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多摩北部5市美術家展

「多摩北部5市美術家展」が開催されていたので行ってきた。

 入場無料なので行ってきた。

 自転車ですぐだ。

 天気もいい。

 名も知れない、しかも現在活躍中の美術家の作品というのはどういうものだろうとの興味があった。展示数は多くなく、一作家につき一作品なので、「多摩北部5市」と地域だけで括られても作品そのものに全体として地域性があるわけでもないので(もちろん中には地域性のある作品もあるが)、美術展としては散漫な印象を受けた。逆に言うと、それぞれの作家が様々な画風で絵を描いているということでもある。抽象画があったり、ポロック風の絵があったり、版画があったり、日本画があったりと多彩である(美術の知識に富んでいればもっと楽しめたのかもしれないが)。

 先述のように一作家につき一作品なので、その作家の作家性を追うという見方が出来ず、単発での絵の評価にならざるをえないうえ、背景知識もないから、ファーストインプレッションを頼みに鑑賞するよりほかにやりようがない。
 
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 そういう制約の上で、やはり自分は具体的な表現を嫌う傾向にあるように思う。
 あくまでも個人的な好みの話だが、例えば淡い色調に鳥が羽を広げて天に向かって飛び立つような絵に「希望」と題されている。これなどはよろしくない。タイトルとそれを象徴する絵画のモチーフ・雰囲気との関係が、ほとんど図式的言えるほど分かり易く、想像を喚起するところがない。

 例えば「渡る風」と題された抽象的な作品は、淡い水色の色彩のなかにかすれたような横のラインが走り、その奥にごく控え目に斜めの青い色彩が隠されている。これなどは、風が渡る様子を、例えば木々の葉や水の波紋に仮託して描くのではなく、それそのものとして抽象的に表現した感があり面白い(そこに草むらや水面を見出すことも可能ではあるが)。画面自体もリズミカルで美しい。象徴的なタイトルが付けられていながら、その結びつきには作家独自の感性が差しはさまれており、想像を喚起される。
 
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 具体的な表現を嫌うと前記したものの、「ヴェネチア風景」と題された、まさにヴェネチアの風景をありありと精彩に描いた作品にもやはり良さを覚える。ありのままがただ精彩に描かれたという印象のその絵画は、どちらかというと冷たく厳然とした印象さえ受けるが、情動性が欠けているところに作家自身のストイシズムが感じられて良い。

 また、「花水木と花壇の町、清瀬市宮ノ台地区」と題された絵画はまさしく花水木の街路樹が並ぶ、何の変哲もないと言ってもよい町の通りの風景を描写したものだが、恐らく作家本人の意図とは無関係に、町のその「何の変哲もなさ」に覚える無気味さ、のようなものが感じられて良い。
 
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 自分が嫌うのは、具体性というよりも、「具体的な象徴性」と言うべきだろう。抽象的な表現であっても、結局は何かを抜き出して象徴しているのだから、その象徴自体が安易であれば想像の余地がなくなってしまう。

 今回ちょっとわからなかったのは、暗色の背景にオータムカラーの縦長の長方形がいくつも描かれた抽象的な画なのだが、タイトルに「日々我慢(2022年)」とある。これは画面を何かしら象徴するタイトルなのか、それともまったく無関係なタイトルなのか、判断がつかない。とはいえ、窓枠らしき形象が見えるところからすると、そこに託けてこの絵を象徴的に見られないことはない(例えば生活の場を抽象的に表現したものとして)。この疑念が鑑賞の興を殺いだところはある(あるいは単純に美観に欠けているように感じられただけなのかもしれないが)。
 
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 最も気に入った作品は「L02-19」と題された版画で、黒色だけで表現された「不定形の何か」が画面にのたくっている(サムネ画像はその一部)。水にたゆたう薄手のポリ袋……いや、言葉で例えてしまうとイメージの固着によって絵の良さが殺がれてしまいそうだ。題名も画面も、理解を拒絶しているところが潔い。少なくとも、題名か画面のどちらかによって意味的にわかりよく開示されている(つまり多少のおもねりのある)他の多くの作品に比べると、際立ってよい。この絵画に関しては、「何かを表現したもの」ではなく、それ自体を美的対象として描かれているものとして受け取ることができる。その直接性がなによりも美的である。
 
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 入り口で署名を求められるとともに、図録を手渡された。
 結構立派な図録だ。

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