですが」
「でも、よくないことでしたか」
「絶対に駄目です」
「では、やめておきます……」

 空狐が即答してきたので大人しく断念する。
 後ろで銀狐が何故かぶふっと噴き出すのを、空狐が軽く睨み付けていた。


次話:https://note.com/awaawaawayuki/n/n6572153adb19


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