見出し画像

怒りを出せ

この間、おうたのレッスンで、

言いたいのに表現しえていない怒りを
扱った。

わたしは怒りについて、思い切り表現できない。
嫌だ、と思ってしまう。

からだが拒絶する。

だからこそ嫌だけど表現してみる、
というそれはチャレンジだった。

思えば、

自分が怒りを表現してしまったら家族は壊れる、
と思っていた時期があった。

我が家はかつて、パパもママも弟も怒りを表現していた。
怒りというかもう暴力ね。

だから怒りを感情で表現することを自分に禁じるのは
家族の調和を取るために選んだサバイバルな手段だった。

でも今はもうその必要はない。

むしろしっかり表現しなければならないところで
ちゃんとできないゆえに起きる現象に対応したい。

でも、無意識にからだはまだ嫌がるのであった。
なぜなら本気で怒るとわたしめちゃくちゃ怖いと
自分で識ってるからだ。

でも、やってみるチャレンジ。

なんでもそうだけど、
できないときは見本をマネするところから。

というわけで、
先生が全身全霊でやって見せてくれた。

ゴリラの威嚇みたいなやつ。

マネしたけど本気になれなかった。

何度もなんどもトライして、
その挙句に絞るような声で、

自分の怒りが顔を覗かせた。それは静かに深い声だった。

本当に怒っている相手に対してその声を届けることはない。
届けないと決めているから。

ただ、わたしはある振る舞いにとても傷ついていたし、
おそらく、袖が触れ合っている間はこれからも
相手との間で無自覚に繰り返されることとは思う。

そんなときに、こうやって表現できる場、
聴いてもらえる場があるってすごいことだ。

ひとしきりそのワークをやった後、
わたしは自分に対しての理解がひとつ深まったの。

声に出して伝えられなかったから書き出したってことを。
自分として表現できなかったから芝居で演じ始めたのを。

うたい始めたのは、自分として声に出して表現するときが
きたからなのかもしれない。

ちなみに、感情の赴くまま相手に怒りを投げつけるのと
表現として怒るというのはぜんぜん違うことなのですよ。

エネルギーとして放出はするけど、誰も傷つけない。
その健やかさよ。

あ、なんでおうたのレッスンでこんなワークするかって?
なんでだろうね?

よくわかんないけれど、わたしは単にきれいなだけの声、
そういうものよりも、

もっといろんな表情が詰まったゆたかさを鳴らしたい。













読んでくださって嬉しいです。 ありがとー❤️