276-277 読むタイミングが来た本を手にして

276. 眠れないことを考えて眠れなくなった夜

夜のうちに雨が降ったせいか、中庭の空気と音が地面近くに積もっているようだ。と、にわかにカモメの声が聞こえてくる。何羽ものカモメが一斉にガガガガガと声を強める。リビング側の通りからは時折トラムが通る音が聞こえてくるが、車の音はあまり聞こえない。日本のようにお盆休みというものがあるわけではないが、今はハーグの人たちは夏休みの期間なのだろう。向かいの家の一家は数日前から姿が見えない。しかし、庭には足場のようなものがかかっている。

昨晩は20時頃に一度ソファで寝てしまったせいか、22時すぎにベッドに入ってからなかなか寝付けなかった。毎度のことだが、寝付けないときというのは寝付けないことそのものではなくそれによって起こる心理状態をどうにかしたいという気持ちになる。寝付けなくてもただただそのまま横になっていればいいところを(小さい頃、横になるだけでも体が休まると親に言われたが本当だろうか)、「寝付けないなあ」と考え始める。考えたところで寝付けないのだが、だんだんと、焦りのようなものが募り出す。一日の中でまとめて睡眠をとる時間を21時以降に持ってきて気持ちよく眠るために日中の過ごし方のリズムを整えたいというのはここ数ヶ月思い続けていることかもしれない。睡眠に影響していることで思い当たるのは食と運動だ。夕方、明らかに集中力や思考力が低下するのは、自然なことと言えばそうなのかもしれないけれど、全体としてまだエネルギー不足な感がある。そして、一日の中で雨が降る日が続いているせいか、買い物や散歩などの外出もここ一週間(大学生と一緒に出歩いた時間を除けば)控えめになっている。このまま気温が低くなっていくことを考えると、家に篭りきりにならない工夫が必要だろう。歩いていける範囲に小さな図書館があるが、以前行ったときにトイレが見当たらず困ったことがあった。中心部にある大きな図書館もトイレは有料だ。有料なこと自体はオランダでは珍しくないが、トイレに行くたびに荷物を持って動かなければならないことは面倒だ。ヨーロッパの他の国に比べるとオランダはとても治安が良く、おそらく特にノート類などは置き放しても大丈夫なのだろうけれど。出不精なことに加えて、今の家がとても快適なので、よっぽどの用事がなければわざわざ外に出ないことを選んでしまう。しかし、散歩などで外に出ればそれはそれで気持ちがいい。身体の調子を整えるためには何かやろうという気が起こりやすいので、まずは身体の状態をウォッチし続けて、食や運動などの変数を動かしていき、自分にとってより良いバランスを選んでいくというのが良いだろう。

そういえば、昨日、二日ぶりに発声練習をしたら、すっかり声の通りが悪くなっていることに驚いた。声が通り抜ける身体側の質の問題なのかもしれないが、いずれにしろ声が身体の中を鈍く通っていく感じがした。粗大な粒にぶつかりながら声がなんとか外に出てくるという感じだ。出し続けていなければすぐに鈍くなってしまうことに驚くとともに、声というのは自分の内側の状態を教えてくれるものだということを改めて感じた。食と心、思考の影響が顕著に載って発せられ、それが聞く人の身体を振動させると思うと、声が届けるものと、届ける媒体としての声を整えるということは日々の中で優先事項が高いことだと感じる。今日は一日人と話す予定がなく、静かに自分のことに取り組む一日だが、まずは発声からはじめていくことにする。2019.8.14 Wed 8:52 Den Haag

277. 読むタイミングが来た本を手にして

家の中に気づけば暗闇が訪れていた。書斎の窓には、ポタポタと雨粒がぶつかってくる。書斎に来る前に、リビングでふと、眠れないのは玉露を飲んでいるためかもしれないと思った。先日日本からのお土産にもらったものが水出しにちょうどよくここのところ毎日ペットボトルに入れて飲んでいたのだが、よく考えるとなかなかの量のカフェインを含んでいるはずだ。水出しをすると玉露の甘みと旨みがしっかりと出て美味しいのでついつい一日中飲んでしまうが、自分の体質を考えると午前中までにしておいたほうがいいかもしれない。今日は15時頃にオーガニックスーパーに買い物に行き、そのときにレーズンパンを買って食べたことから夜になってもおなかがすかず、先ほどやっとレタスと豆腐にスモークした魚をのせてあたため、おろした生姜とヘンプオイルをかけたものを食した。内容としては重くはないが、時間が時間なので、今日もまた寝るのが少し遅くなるだろう。すぐには眠れないことが分かっているので、無理に布団に入らず、日記を書いたあとは文字の少ない本などを眺めて過ごしたい。こんなときに画集などがあればいいのだが、残念ながら我が家には写真集しかない。しかもそのうち2冊は『奇界遺産』という、世界の変わった場所を集めた写真集で、それを開くと、まだ見ぬ想像を超えた不思議な世界に興奮しますます眠れなくなってしまいそうだ。そういえばベッドサイドに置いてある写真集はこのところあまり開いていなかったのでちょうどいいかもしれない。本を開くとついつい、読み入ってしまうので悩ましい。

そんなことを考えながら目の前の書棚に目をやると、『平行植物』という本が目に入った。『スイミー』を描いたことで有名な絵本作家であるレオ・レオーニが書いた想像上の植物に関する植物図鑑は、以前、鎌倉にある古書店の店主がお薦めしてくれたものだ。ページをめくると、「植物である前にことばであった植物たち」というレオ・レオーニの言葉が視線を捕まえた。欧州まで大事に持ってきたもののまだ読んでいなかったが、この本を読むときが近づいているのかもしれない。それにしても、植物の生態系を創造するというのはどういう動機からなのだろうか。

この世界を味わうとともに、レオ・レオーニが考えたことや過ごした時間なども感じてみたいという気持ちになったときころで、巻頭の紹介を開くと、なんとレオ・レオーニはオランダのアムステルダム生まれと書いてある! 14歳でイタリアに渡ったということだが、まさかこの『平行植物』を買ったときには、自分が作者の生まれたオランダの地でこの本を再び開くことになるとは夢にも思わなかった。何か今、偶然のような必然のような、不思議な宇宙の光を感じている。これはきっと、本当に、今が読み時なのだろう。しかし、いつ読もうか悩ましい。今週はインプットはできるだけ控えて自分の中でまだ言葉になっていないものを言葉にしていくことに取り組もうと考えていた。今週、打ち合わせなどが少ない分、来週は普段に比べると予定が多く入っている。少なくとも明日は午前中からセッションがあるため、今日寝るのがあまり遅くなるわけにはいかないし、今週、やっておきたいことである程度時間がかかりそうなこともある。しかしきっと、今なのだろう。この、小説でもなく、実用書でもない「創造上の植物に関する体系の説明」を読む目的も、その結果手に入るものも分からないが、読書とは本来そういうものなのかもしれない。未知の世界に飛び込み、そこに吹く風に身を委ねる体験こそが、今オランダで行うべきことなのかもしれない。「興奮さめやらぬ脳を落ち着けるため」という理由をつけて、このあと少しだけ冒頭の部分を読み、できれば終日予定の入っていない金曜か日曜に、海の近くにでも出かけてこの本を読み進めたい。「寝る前にゆったりと眺めるにはどの本がいいだろう」と思っていたところから思わぬ道が見つかった。ここのところ自分を整えることに重きを置いているが、それは感性を発揮するためであり、これだと思ったものを思考で判断して先送りしてしまっては元も子もない。と、いろいろなことを自分に言い聞かせつつ、理由なき欲求と喜びを満たすことに少しでも浸りたい。2019.8.14 Wed 22:34


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