映画「エンドレス・ポエトリー」覚書

現在、アップリンク渋谷にて公開中のアレハンドロ・ホドロフスキー監督の映画「エンドレス・ポエトリー」を観てきたので、その覚書。

監督であるホドロフスキー自身の半生を綴っていくようなこの映画は、前作「リアリティのダンス」から続き、今回は少年から青年へと成長したホドロフスキーが、当時のチリで出会った詩人やアーティスト、多くの芸術家との交流を、ときに青春映画のような熱っぽさで、ときに虚実綯交ぜのマジック・リアリズム的手法で持って語っていく。87歳とは思えない年齢の若さを感じさせるエネルギッシュな映像の迫力には「生きろ、生きろ」と劇中で訴えかけるホドロフスキーの、世界への祝福ともいえる迸る生命力がスクリーンの端々から伝わる。

私はホドロフスキー作品のそれほど熱心なファンとは言えず、過去作も『エル・トポ』しか観ていない。こちらの作品は公開当時、そのあまりのアヴァンギャルドと難解さゆえ観客動員が伸び悩んでいたところ、徐々に口コミで話題が広がり、ついにはアンディ・ウォーホルやミック・ジャガー、ジョン・レノン等多くの著名なアーティスト達から賞賛を浴びた作品となった。作品の内容としては西部劇の体裁を取りながらも、その枠をシニカルな視点でもって解体していき、映画のおきまりの文法や作法を壊していく。やがては宗教的、神話的なメタファーを纏いながら東洋的な神秘思想へと収束していった気がする(記憶が曖昧である)。いったいどんな内容だったかといえば一言では語りきれないような複雑さを感じたのを覚えている。

それに比べれば今回の『エンドレス・ポエトリー』は随分と観やすい印象を受けた。筋書きがそもそも主人公である少年が青年へと移り変わっていく成長譚をベースとしているからであろう。芸術家としての大いなる飛躍を遂げていく姿と、その裏でいつまでも振り払うことができない父親という存在からの逃避が、陰と陽のように隣り合わせに描かれている。時より画面の端に現れる黒子の存在などは、篠田正浩監督の『心中天網島』を思い出した。

主に新作映画についてのレビューを書いています。