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場面緘黙症と家族のつながりについて考える

こんにちは、あやはる です。

私は生まれつき〜高校生まで場面緘黙症というのを持っていました。

今は職場の人含めて誰とでも話せるようになりましたが、過去のトラウマもあってやや生きづらさを抱えています。

さて、今回は場面緘黙症×家族について自分の思うことをお話ししたいと思います。

20年前はまだ場面緘黙は当事者向けでしかなかった

私が場面緘黙症を知った、およそ20年前はまだ当事者の人が自分は場面緘黙症かもしれないという発信がほとんどでした。

私も場面緘黙症の当事者の人が作ったサイトがきっかけで知った人間です。

性格的な部分もあってあまり交流をとることはできませんでしたが、日記(今でいうブログ)を読んで共感できることが多かったです。

そして現在は親の会が多いようなそんな気がする

今、場面緘黙症のオフ会というか交流会を見てみると当事者向けよりも場面緘黙症の子供を持つ親向けの会が多いなと感じてしまいます。

昨年、場面緘黙症の中では規模が大きい「かんもくネット」さんのお話会というのに初めて参加しました。

その中で当事者としての参加は私一人。

他は場面緘黙を持つお子さんの親御さんばかりでした。

その中でスピーチという名の自分の場面緘黙症についての話をしました。(未診断だから大丈夫かなと思ったのですが何とか選ばれました。)

あれから1年経って思うことですが、やはり親御さん側の話も聞くべきだったなと思っています。

失礼なことかもしれませんが、自分の番が終わった後ほっとしたこともあり軽く聞いていたと言った感じです。

ただ、やはり親の会とかを聞いて思うのですがこう言った親に支えられている場面緘黙症のお子さんは恵まれているなと感じます。

うちの親の場合

そして私の親についてですが、当然のごとく場面緘黙症というキーワードは知りません。(発達障害は知っているみたいですが…)

うちの親は、父サラリーマン母専業主婦という一般的な家庭です。

ここを見ている人はある程度場面緘黙症の知識がある人ばかりだと思うので言っておきますが家では本当に普通の女の子という形で過ごしていました。

だから、親も自分の子供が学校でいじめというか嫌がらせにあっていることは教師から言われるまでわからなかったと思います。

「ちゃんと嫌なことは嫌と言わないとダメだよ」
「ちゃんと先生の言うことは聞かないとダメだよ」

と言った感じで、まるで私が話さないからダメだと言う感じに見られていました。

おまけに父親はブラック企業で働いていて毎日ストレス貯めて帰ってくるのでDVではないけど母に八つ当たりをし

「私がこうなったのは、母親であるお前の育て方が悪いんだ!」

と言われる始末でした。

たまに母親に声をかけると

「あんたのせいだからね」

と言われてしまい、それから自分は「辛い」ということを親に言いづらくなってしまいました。

この中で一番身に付いたのは我慢と言うことかなと思います。

もし、親のサポートを受けることが出来たのなら…

私の義務教育は平成初期から始まったので、あの当時は場面緘黙症はもちろんのことうつ病や精神疾患にも理解がない人が多かった部分もあるので仕方がないと言えば仕方がないと思います。

親だって、五体満足に生きているにもかかわらず何が不満なんだと言うような昭和の考えを持っていたし自分の子供が障害者にするのは抵抗があったのかなと思います。

しかしながら、あの頃もし運よく場面緘黙症に詳しい専門家の人がいたら、児童精神学・発達学に詳しいドクターに巡り合っていたらきっと自分はもっと生きやすく過ごしていたのかなと思います。

ただ、私は自分で場面緘黙症を克服したという自負があります。

今、何かしらの支援を受けている子供たちもいずれは親から離れていかないといけない時期がきます。

わかっていることかもしれませんが、ご家族の皆さんはお子さんの将来を考えつつ徐々に独り立ちさせることも考えていかないといけないんじゃないかなと思います。

独身かつ子なしの自分が言うのもあれですが、かつて自分が子供から大人に成長する過程で感じたことではありますけどね。

そのほかにも、場面緘黙症の記事を書いていますのでよかったら読んでいただけるとうれしいです。

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