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心頭滅却メソッド

「心頭滅却」という言葉がある。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」が略されて四字熟語になった。

どんな苦痛であっても、心の持ち方次第でしのげるという教え。
無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるということから。

無念無想の境地がいかなるものか、私は昇天しかしたことがないのでわからんが、
涼しいというのはちょっと強がりだと思う。
おそらく偉い人がプライドを保つために、盛り気味で言っちゃったのだろう。

そもそも、心頭を滅却してしまっているのに、
火を涼しく感じてしまっているではないか。
その時点で心頭を滅却できていない。

現代風に言えば
心頭を滅却すれば、車に轢かれたら体の調子よくなった。である。
心頭を滅却すれば、車に轢かれても平気。ではいけない。

火というものは熱いものだが、「火もまた涼し」はつまり逆の効果を生んでいる。
熱風ではなく涼風になってしまっているということだ。

これは面白くなってきた。

感じなければ、本来は悪いことが、良いことに変わるというメソッド。

心頭を滅却すれば、雷に打たれてもまた直毛。
心頭を滅却すれば、ディスられてもまたラップネタ。
心頭を滅却すれば、ポテトチップスもまた野菜。

どんな苦痛であっても、心の持ち方次第でしのげるという教え。
意味と言葉があっていないのである。
しのげるどころか、涼しくて快適なのだ。

つまり心頭滅却メソッドとセンクスメソッドを掛け合わせれば、
心頭を滅却するなんてノーセンクスであり、
性欲滅却童貞ボーイはノーセックスなのである。
顔射法人いや感謝法人センクス教には、
心頭滅却は全然必要じゃないことがわかった。

あざす。

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