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亡くなった人との心残りを解消した悲嘆療法の話(6)

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この記事は私のYouTube動画を書き起こしたものです。
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(承前)

私は、次のように質問しました。「今の時代ならともかく、あの時代にすべてを捨てて日本で生きていくと決めることができたのはなぜですか?日本が好きだったからですか?」と質問しました。このように質問を投げかけたうえで、奥様の中に私の視点が移動しました。

すると、奥様が感じていること、つまりは銀髪さんが考えていることがダイレクトに私に伝わってきました。

「日本は運命だった。日本が好きか嫌いかというのはあまり関係なくて、好きになった女性がたまたま日本の人だったというだけ。一番大事なのは奥さんで、奥さんと生きていくことが一番大事で、それをするために選択を重ねた結果ああいう人生になったんだ」と。

ほかにも2つほど質問したのですが、非常にプライベートな、信仰に関する話だったので、公開することは控えようと思います。ただ、その答えは私にとってものすごく意外なものだった、ということだけ述べるにとどめたいと思います。生前の銀髪さんとのふれあいからはまるで想像もつかなかった、とても厳しい、修行者というか、求道者としての銀髪さんの一面を垣間見ました。そして私は、この時の対話から、「何かを選ぶということは、何かを捨てるということなんだな」ということが、非常に深く腑に落ちたのでした。世の中には、決して両立できない物事があるんだなと。

これは一般的なたとえになりますが、一人の女性が、母親になる人生と、母親にならない人生の両方を経験することは、決してできないですよね。それとちょっと通じる部分があるお話でした。そして私はそれを、相手から言葉で聞かされるのではなく、自分の内側からその思いがわいてくるのを感じて、それを知る、という感じで進んでいくのです。・・・ちょっと分かりにくい話してますよね、すみません。この辺は実際に体験した方でないとなかなか伝わりにくいと思います。機会があったらぜひ、ご自身で悲嘆療法を体験してみていただきたいと思います。

ちょっと抽象的なお話になってしまいました。今回の事例は、宗教的な事情が絡んでいたり、肝心なところをお話できなかったり、そもそもお相手が直接出てきてくれなかったりで、かなり複雑な感じになってしまいましたが、雰囲気だけでも伝わっているといいなあと思いながら話しています。ふつうはこんなに複雑じゃないんですけどね。そのうちもう少し一般的な事例についてもご紹介できたらと思います。

ちなみに悲嘆療法は死別、死に別れた場合だけでなく、まだ生きているんだけど何らかの事情で別れることになった相手を対象にすることもできます。あと、対象が人間でなくても、ペットや、少し変わった例だと、ブツや、能力などを対象に行う場合もあります。たとえば、事故や病気で失った体の一部だとか、何らかの事情で失った社会的な立場だとか。ようは「大切な何かを喪失した」という体験を消化するためにとても有効な手法なので、ぜひ頭の片隅においておいていただけるといいかなあと思います。

今回はこの辺で。

どうもありがとうございました。


(終わり)

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