見出し画像

山の茶屋

 茶屋があると言われる山がある。この山の付近に住まう者や、この山の付近を通りがかった者がときおり話をするのだが、その茶屋がどこにあり、誰が切り盛りしているのかといったことははたと分からぬままである。ある者は山の山頂近くの、峰に張り出した松のある辺りだと言った。またある者は山の中腹の、ブナの林の辺りだと言った。南側の日当たりのよい斜面の、最近木が切られてよく蕨の生える辺りで春に見たと言う者もあったし、北側の、大きな杉の茂る湿っぽくて静かな谷合の森のなかで夏に見たと言う者もあった。しかし同じところへ行っても二度巡り合うことはなかった。二度以上訪れたという者もなかった。また、二人以上連れだって茶屋を訪れた例もなかった。
 茶屋を見たという者の話を以下に記す。

 特別天気のよい、風のない一日。なにというでもなく山の中を歩いていた。木々の合間から漏れる光が地に映す模様をそれとなく眺めながら歩いていると、妙に辺りが静まり返った。左から右へゆっくりと黒揚羽が飛び、右のほうで鳥が、間延びしたようにさえずった。これまで幾度となく見てきた森の景色が、音が、匂いがすべて鮮明に感じられた。顔を上げるとそこには、当たり前のように茶屋があった。立派な茅葺の東屋で、真ん中に据えられた茶釜が沸いて音を立てている。女がいた、店主だろう。顔を思い出そうとすると不思議と形を結ばないが、美しいことだけは覚えている。当たり前のように腰を掛けた、当然そうすべきであるように。すぐに、これも当たり前のように茶と、羊羹が出された。どちらも、この世のものとは思えぬほどうまかった。茶も水とさほど変わらぬただの飲み物だろうとこれまで思っていたが、この茶は他のどんな茶とも違った。羊羹は沁み入るような甘みがあった。飲み、食べ終えてから席を立った。そして真っ直ぐ、特に当てもなく、三間ほど歩いただろうか、振り返ると茶屋はなかった。これもまた当たり前のような気がした。そして山を下りたが、あの日以降、見るものみなが薄絹を一枚はがしたように鮮明になり、また喜ばしいものになった。普段の茶の味も格段に良くなった。舌そのものがよくなったのかもしれない。

 山で薪を拾っていたのだが、暑くて暑くて嫌になった。こんなに暑い日に煮炊きなどできるものかと思って、拾った薪も全部捨てた。その日は一日食わずに過ごそうと決め、尾根伝いから谷合のほうへ出鱈目に降りていった、ともあれ涼をとりたかった。そうしてたどりついた沢の水を飲んだりしながら、特になにをするでもなく歩いていた。急いで家へ帰るよりも谷合の沢をぶらついているほうがよっぽど涼しかった。特別取って食おうというわけでもなく、蟹やら椒魚(ルビ:はじかみうお)やらを探して遊んでいた、そんなことは子どもの時分以来、久しくしていないと思った。しばらく夢中になり、ふと顔を上げると、森の色が不思議と目に沁みて感じられた。光に透ける木の葉の一枚一枚が、それぞれ別々の色を持っているように見えた。万華鏡のように見えた。立ち上がると眩暈がしたが、そのまま沢伝いに歩き続けると、茶屋があった。沢をまたぐように設えてある東屋で、壁のない骨組みに葛の蔦が絡まって、これが天井をなしていた。花の甘い匂いが満ちていた。柱の木は鉋を掛けてすぐのように色白できらめいて見えた。ちょうど足先を沢水に浸せるように床が切ってあって、そこに足を入れるようにして坐った。坐ってすぐに茶が出た。それと葛餅。茶は、淹れた後沢水で冷やしたのだろう、冷たかった。冷たいのだがとても濃く、一口含むごと、呑みこむのが惜しいほどの滋味があった。葛餅は口の中で霞のように溶けてなくなり、後にはほのかな甘さが残った。森を茫然と眺めたまま、気の向くまま茶をすすり、葛餅を食った。うまかった、礼を言おうと思ったが、店主の姿は見えなかった。それで立ち上がって、店を出て、しばらくして振り向いてみたが茶屋は無くなっていた。もとから無かったかのように無くなっていた。同じような手順であの茶屋にまた行こうと思い、毎年の夏試してみるが、やはり二度とはめぐり合わない。

 昔から山菜を取るのによく入る山だった。その年は特に不作で、当たりをつけた場所のおおかたを巡り終えたが満足のいく収穫がなかった。これまであまり足を踏み入れたことのない場所まで行ってみようと思って、とりあえずと山を登っていくうちに、これほど親しんだこの山のてっぺんまで登ったことのないのに思い至ってよし登ってみるかという気になった。お天道様はもう傾きかけていたし、これから登るとなると山のなかで夜を明かすことになるのもわかっていたのだが、それはそれで面倒くさいことになるとも思ってはいたのだが、なぜだか引き返す気にはならなかった。尾根へ出ると、向こう山が夕日に照らされて燃えるように光っているのが見えた。ずいぶん高いところまできたと思った。松の木の肌も真っ赤に燃えていた。真っ赤に燃える松の木の合間に、茶屋があった。柱と梁にすだれを掛けただけの簡単な作りだが、茶屋だとわかった。そしてそこは山のてっぺんだという感じがした。茶屋のうわさは聞いていたし、聞くたびに常々うらやましい思いをしたものだったが、この時はなぜかそこに茶屋があるのが当たり前のような気がした。だから当たり前のように入った。すだれの向こうに見えていた人影は女だった、顔は思い出せないが美しかった。縁台に坐るとちょうど、向こうの山並みに陽が落ちようとするところだった。空がぼんやり虹色に暮れていった。茶を飲み、何かの葉にくるまれた餅を食べたが、すばらしく美味かったことのほかはよく覚えていない。ともあれ景色を眺めながら、ぼうっと茶を飲んでいるうちに日が暮れ、星が出始めた。立ち上がり、なんの未練もなく店を出、少し歩いてから振り返ると案の定、茶屋はもうなかった。あっという間に夜が来て、星月のわずかな明かりのほかは何も頼るものがなかったが、なぜだか行くべき道がわかった。初めて来た場所で、夜でもあり、足元もおぼつかないのではあるが、ともあれ下ってゆくと夜も明けぬうちに家に着いた。

 どうにかして茶屋に至りつきたいと望む者が、これらの話をもとに山中を探しまわったことが何度もある。大店の主人が大勢の人を雇って下から上までしらみつぶしに探したこともあるが、いずれにしても発見には至らなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?