脳死と臓器移植の是非

今回の小説は、脳死臓器移植をテーマに書いていますが、取材時から色々と思うことがあったので、簡単に書いてみます。
先ず、脳死状態と植物状態は別のものだということを、多くの人が知らないということ。
何となくは解ってはいる。
脳死状態イコール植物状態と書かれている話も、散見されるけれど、医学的に見ると全く違うから、自分で調べるのは重要だと思います。
そして、
「脳死は人間の死なのか?」
という疑問と
「臓器移植の是非」
ですが、脳死は人間の死と「法律で認めた」んですね。
つまり、「厳格な判定をした結果なら、死と認めても良いよ」ってこと。
だから、心臓が動いている以上、「死」では無いと考えるのも間違えていないと思う。
脳死判定をしなきゃ、脳死って認められ無いのだから、それは家族の判断に拠る。
自分や家族のことを考えた時に、どういう判断をするかは、それぞれの生き方に関わってくるので、自由であるべき。
臓器移植についても同じで、それぞれが自由意志で向き合えば良いこと。
知り合いの医療従事者も、家族のことを考えたら、脳死下での臓器移植はできないって言う人もいる。
人、それぞれに、自分の答があって、当たり前。
脳死を自分の死と認めて貰い、臓器提供をしたいっていうのも、自由意志。
心臓が止まるまでは生きているってのも同じ。
臓器提供はしないってのも、立派な意思表示。
それぞれの生き方だからね。
答は、人の数だけあって良いし、そうあるべき。
などと考えながら、書いていました。

自分の死生観、生き方を見つめてみると、色々と気づきがあります。

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