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お金持ちのあの人と、貧乏だったわたし。

毎週バイト先のお店に来てくれる、あるお客様がいます。
その方は生まれながらのお金持ちで、
親の七光りではなく、自分の実力でもお金持ちになった人でした。

対して私は、物心着く前から家を出る18歳まで、
ずっと団地住まいの貧乏娘。
親にかかる負担が気の毒で、自動車学校にも行けなかった女でした。

あまりにも境遇が異なる私たち。
そして会話をしながら浮かんだ、3つの疑問。

"お金持ちであることは、幸せなのか?"
"貧乏であることは、不幸なのか?"
"本当の幸せとは?"

彼と話をする中で変わっていった、自らの価値観。
自分の所感ベースではありますが、書いてみます。

彼と私の出会い

「おっ、新しい子が入ったんだね」
私を見るなり、彼は唐突に言いました。

「そうなんです、私の姪っ子で」
女将である叔母は、嬉しそうに、その方に私を紹介しました。

"優しそうなおじさま"
私が彼に感じた第一印象でした。

その後、大将である叔父から、
『彼は生まれながらのお金持ちであり、
 自らの力でもお金持ちになっている』
と、紹介してもらいました。

私とは、あまりにも境遇が違う方。
人の持つ価値観や考えは、生まれ育つ環境によるものが大きいだろう。
そう思い込んでいた私は、
『あの方とは、あまり親しくなれないかもしれない』
と、大将からの紹介を聞いて、思ったのでした。

私の境遇について

1. とても平等に生きた、幼少期

引用元:pixabay

私は幼少期、自分の周りにいる同級生達と、同じように過ごしてきました。
誕生日には、親からケーキやプレゼントをもらえましたし、
クリスマスにはサンタさんも来てくれました。

そのため、特に自分が"貧乏"だと意識したことはありませんでした。
貧乏の意識はありませんでしたが、今思い返すと、
母はかなりの節約家で、いつも「うちはお金がない」とぼやいていました。

私は冒頭で話した通り、ずっと団地住まいでしたが、
特に差別されることもありませんでした。
むしろ、友達は多い方で、基本的に一人になることは無かったです。
しかし、同じ団地に住んでいたBちゃんは、他の人に嫌われていました。

「Bちゃんと遊ぶと、お金を取られるよ」
「Bちゃんを家に呼んだら、物がなくなるの。呼んだらだめだよ」

そんな風に誰かが噂していたのを、耳にしていました。
そのため、Bちゃんは基本的にいつも一人で遊んでいました。

私も、Bちゃんのように、周りから孤立してしまう可能性は
十分あると、幼心には思っていました。
それでも孤立しなかったのは、
恐らく、母の人徳の高さと、
自分自身、子供ながらに気遣いばかりしていた、
少し気弱な性格だったからだろうと、今になっては思います。

2. 時折突きつけられた、"貧乏"という実感

それでも時折、貧乏ゆえの現実を突きつけられました。
例えば、おやつ。

『仲良しのMちゃんの家は毎日、お母さんがおやつを用意している。
 うちはまともにおやつが出たことすらないし、
 家にあるお菓子は勝手に食べてはいけないと怒られる…。
 おやつが毎日食べられるのって、いいなぁ』

我が家にもお菓子自体はありました。
しかし、お菓子があったのは、
水子供養や、先祖供養のお供え物のためでした。
ゆえに、勝手に食べることを禁止されていました。

次に、着ているお洋服。

『仲良しのSちゃんは、いつもブランドの服を着ている。
 メゾピアノの服を買ってもらう度に、周りに自慢してくる。
 どうして私は、お洋服を買ってもらえないんだろう』

私は、ブランド物はおろか、基本的には、
近所のお姉さんや、知り合いのお姉さんといった、
誰かしらのお下がりを着ていました。
ごく稀に自分の服を買ってもらえていましたが、本当に稀でした。
お下がりも嬉しかったのですが、
自分の為に服を買ってもらうというその行為自体が、
とても羨ましいものでした。

そして、旅行。

『クラスメイトのOくんも、Uちゃんも、遠くへ旅行したことがあるみたい。
 思い出に残るような遠くへの旅行って、した事ないなぁ。
 USJやディズニーランド、いいなぁ。行ってみたい』

私が幼少期に旅行した思い出は、まだ幼稚園の頃。
2002年、FIFAワールドカップ(日韓ワールドカップ)のチケットと、
帝国ホテルへの宿泊券が同時に当たったミラクルが起きた時だけです。
大人になった今思うと、十分凄い旅行内容なのですが、
如何せん、まだ物心もついたばかりのような年齢の頃です。

スタジアムで盛り上がる大人達の歓声が怖くて泣いていたことと、
電車の中で、迷子になった時のために住所を覚えさせられたこと、
帝国ホテルの豪華なシャンデリアと、ホテル近くのお店で、
人生初めてのポトフを食べたことぐらいしか思い出がありません。

楽しかった、また行きたい!と思えるような思い出がなかったことは、
幼少期の私にとっては少し残念に感じたのでした。

しかし、こういった"残念"だとか"小さな妬み"は
積み重なっていると感じていたものの、
貧乏であるという現実は、この時の自分にとっては、
そう大きな問題ではありませんでした。

3. 母からのカミングアウト

『あのね、うちは借金があるの。…』

高校生ぐらいだったと思います。
母から具体的な借金の額をカミングアウトされた時、衝撃が走りました。

小学生の頃から、親が借金していたことは知っていました。
しかし、具体的な額を聞かされていたわけではなく、
親が焦る様子も見たことがなかったため、
大したことはないのだろう、ぐらいに思っていました。

しかし、実際は遥かに予想を超える、借金の額。
使用用途は、父の博打や嗜好品、そして車の購入時の費用。
それらは、金融機関に借りたお金や、父方の祖父から借りたお金を元に、
支払われたものでした。
具体的な値段は伏せますが、それなりに年収のある家庭であったとしても、
返済に5年はかかるぐらいの金額です。

私の父は、当時、造船所で働いていました。
3Kと呼ばれる、辛い労働の代表のような職場です。
父は平社員でしたし、年収も、一般的な家庭よりは低いです。
返済に、少なくとも10年はかかることは、子供の私でも分かりました。

その時に、「あ、うちって本当に貧乏なんだ」と、
本当の意味で実感しました。

そして、それは長女であった私の心に、
さまざまなブレーキを踏ませる要因となりました。

4. 未来への選択肢が消えていった、思春期

引用元:pixabay

私は思います。
"貧乏"とは、呪いの言葉であると。
特に、長女の私にとっては、最大限の呪いでした。

「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」
「お姉ちゃんなんだから、下の兄弟達を優先しなさい」

"お姉ちゃん"であることを、何度も恨めしく思うほど、
私は長女として、厳しく躾けられてきました。

そのため、思春期の頃には、
『自分よりも下の兄弟達を大事にしないといけない』
という思いが、潜在的に刷り込まれました。
その結果、他人はおろか、家族にもまともに甘えることが出来ない人間になりました。

それに加え、貧乏でお金がないときたものです。
小学生の頃の夢は、教師になることで、
当時の親友とは、一緒の大学に行こうね、と約束していました。

高校生の時に、オープンキャンパスに参加したときは、
大学生って素敵だなぁ、憧れるとも思いました。
しかし、大学に行くという選択肢は、
貧乏であることの自覚が芽生えたとき、自然と消えました。
何より、私には届かない未来だと、勝手に思い込んでいました。

そういった訳で、
同じ中学校の同級生の、8割が地元の進学校に行ったところ、
私は商業高校に進路を決めました。

また、卒業間近の自動車学校に通い出す頃は、
『私は将来的に福岡の企業に就職したいから、免許なんて必要ない』
と親に伝え、自動車学校に行くことも諦めました。

本当は免許を取りたかったのですが、
『まとまったお金は自分の家で出すのは厳しいだろうし、
 2歳下の妹も県内の就職を考えている。
 県内で就職するのに車は必須だから、妹を優先して貰えばいい』
と、そう思ったからでした。

進路は、大学に行くお金もないし、
高校卒業後はすぐに就職するだろうと思っていました。

しかし、そこに関しては、当時の担任の教師に
「奨学金を借りることができれば、専門学校に行くことができる。
 お金がないからと学校に通わない未来を選ぶのは、勿体ないよ」
と、言われました。

『確かに、それなら親に迷惑をかけずに学ぶことができるかもしれない』
担任の言葉を聞いた私はそう思い、親に相談しました。
そして、奨学金を借りることと、バイトで働くことの二つを条件に、
情報の専門学校に行くことになりました。

一般的な家庭であれば、親御さんが進学のお金を出したと思います。
けれど、私は親の負担になることを恐れ、
お金の援助の一切を、頼ることが出来ませんでした。

5. 自分で切り拓いた未来

"専門的なスキルは、自分の武器になる"
"大学に行ってなくても、スキルのある人間は重宝される"
"資格という武器を持て"

それらが、私が通っていた専門学校の謳い文句でした。

情報系の専門学校で、電車で片道1時間半の長い長い道のりを、
毎朝5時半には起きて、駅まで自転車を漕ぎ、学校に通っていました。

土日はアルバイト、平日は勉強漬け。
今思い出しても、よく二年間そんな生活を続けたなぁと、
自分でも感心してしまいます。
決して楽ではなかったですが、毎日を楽しく、有意義に過ごしました。
その背景には、当時恋人だった、主人の精神的な支えもあります。

そして、奨学金を背負いながらも、専門学校に通った結果として、
私は"国家資格"という武器と、
"情報処理専門士の称号"という自信を得ました。

その後は主人と共に上京し、都内のIT企業に就職しました。
お給料は決して高くはありませんでしたが、父の年収はすぐに超えました。

『自分の未来は、自分で切り拓く。
 自分の未来の子供には、貧乏という呪いをかけないように』

そう思いながら、働いた6年間でした。

6. 現在のわたし

大層な大義を掲げて働いていたものの、
途中で頑張りすぎてしまい、病気がちになり、
将来的に頑張る未来が見えなくなってしまったわたし。

結婚を機に仕事を辞め、地元の大分に戻り、
叔母の経営する日本料理店で働くことになりました。
その傍ら、WEBライターになろうと奮闘中です。

そして、そんな時に出会ったのが、
冒頭でお話しした、私とは真反対の境遇の、
お金持ちのお客様でした。

私に興味を持ってくれる、お客様

「君は、仕事はここだけで働いているのかい?」
「昼間は何をしているの?」

まだ数える程しか会っていませんが、
その方との会話はいつも、私に対する質問から始まります。
質問が生まれるということは、
私に興味を持ってくださっているということ。

「ご主人は何をしているの?」そう聞かれた問いに対して、
「システムエンジニアをしています。
 本社は東京のままで、リモートワークを許可されているので、
 自宅で仕事をしています」と答えると、
「へぇ、自由な働き方だね! いいねぇ」と、
目を輝かせて頷いてくれます。

その少年のような、あまりにも無邪気な反応に、私は驚きました。
私に興味を持ってくれていることが、嘘ではないこと、
見下すような素振りは一切なく、私の話を丁寧に聞いてくれることに。

なんとなく、お金持ちの方に自分たちの生活を晒したら、
「大変そうだね」だとか、
「もっとお金持ちの人と結婚したらいいのに」だとか、
そういった、少し見下した態度が返ってくるのではないか。
何となく卑屈に、そのように考えていたところがありました。
しかし実際は、私のその考えの方が偏見でした。

その方が非常にレアな存在であることも否定できませんが、
私や、私の家族の生活に対して、
そのお客様は、素直な感情で「いいね」と仰ってくださいました。

自分の今までの貧しさも含め、
全てを肯定してくれる人が突然現れたと、そう感じました。

本当の幸せについて、考えた

引用元:pixabay

そのお客様と、お話をした夜。
『自分の子供時代はとても貧しかったけれど、幸せだったかな?』と、
湯船に浸かり、一人考えました。
その答えは、当たり前のように「イエス」でした。

確かに、お金がかかることに関しては、
諦めることも沢山ありました。
他者に対し、劣等感を抱くことも多かったです。

けれど、私の親は、沢山愛情を込めて、ハグしてくれました。
私や兄弟達が喜んでいる写真を、沢山撮ってくれました。
自分たちが叶えられる最大限の範囲で、
私や兄弟達を、沢山喜ばせようとしてくれました。

そんな自分の人生を、誰が、不幸せだと思うでしょうか。
お金が全てではないことに、
そのお客様と話をして、改めて気付かされました。

そのお金持ちのお客様自身も、
自分の権威や、過去の栄光について、嬉々として話したりなどしません。
むしろ、お金持ちの自分の親に、キャリアを決められそうになった事を
"嫌だ"と思い、自分自身で道を選択していた、とおっしゃっていました。

「私の帰りが遅くなるとね、娘達が拗ねるんだよ」

彼が嬉しそうに話すのは、自分の帰りを家で待っている、
二匹の愛犬についてです。
他のお客様方では手が出ないような高級なお酒を、
一人飲むという贅沢な時間よりも、
愛犬達との戯れの時間に対し、彼も幸せを感じていました。

彼の言葉に共感し、深く納得しましたし、
偏見に対しても、恥じる思いでした。
そして、そんなお客様との出会いがあり、私も考えが変わりました。

未来の自分の子供に対して、
自分のようにお金で不自由をかけたいとは思いませんが、
"お金がないことを不幸せに思うこと"よりも、
"それ以上に幸せを感じられる愛情"を、
沢山与えてあげることの方が大切なんだ、と思いました。

"貧乏"は呪いの言葉なので、
それはどれだけ貧しくとも、言葉にはしないようにはしたいですが、
貧しさを感じる暇もないほど、
大きな愛や幸せを、自分の未来の子供には教えてあげたいです。

"お金がないから沢山の我慢を強いられていた"と思い込んでいた
子供時代を、"お金がなくとも幸せだった"と思い返すことができる。
そんな風に思わせてくれたお客様には、とてつもなく感謝しています。

最初は価値観も合わない、なんて失礼なことを思っていましたが、
境遇が違うからこその気づきもあるのだ、と気づきました。

「店を出るのに、30分も遅れてしまった。娘達に怒られる」

そう言い、焦りながらタクシーに乗り込むお客様。
また来週もよろしくと、手を振ってくださるお姿に、
ありがとうございました、と深く頭を下げて見送りました。

また来週も、お客様の来る日がとても楽しみです。


長い文章に最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

経済格差が広がり続ける現代社会で、
私と同じような思いをしている誰かの心を救えたら嬉しいです。

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