見出し画像

削ぎ落とす→あふれさせる

思えば、ひたすらやってきたのは

「削ぎ落とす」

だったなぁ。

今年の振り返りでもあり、ここ数年の自分が取り組んだこと。
背負ってしまったよけいなもの。
常識とか思い込みとか正解とか普通とか、そういう自分ではなかったもの色々。

そうそう、削ぎ落とした。
そう改めて気がついた時にふと、思い出した。

まだまだ、自分ではない者になろうと苦しんでいた時、とあるかたに言われたこと。

「削ぎ落とせ」

余計なものを削ぎ落として。
修験者みたいに俗世から離れて。
そんなことを言われていた。

当時、私にはその意味がわからなかったけれど、何年もかけて、やっとなんとかやれたんじゃないかなぁ。と思ってる。

きっと、常識にしばられて、自分ではない者になろうとしている人は、それなりにいるんだと思う。
だけど、私が厄介だったのは、私は自分の個性を最大限発揮していると思い込んで疑ってすらいなかったこと。
まだ、誰かの言うなりになって渋々従っている自覚がある方がよほど分かりやすい。
私にはそんな自覚すらなく、自ら喜んで外側の価値観の奴隷になっていたんだ。

そりゃあ、進撃の巨人が好きだよね。
自分が本当は何をしていたのかを、あんなに教えてくれているのだもの。

マーレのレベリオ収容区にいるエルディア人は、わかりやすく腕章をつけさせられて蔑まれて自由がないって自覚がある。
パラディ島のエルディア人は、一見すごく自由なんだけどでも、高い壁に囲まれて生きている。
気が付きにくくて分かりにくのは、パラディ島の方だ。

巨人のうなじを削ぎ落として、巨人から解放されるように、びっくりするようないろんなものを削ぎ落とした。


自分ではないものを削ぎ落としたら、次はなんだろうと考えた。
外側についていたものを落としたら、蓋されていたところが開いて内側から自分があふれてくる。
今までも、蓋の隙間からあふれだしていたけれど(笑)蓋が開いたらあふれる量がそんなもんじゃなくなるだろう。


来年の抱負は、あふれさせる。

私はこのことを、心の中の光の箱が開いた、と表現する。

きっと、光の箱の蓋が外側の何かでふさがれてしまっている人たちに、その蓋の開き方を伝えにいくのだろう。

その箱の蓋は、自分自身じゃないと開けない。

だから、まずはそんな箱があることから、伝えに行こう。


飾らない私

この記事が参加している募集

自己紹介